日和田カントリークラブ造成計画・高麗本郷太陽光発電設備設置計画をご存知ですか

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

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  1. はじめに
      1. 図1 日和田カントリークラブ予定地と高麗本郷太陽光発電設備設置予定地
      2. 図2 日和田ゴルフクラブ予定地(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」(埼玉産業(株)、1985年10月)
  2. 日和田カントリークラブ造成計画の浮上
  3. 日和田カントリークラブ建設事業の概要
      1.  図3 日和田カントリークラブ予定図(「日和田カントリークラブ建設計画に係る環境影響書」埼玉産業(株)、1985年10月)
      2. 図4 ゴルフ場計画地の航空写真(計画地中央に表炭窯ヤツ(右)と裏炭窯ヤツがはっきり確認できる)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)
      3. 図5 盛り土され、埋められる炭窯ヤツと切り土される九郎曽根(黒尾根)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書、埼玉産業(株)、1985年)
      4. 図6 切り土される3本の尾根(九郎曽根を含む)と盛り土で埋められる炭窯ヤツ(表・裏)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年)
      5. 図7 現況(1985年当時)の炭窯ヤツ(炭窯入・大橋沢川)」(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)269頁に一部加筆
      6. 図8 造成後の盛り土され消滅した炭窯ヤツ(「日和田カントークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年11月)
      7. 図9 ゴルフ場施設配置図(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)
  4. 環境影響評価準備書に対する住民意見、知事とそれに対するの事業者見解
      1. 図10 廃止される炭窯林道・同支線とゴルフコース内を通る付け替え林道案(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年)
  5. 炭窯林道開設委員会の不正経理問題
  6. ゴルフ場造成事業の「失効」(1988年11月14日)
  7. 日和田カントリークラブ計画跡地の一部にメガソーラー設置計画が浮上―高麗本郷のメガソーラー設置計画をめぐって―
    1. 失効後に残された課題
    2. 高麗本郷太陽光発電設備設置計画の浮上
      1. 図11 高麗郷と高麗本郷太陽光発電設備設置予定地(高麗本郷メガソーラー問題を考える会のチラシ「高麗郷を乱開発から守るために」より)
    3. 「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」の制定
      1. 表1 日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例(区域による条例の適用一覧:日高市役所資料より)
      2. 図12 太陽光発電施設の設置に市長が同意しない『特定保護区域』=森林保全区域・観光拠点区域(日高市役所資料による)
    4. 日高市メガソーラー訴訟の顛末
    5. 埼玉県内の他自治体の太陽光発電設備の規制に関する条例との比較
  8. おわりに

はじめに

 「日和田カントリークラブ造成計画を知っていますか」

 西武池袋線高麗駅や武蔵横手駅でおりたハイカーにそんな質問をぶつけても、100人100は「知らない」と答えるだろう。

 おそらく地元の日高市で聞いても、「知らない」という回答が100%近くに達するだろう。

 それも無理はない。

 なにせ40年前の話だからである。

 このブログを読んでいる方も、「なんで、そんな昔の話を持ち出すのか」と疑問をもつかも知れない。

 「日和田カントリークラブ」は、1983年から1988年にかけて日高町(当時:現在は日高市)大字横手から大字高麗本郷にかけての山林106ヘクタールに18ホールのゴルフ場を造成しようとする「埼玉産業(株)」なる事業者の計画であった。

 計画地については、のちに詳しく述べるが、ざっと述べると武蔵横手駅から五常ノ滝へ登る関ノ入ヤツに沿った車道(林道関ノ入線)を左端とし、高麗本郷の井尻ヤツに沿った市原から駒高への車道を右端とする山林である。

 計画地内には、大字横手の小瀬名と大字高麗本郷の駒高との中間点付近の山林を水源とする「炭窯ヤツ」(スミガマヤツ、炭窯入、大橋沢川)が流れ、高麗川に注ぎ込んでいる。

 高麗川沿いの市原の集落(大字高麗本郷)から炭窯ヤツに沿った林道・炭窯線(炭窯林道)を登ると、まもなくヤツは二俣に分かれ、右手の沢に沿って林道・炭窯線が、左手の沢にそって炭窯林道支線が、それぞれ奥に延びる。

 ゴルフ場造成計画では、関ノ入ヤツと井尻ヤツにはさまれた炭窯ヤツ(中流からは東側の「表炭窯ヤツ」(オモテスミガマヤツ)と西側の「裏炭窯ヤツ」(ウラスミガマヤツ)に分かれる)が計画地の中心となる(図1、図2を参照)。

図1 日和田カントリークラブ予定地と高麗本郷太陽光発電設備設置予定地

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図2 日和田ゴルフクラブ予定地(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」(埼玉産業(株)、1985年10月)

 表炭窯ヤツと井尻ヤツにはさまれた尾根(九郎曽根・黒尾根)、表炭窯ヤツと裏炭窯ヤツ間の尾根、裏炭窯ヤツと関ノ入ヤツにはさまれた尾根の3本の尾根を削り、その土砂で炭窯ヤツ(表・裏)を埋め、そこにクラブハウスや駐車道、そして18ホールのコースをつくる。

 計画地は全域、埼玉県立奥武蔵自然公園に含まれるが、日和田山~高指山~物見山の奥武蔵自然歩道からは若干距離がある。

 その意味でハイキングコースへの直接の影響は景観以外は少ないが、もし造成が行われたら、最近バリエーションコース好きのハイカーの間で隠れた人気になっている「九郎曽根」(黑尾根)は、その大半が40年前に削りとられていた。

 もちろん、炭窯ヤツは上流部を除き埋められてしまい、表炭窯ヤツに沿った炭窯林道と裏炭窯ヤツに沿った炭窯林道支線は廃止・付け替えになるところだった。

 日和田カントリークラブ造成計画は、1983年に地元横手や高麗本郷の住民に突然知らされ、地権者の間でも賛否が分かれていたにもかかわらず、日高町長は全面的に賛成の意思を表明。

 翌1984年7月、「日和田カントリークラブ造成事業」の「造成事業申出書」は、日高町長の意見書(賛成意見)を添えて、県に提出された。

 そのわずか3ヶ月後の1884年10月1日、県は立地承認を事業者と町に通知。

 すぐに環境影響評価手続きに入り、1985年3月に「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価準備書」が提出。

 1985年10月には、準備書に対する住民意見に対する事業者見解、知事の審査意見に対する事業者の見解を加えた「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」が提出。

 環境影響評価書の縦覧(30日間)をへて、環境アセス手続きは事実上終了。

 残る林地開発許可手続きもスムーズに進めば、1986年1月にも林地開発許可が下り、予定どおり工事が始まり、1987年10月に工事終了へと進むかに思えた。

 ところが、地元横手や高麗本郷でも住民や地権者の間で賛否が分かれるなかで、どんどん着工に向けた手続きが進むなか、異議を申し立てた勇気ある住民がいた。

 それが横手の「関口織物工場」社長(当時)で、計画地内の山林所有者の一人でもある関口恒夫さんである。

 関口さんはわずか数人の仲間とともに、1983年に計画が浮上した時点から粘り強く反対の活動を続けた。

 だが相手は事業者に加え、役所ぐるみで事業者に便宜を図る日高町役場、大多数が推進の立場の町議会、そして事業者が抱き込んだ町の有力者など。

 関口さんが「町のリクルート構造」と呼んだゴルフ場推進の堅固なトライアングルに対し、関口氏さんたちをつねに支援してくれたのは、共産党の町議1人のみであった。

 孤独な戦いは、結局は敗北するのが常だが、関口さんたちは計画地のど真ん中にあり、廃止・付け替えが必至の炭窯林道建設をめぐる林道開設委員会の不正経理問題をつきとめ、これを追及していった。

 さらに大口の地主も土地を売らないとの意思を表明。

 町ぐるみの不正経理問題への批判が広がるなか、林道の廃止・付け替えの協議は全く進まず、しかも地権者の同意にも亀裂が入るなど、林地開発許可に向け赤信号がともり、ついにリミットの1988年11月14日までに林地開発許可が出ず、着工できなかった。

 その結果、日和田カントリークラブ造成事業は、県の立地承認を受けながら、失効した第1号という不名誉な記録を残し、消え去った。

 以下、日和田カントリークラブ造成事業の内容と反対運動の経緯を詳しく述べるが、その主な内容は、1990年6月10日、関口恒夫さん宅で行ったヒアリングにもとづいている。

 関口さんには、ヒアリング直後に記事を出す旨を述べたが、記事の発表が35年後になってしまったことを深くお詫びしたい。

 読者のなかには、何で40年近く前の話をここで蒸し返すのか疑問に思われる向きもあるだろう。

 しかし、関口さんたちの尽力で、ゴルフ場計画が失効になり、関ノ入ヤツから井尻ヤツにいたる106ヘクタールの山林が保全された意義は大きい。

 私たちハイカーは、今その恩恵を受けている。

 もしゴルフ場ができたなら、日和田山や高指山からの景観も変わっていたであろう。

 当時、建設中だった高麗川南岸丘陵上の武蔵台団地、横手台団地から正面に見える景観も変わっていたであろう。

 そして破壊されたはずの九郎曽根(黒尾根)や炭窯ヤツは守られたのである。

 当時、ゴルフ場造成や反対運動に関する記事が新聞を賑わせていたが、なぜか埼玉県で立地承認後に失効したゴルフ場計画の第1号でありながら、日和田カントリークラブ造成事業関連の記事を目にしたことはない。

 遅きに失したが、関口さんから伺った話を再現しながら、必要に応じ環境アセス手続きの資料等により補足し、日和田カントリークラブ造成事業の顛末を記録しておきたい。

 それに加え、日和田カントリークラブ予定地の一部を含む15ヘクタールの山林に、2018年、今度は「太陽光発電設備設置計画」が浮上。

 市議会が太陽光発電設備設置に決議を採択。

 それを受け、日高町役場は「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」を議会提出。

 町議会では全会一致で成立。

 メガソーラー設置予定地は、条例により市長が「同意しない」特定保護区域に指定。

 その後、事業者と地権者が日高市を訴えたものの、さいたま地裁は原告の訴えを「却下」し、翌年(2022年)、事業者が控訴を断念したことで、事実上メガソーラー設置計画は潰えた。

 これらの経緯を振り返るとともに、埼玉県内市町村では初めての「太陽光発電設備の規制に関する条例」である「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」を、山林が隣接する毛呂山町条例、飯能市条例などと比較したい。

 日和田カントリークラブ造成事業は、1983年に突然持ち上がった。

日和田カントリークラブ造成計画の浮上

 1983年3月3日付で、発起人会の主催で、事業者を呼んだ説明会を大字横手の瀧泉寺で開催するとの文書が回ってきた。

 発起人は、地元・日高町横手・高麗本郷におけるゴルフ場推進派の筆頭で、メンバーはいずれも地域の有力者であり、予定地山林の所有者であった。

 発起人の主な顔ぶれは、日高町役場の幹部職員(当時)(10町歩所有)、高麗本郷市原地区在住の大手地権者(20町歩所有)、瀧泉寺住職(当時)(10町歩所有)、元町議(1反所有)などであり、このうち中心的なメンバーは日高町役場の幹部職員と元町議であった。

 ここからも、日和田カントリークラブ造成事業が町役場や町議会を巻き込んだ町ぐるみの事業であったことが良く分かる。

 ちなみに、発起人の顔ぶれは炭窯林道開設委員会の主要メンバーとほぼ同一である。

 説明会は1983年3月13日と5月の2回行われた。

 当初は地権者の間でも反対意見が多かったにもかかわらず、町や事業者は「概ね賛成」と一方的に解釈し、知らないうちに事業者から造成事業申出書が県土地対策課(現在の土地政策課)に提出されてしまった。

 土地対策課は提出された造成事業申出書とゴルフ場造成事業者の自己紹介書を日高町長に照会し、これに対する町長の意見を1983年11月12日までに連絡するよう通知している(土地対第388号 1983年11月5日付)。

 町はこれを11月7日に受け付け、「ゴルフ場造成事業者の自己紹介書について(回答)」なる文書を11月17日付で県宛てに送っている。

 この段階で「埼玉産業」は「(仮)埼玉産業」となっており、当時の地元への文書では、代表取締役・柿沢国治は、「高麗川カントリー俱楽部」の常務取締役という肩書きになっていた。

 先の県の照会(1983年11月5日付)に対し、日高町長は「立地可能」と回答。

 これを受け、日高町は翌1985年3月策定の日高町総合計画基本計画(1985年3月)の土地利用計画において、予定地をレクリエーション系地域に指定し、ゴルフ場計画のお膳立てをした。

 日高町は先の県土地政策課からの意見照会に対し、それ以外にも、林道炭窯線について付け替え可能と回答。

 さらに「農業振興地域はない」と回答したが、これもウソだった。

 実際、日高町は1988年10月に計画地内の農地について、農振解除を画策している。

 1983年における上記のやりとりをへて、事業者(埼玉産業)は1984年、改めて日高町を経由して造成事業申出書を県土地対策課に提出した。

 この造成事業申出書には「昭和59年」とあるだけで、日付は明記していない。

 造成事業申出書に添付された日高町長の意見書の日付が1984年7月10日であることから、この数日前に日高町に提出されたことが分かる。

 日高町長(駒野昇)の意見書は、おおむね次の内容である。

 日高町は県西南部に位置する人口4万7,602人の町である(1984年当時)。

 鉄道面では八高線と川越線が接続する高麗川駅が町の中央部にある。

 さらに町の南部には都内と直結する西武池袋線が走っている。

 道路は、町中央を貫く県道・川越日高線、飯能寄居線、日高川島線が走り、西武池袋線に沿って国道299号線が走るほか、東部を国道407号線が走るなど、鉄道・道路の両面で交通の便に恵まれている。

 そのため、町南部で民間大手開発事業者による住宅開発が進められており,今後も大開発が予定されている。

 町の人口は現在(1984年4月1月時点で)4万7,602人だが、1990年に7万2,000人になる見込みである。

 しかし、人口増に反し、町の産業は農業主体で後継者不足もあり、生産性が高くない。町内にある事業所はほとんどが中小企業であり、その総数は1,530事業所があるものの、従業員数は11,499人にとどまり、人口増に対応した安定した収入を得る職場の確保が重要な課題となっている。

 今回のゴルフ場造成計画は、地域における職場の確保や住民所得の向上など地域の活性化が図られ、ひいては町の自主財源に役立つものと期待される。

 計画地の高麗本郷、横手地区の開発としては、自然環境を活かしたゴルフ場の造成が最も適当と考えられる。

 地域住民の利便や観光資源等について十分効果が上げられるよう関係者と十分協議を重ねるとともに、町の計画と調整を図り、地域振興が図られるようご指導賜りますと県に訴えている。

 バルブ絶頂期で、埼玉県の丘陵部にゴルフ場開発が押し寄せる前夜であったとはいえ、ゴルフ場造成による町民への職場の提供や町の税収増に対する好影響が過大に見積もられている。

 日和田カントリークラブの造成計画では、従業員約150人を推定している。

 ただし、150人のほとんどはキャディーである。

 果たして、当時造成中であった武蔵台、横手台などの分譲地に住むであろう新住民が定職として期待する仕事がゴルフ場のキャディーであるとは到底思えない(職業の貴賎についていっているのではない)。

 新住民の多くは東京方面に勤務する会社員であり、必ずしも日高町が職場を提供する必要はないし、1つのゴルフ場から得る固定資産税が町の税収を飛躍的に増加させるとは思えない。

 実際、日和田カントリークラブ造成計画がもちあがった1983年時点で、日高町には既に3つのゴルフ場が存在していた(日高カントリークラブ、高麗川カントリー倶楽部、ジェイゴルフ鶴ヶ島)。

 これに加え、4番目の日和田カントリークラブ(計画は失効)、5番目の新武蔵丘ゴルフコース(西武鉄道)など、貴重な山林を切り売りして得たゴルフ場からの固定資産税に依存する財政体質が垣間見える。

 日高町は、日和田カントリークラブ造成計画が失効した1988年11月14日から1ヶ月もたたない同年12月9日付で西武鉄道から「(仮称)西武日高ゴルフ場」の造成事業申出書を受け付け、12月12日付で県に対し、おおむね以下のような意見書を添えて申出書を送っている。

 町長(駒野昇)は、「(仮称)西武日高ゴルフ場」(その後計画中に「日高ゴルフコースに名称変更)、さらに完成後に「新武蔵丘ゴルフコース」に再度名称変更)に対する意見書で、「日和田カントリークラブ造成事業申出書」に対する意見書と全く同じ趣旨の賛意を表明している。

 つまり、日高町は都市化に伴う耕地面積の減少、木材需要の減少等により、地域活力の低下が見られ、町の活性化を図る必要がある。

 そこで町は日高町総合計画基本構想の中で、広域的、長期的な視点から土地利用の中に、観光、レクリエーション系地域を位置付け、推進しているところである。

 今回申し出のあったゴルフ場造成計画を検討したところ、上記基本構想に適合しており、町の活性化に極めて有効と思われる。

 農業や林業など、従来主要な産業であった第一次産業が低迷する結果、地域活力が低下。

 これに対し、ゴルフ場計画は地域活性化に資する切り札であるとして、基本構想における土地利用計画で現地をレクリエーション系地域に指定し、ゴルフ場計画のお膳立てをするやり方は、日和田カントリークラブ予定地のレクリエーション系地域指定と全く同じ論理である。

以上、「日和田カントリークラブ造成事業」「(仮称)西武日高ゴルフ場造成事業」の双方において、日高町が基本構想における土地利用計画を変更して、両ゴルフ場予定地をレクリエーション系地域に指定して、ゴルフ場建設のお膳立てをしているのには、「埼玉県ゴルフ場等の造成事業に関する指導要綱」第6「新設事業の基準」の1「一般基準」(1)の以下」のような規定が効いている。

(1)埼玉県土地利用基本計画、市町村の基本構想その他の県土の合理的な土地利用に関する計画に適合すること。

 すなわち、立地予定自治体の基本構想における土地利用計画への適合性が審査基準のトップに挙げられているからである。

 ちなみに、一般基準の(2)(3)は以下のとおりである。

(2)立地に関し造成区域の面積の90%以上の土地所有者の同意並びに地域住民の理解及び協力を得ていること。

(3)事業者に事業を完遂する能力のあること。

 日和田カントリークラブ造成事業については、(1)の市町村基本構想における土地利用に関する計画との適合性は、日高町が基本構想の改定にあたり、計画地の用途を指定替えしてお膳立てをした。

 しかし、(2)と(3)の基準に適合しているのかについては、大いに疑問がある。

 計画地の94.6%が山林であり、造成事業申出書提出時に山林所有者から面積の90%以上の同意が得られていたとは到底思えない。

 地域住民の理解及び協力については、それ以上に得られていたとは言いがたい。

 1983年3月の第1回住民説明会、5月の第2回住民説明会をへても、ゴルフ場計画に対する山林所有者、住民の間では反対の方が多かった。

 それ以降、住民に対する説明会は一切行われていない。

 さらに、最初から一貫して反対していた関口さんたちの存在があった。

 にもかかわらず、日高町は「住民は概ね賛成」であると理解し、造成事業申出書に町長の賛成意見書をつけて県に送ってしまったのである。

 さらに事業者の事業完遂能力についても、造成事業申出書から読み取ることができるのは、不安でしかない。

 総事業費は85億円。

 そのうち用地費が20億円、造成費が50億円、その他が15億円。

 これに対し、自己資金は20億円しかなく、65億円が借入金となっている。

 つまり、事業費の大半は着工後の会員権販売で充当し、それまでのつなぎは借入金という綱渡りの資金計画となっている。

 「埼玉県ゴルフ場等の造成事業に関する指導要綱」では、第6の1「一般基準」に次いで、第6の2「立地基準」として、(1)から(14)の地域を造成区域に含まないこととしている。

 その(7)が農業振興地域の農用地区域である。

 しかし、計画地のうち農地はわずか2.1%しかないが、そのなかに(7)の農業振興地域の農用地が含まれていたのである。

 このように県指導要綱の審査基準における「一般基準」「立地基準」に照らしても、立地に関し疑問の多い計画であるにもかかわらず、県は造成事業申出書を1984年7月に受け付けると、同年10月1日に速攻で立地承認してしまった。

 通常、県の指導要綱にもとづき立地調整を行い、最終的に立地承認をするためには、窓口にあたる土地政策課(当時は土地対策課)が「一般基準」について審査を行い、さらに「立地基準」について関係する各課の意見を聴くための「土地使用調整会議」を2回程度開催し、そこには事業者も参加し、各課からの質問に答える。

 ある程度調整がまとまったあと、関係各課と立地自治体が集まる「土地利用行政推進会議」を開催し、立地承認する方向性を打ち出す。

 その後、立地承認の方向性について、再度各課に文書で意見照会を行い、意見集約を行ったあと、土地政策課が立地承認する旨の通知を事業者に行い、あわせて自治体の長にその写しを送るという手順をとる。

 造成事業申出書の県受理から立地承認まで1年以上かかることも珍しくないなか、わずか3ヶ月弱で県が立地承認をしたのは異例である(参考までに、「仮称・西武日高ゴルフ場」(日高ゴルフコース)造成事業は、造成事業申出書の県受理が1989年2月23日、立地承認が1991年3月27日と、約2年1ヶ月を要している)。

 しかし、町の事業者寄りの意見を県が十分審査せずに安易に立地承認した結果が「立地承認後失効した計画第1号」という不名誉な結末になるのである。

 ところで、埼玉県の「ゴルフ場等の造成事業に関する指導要綱」は、日和田カントリークラブ造成事業に対する立地承認がおりた1984年10月1日から1年1ヶ月後の1985年11月1日に改正された(改正要綱は1985年11月15日施行)。

 改正要綱では、「第8 立地承認の効力」の規定が設けられた。

 そこでは、「第9の1に規定する立地を承認する旨の通知が到着した日から起算して3年を経過した日において造成事業に係る工事に着手していない場合は、当該造成事業に係る立地承認の効力を失うものとする」と記されている。

 要するに、立地承認から3年以内に着工できない場合、造成事業は失効し、事業はないものとされるのである。

 それでは、指導要綱の改正前に立地承認された「日和田カントリークラブ造成事業」の扱いはどうなるのか。

 要綱では、経過措置として、改正前の要綱にもとづき立地承認された造成事業は、改正要綱の施行(1985年11月15日)から起算して3年以内に着工していない場合は、立地承認の効力を失うものとするとされている。

 すなわち、日和田カントリークラブ造成事業は、1988年11月14日までに着工できない場合、失効となるのである。

日和田カントリークラブ建設事業の概要

 「はじめに」において、日和田カントリークラブ造成計画の概要を簡略に述べたが、ここでは「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」(埼玉産業(株)、1985年11月)にもとづき、造成事業の内容について、さらに深堀りしてみたい。

 「はじめに」の記述と繰り返しになる点もあるが、その旨ご容赦願いたい。

 事業の場所は、埼玉県入間郡日高町(当時)の西端である大字高麗本郷と横手地区であり、標高110㍍から350㍍の丘陵地である。

 計画地の94.6%が山林である。

 当地は古くから「西川材」と呼ばれるスギ、ヒノキの産地であり、高麗川~荒川を経由して舟で木材を江戸に運んでいた。

 1984年当時でも、山林の大半はスギ、ヒノキ、アカマツの植林およびクリ、コナラの二次林であり、林業はこの地域の主要産業である。

 山林以外では、農地が2.1%、原野が1.2%、その他(水路など)が2.1%などとなっている。

  横手から五条ノ滝、入間郡毛呂山町大字権現堂中野地区の啓明荘に登る関ノ入ヤツに沿った車道(林道関ノ入線)が西端。

 高麗本郷の市原から駒高に登る井尻(いじり)ヤツに沿った車道が計画地の東端である。

 この2つの車道にはさまれた山林106ヘクタールが計画地である(図3)(図4)。

 図3 日和田カントリークラブ予定図(「日和田カントリークラブ建設計画に係る環境影響書」埼玉産業(株)、1985年10月)

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図4 ゴルフ場計画地の航空写真(計画地中央に表炭窯ヤツ(右)と裏炭窯ヤツがはっきり確認できる)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)

  計画面積106ヘクタールのうち、残存樹林地が47.64ヘクタール(45.0%)。

 造成緑地(造成樹林地、ゴルフコース用地など)が50.51ヘクタール(47.6)。

 その他、諸施設(クラブハウス、駐車場など)が3.1%、道路が2.8%、調整池が1.5%である。

 ゴルフ場のレイアウトは、ゴルフコースやクラブハウス、駐車場、調整池などの施設のまわりを残存樹林地(計画面積の45%)が取り囲む形になっている。

 また、ゴルフコースの各ホール間にも幅20㍍以上の造成樹林地を確保するとしている。

 造成工事の内容は、計画予定地の55%にあたる「造成予定地」について、3本の尾根(そのうち一番東側の尾根が「九郎曽根」(黒尾根))を削り(切り土)し、その土砂で計画地中央を流れる炭窯ヤツ(中流から右側の表炭窯ヤツと左側の裏炭窯ヤツに分かれる)を埋める(盛り土する)切盛土工事が中心である(図5)(図6)。

図5 盛り土され、埋められる炭窯ヤツと切り土される九郎曽根(黒尾根)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書、埼玉産業(株)、1985年)

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図6 切り土される3本の尾根(九郎曽根を含む)と盛り土で埋められる炭窯ヤツ(表・裏)(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年)

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 現況の炭窯ヤツは図7、造成後は図8のように、炭窯ヤツは全面的に消滅している。

図7 現況(1985年当時)の炭窯ヤツ(炭窯入・大橋沢川)」(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)269頁に一部加筆

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図8 造成後の盛り土され消滅した炭窯ヤツ(「日和田カントークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年11月)

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  切り土量・盛り土量ともに約300万立法メートル。

 ゴルフコース、クラブハウス、調整池などのレイアウトは、図のとおりである(図9)。

図9 ゴルフ場施設配置図(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年10月)

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 このうち、とくに重要なのが調整池である。

 ゴルフ場造成工事により約57ヘクタールの造成が行われるが、焦点となるのが、3つの尾根を削った切り土で、計画地中央を流れる炭窯ヤツ(表炭窯ヤツ・裏炭窯ヤツ)を埋める盛り土を行う工事の影響である。

 計画地中央の大きな沢(炭窯ヤツ)を埋めることから、水系が変化するとともに、現在の樹林地が芝地になる等の地表面の形状変化に伴う流出係数の変化により降雨時に河川流量が増加することが予想される。

 実際、予想高水流量50.9立法㍍/secは、下流流加能力41.2立方㍍/secを9.7立方㍍/sec上回っていることから、100年確率の大雨の際には水害が発生する可能性が否定できない。

 そこで、水害発生を未然に防止するため、下流の流下能力に見合った容量をもつ調整池を設置する必要がある。

 造成計画では、炭窯ヤツの下流にダム高15.0㍍、ダム堰堤の長さ80.0㍍、調整池容量109,526立法メートルの巨大な調整池を設置し、雨水や土砂を受け止めるとしている。

 環境アセス準備書および評価書では、調整池の容量109,526立方㍍は、100年確率の大雨の際に必要な調整容量である14,500立法㍍の約7.5倍であり、水害の発生を防止するために十分な調整能力を有しているとしている。

環境影響評価準備書に対する住民意見、知事とそれに対するの事業者見解

 日和田カントリークラブ造成事業は、立地承認(1984年10月1日)と同時に、「埼玉県環境影響評価に関する指導要綱」にもとづく環境影響評価対象事業に該当するとされ、以後、環境アセス手続きが進められた。

 環境アセス手続きの経緯は、以下のとおりである。

・県環境影響評価対象事業に該当:1984年10月1日

・環境影響評価準備書提出(知事宛):1985年3月8日

・環境影響評価準備書縦覧:1985年3月15日~4月13日)30日間(県庁・日高町)

・環境影響評価準備書地元説明会:1985年4月5日:日高町横手公民館(15人来場)

・住民意見書の提出期限:1985年4月30日:23通

・住民意見に対する見解書提出:1985年5月30日(意見提出者・知事・日高町長宛)

・公聴会公述申出期限:1985年6月13日(申出人:9人)

・公聴会の開催:1985年6月25日(公述人:7人)

・知事の審査意見書受理:1985年8月29日

・環境影響評価書提出(知事宛):1985年10月15日

 環境アセス手続きの焦点は、準備書の縦覧(30日間)と縦覧期間中の地元説明会(事業者主催)、そして準備書に対する住民意見の提出、住民意見に対する事業者見解の作成、準備書に対する意見を口頭で述べる公聴会の開催(県主催)などである。

 関口さんによると、準備書の縦覧中に行われた事業者による説明会(準備書の概要版を配布)はいい加減なもので、ゴルフ場で使用する農薬名について聞かれたところ、答えることのできない有様であった。

 関口さんの言葉を借りると、埼玉産業(株)は地上げ屋体質そのもの企業であり、アセス準備書の専門的な内容に対し突っ込まれると、全く答えられず、説明会は何度も立ち往生した。

 準備書の概要版では詳細がわからないので、準備書本編を縦覧しようとしたが、横手では縦覧のスケジュールを案内した広報「ひだか」(月2回;1日と15日に発行)をなぜか区長が配らなかった。

 そのため関口さんたちは縦覧が終わり、意見書締め切りの5日前になって、ようやく縦覧スケジュールや意見書提出のスケジュールを知った。

 意見書提出締め切り5日前とは1985年4月25日。

 そのときには準備書の縦覧期限(4月13日)は終わっていた。

 では、どのようにして準備書を読んだのだろうか。

 この点を当時確認すべきだったが、市町村の窓口では縦覧期限の過ぎた準備書を貸し出してくれないところが多いので、おそらく県庁の環境政策課に出向いて準備書を借り、500頁をこえる冊子全部をコピーしたのではなかろうか。

 あくまでも私の経験(よく埼玉県庁環境政策課に行き、貸し出しノートに記帳して準備書や評価書を借りてコピーしたものだった)からの想像であるが、関口さんが反対運動を5年間続けるなかで、県庁に日参するとともに、さまざまな形で総額100万円以上も使ったと聞き、前記の私の想像もあながち的外れではないと考えている。

 関口さんは5年間の間、反対署名や町議会への請願などに加え、最新の情報や資料を入手・閲覧するため県庁担当課(土地政策課や環境政策課、林務課など)へ毎日のように通ったという。

 なかでも交通費や通信費、資料のコピー代などに多額を要したという。

 いずれにせよ、準備書を入手したあと、関口恒夫さんを中心に、農薬など理論面では関口英輔さん(防衛医大教授:当時は定年退職)、文書作成面では関口忠夫さんなど3人が役割分担をして、結束して意見書を作成し、締め切りまでに事業者に送付した。

 1985年4月30日に意見書提出が締め切られたが、提出意見23通の大半は関口さんたち3人が提出したものであった。

 もちろん23通の意見はすべて反対意見であり、1985年6月25日に県主催で行われた公聴会でも公述人7人すべてが反対意見を述べた。

 ここでは、準備書に対する住民意見23通について、事業者が類似意見をまとめて、11類型にとりまとめたものの概要を示し、事業者見解を要約する。

 とくに重要と思われる意見に対する事業者の見解については、全文を引用し、コメントをつけたい。

○意見その1 日高町の緑の保全について(意見数:9)

 ゴルフ場建設が計画されている地域は、県立奥武蔵自然公園内に位置し、日高町に残された唯一の緑地地帯であり、有形、無形に地域住民に有益に作用している。ここの自然をゴルフ場に変えることは、地域住民にとり、まさに自然破壊に等しく、町としても自然の宝庫を失うことであり、町の将来計画の上でも大きな損失を招くことになる。住民の自然環境に求めている生活の快適さ、休息の場、絶好のレクリエーションの場など、すべてが失われ、その影響が甚大である。

(事業者見解の概要)要約

 自然環境の保全および洪水や土砂の流出の防止などの観点からゴルフコースの面積を最小限に抑え、樹林地を極力残すなど自然への影響をできる限り小さくなるようにいたします。

○意見その2 横手地区の緑の保全について(意見数:2)

 横手地区は高麗川を中に挟んで川南、川北に二分されるが、川南の地域は団地建設等で自然が消滅しつつある。この上、緑豊かな川北の地域に今回のゴルフ場の建設が計画されているわけで、このゴルフ場計画が許可になった場合、横手地区の住民は完全に森林、緑地等の生活空間を失うことになり、現在から将来にわたって回復不可能な実生活の自然条件の大部分を失うことになる。

(事業者見解の概要)要約

 川南の地区には、ご指摘のように住宅団地の建設が進行中であり、新たな団地が計画されているなど緑の減少には著しいものがあります。今回当社は高麗川の北側の地域にゴルフ場建設を計画いたしましたが、このような状況を十分に考慮し、計画地内にある緑を可能なかぎり残置し、緑に囲まれたゴルフ場になるように努めております。

○意見その3 山林の保全について(意見数:4)

 ゴルフ場造成工事の場所は自然環境の良いところであり、杉、檜等の生育にも適している山林であるので、自然のまま子孫に残したいと考えている。これをゴルフ場に改変し、何千年、何万年かかって造られたか知れない土を切り取り、生物を追い出し、緑をなくしてしまったら、今でさえ虫喰状に地肌がむき出しになっているのに、今後数十年の間に乱開発されるのではないかと懸念される。

(事業者見解の概要)要約

 ゴルフ場造成にあたっては、樹林の伐採は最小限に抑えることをはじめ、表層の肥えた土壌を保全する目的から、造成工事にあたっては表土仮置き場を設け優良表土を採取し、造成後再利用する計画を進めております。

○意見その4 瀧泉寺の山林の保全について(意見数:8)

 ゴルフ場予定地は、瀧泉寺の山林が広い範囲にわたっている。寺はとくに檀家として心のより所であり、その寺の土地に開発の手を付け、緑をなくすという事は人の心を傷つける事である。

(事業者見解の概要)要約

 瀧泉寺裏山の南斜面は計画地から除外するとともに、裏山の北斜面についても自然保護の立場からできる限り樹林を保全することを原則とし、瀧泉寺から半径500㍍以の範囲は造成予定地から回避する形で計画を進めております。

○意見その5 生活用水について(意見数:7)

 ゴルフ場予定地は、自家水道の水源地であり、自然環境の変動による水量の減少等が懸念される。

(事業者見解の概要)要約

 事業予定地の中央を流れる炭窯ヤツ(大橋沢川)及びその周辺の沢は、地元住民の方々にとって、生活用水の水源地としてかけがえのないものであることを承知しております。計画により、炭窯ヤツについては、その一部を埋め立てることになることから、計画地より上流に新たな取水場を設け、炭窯ヤツの水を利用されている方々へ、取水場よりパイプで水を引き込む等の対応を図る計画を進めております。

○意見その6 水質汚濁について(意見数:1)

 ゴルフ場の造成及び供用に伴う土砂、農薬の流入等は、炭窯ヤツ(大橋沢川)の水を20年以上前よりニジマスの池の水源にしている私にとっては死活問題である。また、県下一の清流を誇る高麗川でも、放流魚に影響が出ることが懸念される。

(事業者見解の概要)要約

 ゴルフ場造成期間にあっては、造成に伴い裸地化した箇所の早期緑化に努めることとしていますが、降雨時に現在よりも多くの土砂が流出することが予想されます。

 このことから、本事業の実施にあたっては、最初に防災工事、調整池工事から着手し、土砂の流出をなるべく低く抑えこむとともに、濁水については調整池で一度滞留することにより、SS濃度の一層の低減を図ります。

 また調整池の水は飲料水としては適さないので、計画地の上流に新たな取水場を設け、生活用水として安全できれいな水を供給する予定です。

 ゴルフ場の供用後については、芝の養生に伴う定期的な農薬の散布を行いますが、土壌及び水を汚染することのないよう、常時かつ大量の使用を控えます。

○意見その7 騒音等について(意見数:1)

 ゴルフ場供用後の車の往来に伴う排気ガスや騒音の増加を、最小限に抑えるよう、入念な調査と施策を求めたい。

(事業者見解の概要)要約

 施設供用後の排気ガスの増加については、もっとも利用者の多い日、かつ、利用者が集中する時間帯においても、大気汚染物質(NO2)は、約0.002ppm増にとどまることが判明し、計画地周辺の現況濃度0.015ppmにくらべ予測された濃度は小さく、影響は軽微であると判断しました。

 供用後における騒音の増加についても、施設を利用する日最大200台の車両の半分がピーク時交通量時(現況)を走行すると予測しても、騒音レベルは、アプローチ道路と国道299号の交差点における道路端で現況(約61ホン)とほぼ同値の約61ホン(実測補正すると約57ホン)になると予測されました。

 この57ホン(実測補正値)という騒音レベルは、平均的な事務所内における騒音にほぼ等しいレベルです。このように予測値は現況値と同じ値にとどまっていることから、生活環境への影響を最小限に抑えることができていると考えております。

○意見その8 林道の廃止について(意見数:1)

 現在の林道を廃止し、新しくアプローチ道を建設するとのこと。予定地の奥に山林を所有するので、大変困ります。カントリークラブ内を通らずに、所有する山林まで林道を取り付けるよう願いたい。

(事業者見解の概要)

 この意見は、日和田カントリークラブ造成事業をめぐるもっとも大きな争点となった林道炭窯線と林道炭窯支線の廃止・付け替えに関わるものなので、事業者見解を以下全文掲載しておきたい。

 「ゴルフ場造成に伴い現在の林道は、調整池予定地より北側の部分が消滅することになります。そこで当社といたしましては、林道に代替する道路として、自動車の走行が可能な幅員6㍍のアプローチ道路をゴルフコース内に設置し、計画地の北側に部分的に残る林道に連絡させ、計画地より北側に山林を所有されている方に利用していくよう計画致しております。具体的な利用法等については、当事者の方と今後連絡させていただきます。

 また、アプローチ道路の計画にあたっては、ゴルフコース内を通らないルートも併せて考えましたが、コースの東側、西側のいずれもが下降斜面となり沢(井尻谷川、横手入川)に連続していることから、自然環境への影響の最小化及び防災上の観点から問題が多く、コースの外側のルートは断念せざるを得ませんでした」

 以上が事業者の見解全文である。

 日和田カントリークラブ造成地の中心に位置する炭窯ヤツ(大橋沢川)の埋め立てに伴い、それに沿って走る2本の林道(炭窯林道、炭窯林道支線)は消滅する。

 日和田カントリークラブ予定地より北側の山林所有者によって、林道の消滅は死活問題であり、カントリークラブ内を通らずに所有する山林まで行ける林道の建設は当然の要求である。

 しかし、造成区域(ゴルフコース内)の外周部にある残存樹林内に付け替え林道を通すことは残置森林率を下げることになり、ゴルフ場立地計画の根幹に関わることになる。

 かといって、ゴルフ場予定地の外は、右は井尻ヤツ、左は関ノ入ヤツに連続する急斜面であり、事業者見解で指摘されているように、林道建設が不可能な場所である。

 となると、結局付け替え林道はゴルフコース内を通すしかないという結論になる。

 しかし、ゴルフコース内に付け替え林道をつくること自体、コースレイアウトやコース間の造成樹林の変更を伴う難しい問題であるうえ、かりに無理矢理コース内に付け替え林道をつくったとしても、営業日にコース内の付け替え林道を利用すること自体に無理があるなど、こちらも難しい問題が残っている(図10)。

図10 廃止される炭窯林道・同支線とゴルフコース内を通る付け替え林道案(「日和田カントリークラブ建設事業に係る環境影響評価書」埼玉産業(株)、1985年)

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 事業者は、「具体的な利用法等については、当事者の方と今後協議させていただきます」と述べているが、協議は難航すること必至である。

○意見その9 林道の未調整事項について(意見数:1)

 林道の廃止には、林道の決算報告などの未調整事項が残っている。

(事業者見解の概要)

 これも林道炭窯線・林道炭窯支線の廃止に関わる意見である。

 そのため、内容的には環境影響評価に関する意見ではないが、事業者見解を全文再録しておきたい。

 「林道の決算等、林道関係者間の調整につきましては、当社が意見を申し上げることではございませんが、必要がございましたならば関係者の方々との協議の機会を設けたいと存じます」

 たしかに炭窯林道開設委員会の決算等の問題は、林道建設にあたって負担金を支出した山林所有者、林道建設の当事者である林道開設委員会、そして林道管理者である日高町など関係者の間の協議事項である。

 しかも、本意見は環境保全上の見地から意見を述べるという環境影響評価準備書に対する意見の枠外にある意見である。

 そのため、事業者が「当社が意見を申し上げることではございませんが」と切って捨てるのも分からなくない。

 だが、そもそも林道廃止の原因をつくったのは日和田カントリークラブ造成事業であり、だからこそ付け替え林道をコース内に設置する旨を別意見に対する見解で提案しているのである。

 林道廃止および林道開設委員会の決算書の問題は、このあと開設委員会の不正経理問題として拡大し、最終的には開発許可に対し致命的な影響を及ぼし、事業そのものの失効につながることになる。

○意見その10 ゴルフ場建設の反対について(意見数:19)

 日和田カントリークラブの建設計画に反対します。

(事業者見解の概要)

 ストレートな意見だけに、かえって事業者見解には事業者の「思惑」や「説得の論理」がよく現われている。

 そこで長いが全文引用しておこう。

 「当事業の推進に就きましては、自然を活かした、自然と親しみながらスポーツを楽しめるゴルフ場の建設を目指し、自然への影響をできる限り小さくとどめることを基本としております。したがって、ゴルフコースの造成面積を最小限に抑えるとともに、計画地にある緑は、可能な限り現況のまま存置するなど,自然環境の保全につきましては十分な配慮を行う方針でおります。また、県及び町当局からも自然環境の保全及び災害の防止等の観点から種々の指導を受けるとともに、『ゴルフ場等の造成に関する指導要綱』『埼玉県環境影響評価に関する指導要綱』等に基づき必要な手続きも順次踏んでいる次第であります。

 さらに、当事業の創設によって、雇用の機会、固定資産税、娯楽施設利用税等の徴収による税収の増大などの利益の還元により、地域社会への貢献度を高めてゆくよう、より一層の企業努力をしてゆく覚悟です。

 当事業は、地元住民の方々のご理解とご協力により、はじめて成立するものであり、当社といたしましても、積極的に住民懇談会等の機会を設けさせていただき、地元の方々と協議を重ねることにより、御意見の尊重を図るよう努めてまいる所存でおりますので、今後とも何卒宜しくご指導を賜りますようお願い申し上げます」

 一見、丁寧な表現だが、その内容は一方的に事業者側の論理を主張したものであり、看過できない点が多々ある。

 まず自然を活かすというならば、58.36ヘクタールもの広大な山林を切り崩す計画そのものが矛盾している。いくら残存樹林地を残し、現況のまま存置するといっても、それによって3本の尾根を切り崩し、その土砂で2本の沢を埋めるという大規模な自然改変を正当化することはできない。

 また、県ゴルフ場等の造成に係る指導要綱に基づくといっても、審査する県自体が明らかに審査基準を満たしていないのに速攻で立地承認を下すなど、ゴルフ場寄りの姿勢が明らかなだけに信頼するに当たらない。

 「埼玉県環境影響評価に関する指導要綱」についても、本当に自然環境の保全や災害の防止に向け十分に事業者を指導しているとは思えない。

 それは次に見る「知事審査意見」のきわめて「甘い」内容からも一目である。

 少なくともバブル最盛期であった1985年当時、ゴルフ場の造成に関しては、地元市町村、埼玉県は事実上一体になって事業者とともに推進してきたといっても過言ではない。

 事業者見解の中段は、まさに当初造成事業申出書に当時の日高町長が添付した意見書そのままの理屈である。

 つまり、ゴルフ造成により、雇用機会の増加や固定資産税の増収などにより、町の活性化に貢献するという理屈である。

 これが全くの欺瞞であることは既に述べたとおりである。

 最後の「積極的に住民懇談会等の機会を設けさせていただき、地元の方々と協議を重ねることにより、御意見の尊重を図るよう努めて参る所存でおります」にいたっては、全く事実に反している。

 それまで事業者は山林所有者やそれ以外の地元住民と意見交換する住民懇談会等の機会を積極的に開催していたかというと、その努力は全く見えない。

 環境アセス評価書までに開催した住民説明会は、限られた住民しか参加していない1983年の2回の発起人会主催の説明会、そして1985年4月5日の環境アセス準備書に関する事業者説明会のたった3回のみである。

 しかも、環境アセス手続きが終了した後、造成事業が失効する1988年11月14日までの約3年間、住民懇談会等、意見交換の場は1回も設けられなかった。

 事業者は、あくまでも町当局や推進派の有力者との会合のみを陰で開いていただけであった。

○意見その11 計画地土地所有者の反対について(意見数:4)

 土地を売らず、貸さず、交換いたしません。

(事業者見解の概要)

 これも反対地権者からのストレートな意見なので、事業者見解の全文を引用しておこう。

 「当事業計画に当たりましては、自然を活かし、出来る限り造成(改変)面積を少なくし、残存緑地を多くし、又自然と調和するよう計画致しました。

 現計画につきましては、以上のような観点から区域を限定し、関係の皆様方に御理解を頂ける様現在努力致しておりますし、又今後もより一層の努力を致してゆく所存でございますので、何卒御理解を頂ける様切にお願い申し上げます。

 しかしながら、万一御理解が得られない場合につきましては、計画の一部変更もやむなきと思っておりますが。将来に亘って安全度の高い、そして緑豊な、地元の皆さんに密着した、誇れる施設として建設致す為に、何卒御理解を賜ります様重ねてお願いいたします」

 一見丁寧な言葉でで、計画について理解するようお願いすると述べているが、それは実際にはそれ以降展開される事業者と推進派がグルになった地権者に対する各個撃破を予告しているにほかならない。

 事業者や推進派などが反対する山林所有者へかけた圧力がいかに過酷であったのかは後に述べるが、前記の一見丁寧な言葉が、熾烈な攻勢の開始宣言であったのである。

 最後の「計画変更やむなき」という言葉は、まさに「ウソ」という以外にない。

 念頭にもない「計画変更」をちらつかせ地権者への歩み寄りを示しているのは、「もの分かりの良い事業者」を装っているに過ぎない。

 最後に、準備書に対する「知事の審査意見」に少し言及して本節を終えたい。

 知事審査意見は、知事の諮問機関(審議会等)である「環境影響評価技術審査会」(各分野の学識者で組織)での準備書の審議をへて、とりまとめた答申をふまえ、まとめられたものである。

事実上「環境影響評価技術審査会意見」といっても差し支えない。

 地象や水象、騒音、振動、災害、動植物、景観等の専門家の組織する審査会の意見というからには、かなりきびしく計画の大幅修正を迫るものかというと、そうではない。

 少なくとも、この時期(1980年代から90年代はじめ)における技術審査会の意見(=知事の審査意見)は、計画の微修正のみを要請するものに過ぎず、むしろ計画自体に知事のお墨付きを与える役割を担っていたといっても過言ではない。

 それは、当時の審査会の委員が、俗にいう「御用学者」で占められていたことからも良く分かる。

 さて、知事の審査意見は、1.地象・水象について、2.動物について、3.植物について、4.景観についてとなっている。

しかし、1は2行、2は(1)と(2)を合わせて4行、3も(1)と(2)を合わせ5行と信じられないほど簡単である。

 内容も、動物について具体的な希少種に触れ、個々の種に関する保全策を提言するというものではなく、単に「貴重種の移植、湿地の造成等具体的に検討することが望ましい」などと一般論を述べているだけに過ぎない。

 そんななか、珍しく4の「景観について」は(1)~(3)まで3点にわたり、全部で6行を割くなど、やや突っ込んだ指摘をしている。

 そこで紙幅の都合から、4.景観についての(2)「奥武蔵自然歩道のルートにある高指山休憩所、日和田山山頂付近からの景観眺望について、可能な限り自然景観の雰囲気を残すよう保全対策に努める必要がある」について、事業者の見解を紹介しよう。

 まず「高指山休憩所」は、現在の「茶店ふじみや」の場所を指している。

 事業者の予測によると、事業実施後、高指山休憩所から「造成地の北半分の区域がよく眺望されるようになります。この区域には、ゴルフコースが東西方向に長く配置(5、7、8、12番ホール)されており、高指山休憩所からは前後に展開しているように見えるようになります。そのため、ゴルフコース間の20㍍以上の幅をもった造成樹林によっても、ゴルフコースの芝地の遮蔽は全面的なものとはならず、現況より明るい色の緑が増加することは避けられません」と認めている。

 もし日和田カントリークラブがオープンしたら、「ふじみや」の地点からゴルフコースの4ホール分が全面的に眺望できるという驚くべき事実である。

 これに対し、事業者がとる対策は、「造成樹林地の樹種構成を適切なものとすることにより、現況の自然景観の雰囲気を残すことは可能であると考えられます」というだけである。

 日和田山山頂からも、事業実施後には「造成地の北端の一部を除くほとんどの区域が眺望できるようになります。この区域には、ゴルフコースのほとんどが望め、クラブハウスも見えます」と予測している。

 何と、日和田山山頂からは、クラブハウスを含むゴルフコースのほぼ全域が間近に眺望されるようになるというのだ。

 これに対する対策は、南側のゴルフコースの芝地→コース間の20㍍以上の幅をもった多層構造の造成樹林で相当程度遮蔽、北側のゴルフコースの芝地→造成樹林地の構成種を適切なものにすることにより、現況の自然景観の雰囲気を残す、クラブハウス→日和田山山頂か付近からみたクラブハウス前面に遮蔽植栽を行い、クラブハウスが目立たないようにするなど、小手先の対策にとどまっている。

炭窯林道開設委員会の不正経理問題

 環境アセス評価書の縦覧が終わり、1985年11月以降、いよいよ開発に向けた手続きは、最終局面の開発許可の申請(林地開発許可申請など)となった。

 森林法第10条の2にもとづく林地開発許可、都市計画法第29条にもとづく開発行為許可、そして農地法第5条にもとづく農地転用許可のいずれについても、定められた審査基準をクリアするかぎり、許認可権をもつ埼玉県は「標準処理期間」内に許可しなければならない。

 既に事前協議が終了し(立地承認済み)、環境アセス手続きを終えている限り、開発許可申請をすれば短期間(標準処理期間)で許可が下り、着工できると業者や推進側は思い込んでいた。

 実際、アセス評価書では、前記のような楽観的な見通しを受け、工事の実施期間を1986年1月から1987年10月としていた。

 つまり、造成事業の失効期限である1988年11月14日よりも1年以上前に工事が終了し、ゴルフ場オープンにこぎ着けることができると事業者はみていた。

 実をいうと、林地開発許可等の法手続きの申請が出たかどうかについては定かではないが、さまざまな事情から推察して事業者が提出した林地開発許可等の申請を県が受理した可能性はある(ただし、事業者から提出された林地開発許可申請を県林務課が受理したとの文書は「埼玉県公文書館」には残っていない)。

 かりに県が林地開発許可申請を受理し、許可の前提としてアセス手続き等を踏まえ、「林地開発許可制度の4要件」である「災害の防止」「水害の防止」「水の確保」「環境の保全」の4つがクリアされていたとしても、「開発行為を行うことの確実性」を担保するものとして、森林法施行規則では「開発行為に係る森林について当該開発行為の施行の妨げとなる権利を有する者の相当数の同意を得ていることを証する書類」の添付を要求している。

 しかし、環境アセス終了時においても、事業者は日和田カントリークラブ造成事業の施行の妨げとなる権利を有する者の相当数(林野庁長官通知では「3分の2以上」の者から同意を得ており、その他の者についても同意を得ることができると認められた場合」)の同意をえているとは到底言えない状況にあった。

 さらに、林地開発許可の前提として、予定地内の林道、町道等の廃止への同意、水利権の廃止への同意を得る必要がある。

 ここで最大のネックになったのが、造成予定地のど真ん中にある炭窯ヤツに沿った「炭窯林道」の廃止・付け替え問題である。

 炭窯林道は、高麗本郷の市原集落で国道299号線から分かれ炭窯ヤツに沿って延び、さらに炭窯ヤツが表炭窯ヤツと裏炭窯ヤツに分かれたのち、前者に沿って炭窯林道本線、後者に沿って炭窯林道支線がそれぞれ上流に向かって延びている。

 炭窯林道は、同ヤツ中流や上流に山林をもつ山林所有者(地権者)が木を切り出したあとに運び出すため、そして間伐作業を行うために建設を町や県に要請してつくった「一般補助林道」である。

 建設にあたっては、山林所有者、町役場、町議会議員それぞれの代表で組織した「林道開設委員会」が中心的な役割を担った。

 建設は1968年から70年にかけて行われ、事業に要した資金のうち、受益者負担ということで、3分の1を負担金として山林所有者が負担。それ以外を県や町が助成した。

 山林所有者の負担総額は713万3,000円だったが、林道開設委員会からの請求は440万円ずつ3回来たという。

 しかし、2回の請求で既に880万円と、負担総額よりも170万円近く超過したので、実際には2回でストップされた。

 山林所有者が超過して負担した分(約170万円)については、のちに林道開設委員会から地権者にバックされた。

 だが、問題は工事終了の1970年に会計報告が公表されるはずなのに、それからずっと報告がされず、日和田カントリークラブ造成事業に係る環境アセス準備書に対する住民意見書提出締め切り直後の1985年5月になって、急遽報告書が作成された。

 しかも、会計報告(決算報告)では、山林所有者から徴収しすぎ、超過分をバックすることになった額を、支出項目に「謝礼」として記載した。

 さらに、山林所有者に対して、公式の会計報告(決算報告)とは別に「別途会計報告書」が送付され、そこではバックした分を本編の「謝礼」の代わりに「補償金」として「支出項目」に計上していた。

 「別途会計報告書」の「補償」の費目をさらに細かく見ると、立ち木の補償という費目が最も多く、さらに道路用地の補償などの費目もあった。

 林道建設にあたって伐採した立ち木の補償についてもおかしな点が多かった。

 まず、「別途会計報告書」では補償金が1968年当時坪5,000円となっていたが、当時の実際の相場は坪2,000円程度である。

 しかも、地権者以外の名前も散見された。

 これらは、負担金の超過徴収分をバックした額に補償金を無理矢理当てはめるために、相場額を2倍以上にしたり、幽霊地権者を追加するなどの作為を施したものと推定される。

 関口さんの言葉を借りると、「(炭窯林道の)開通式に出席もしない人間が出たことにして支出をでっちあげた」のである。

 さらに「道路補償」という費目についても、林道建設予定地に家があったわけでなく、これも補償金を負担金の超過徴収分に近づけるための作為であると推測される。

 要するに、炭窯林道建設委員会は、林道建設から15年もあとに建設に係る収支報告書(会計報告書・決算報告書)を出してきたが、それは明らかにゴルフ場造成に伴う林道廃止に向けた布石であった。

 だが、急遽作成した収支報告書はお粗末なもので、超過負担分をバックした分を正直にその旨を記して支出欄に明記すればよいものの、本編では「謝礼」、地権者用の「別途会計報告書」では「補償」という費目にし、しかも、補償では前記のようなねつ造を行ったのである。

 収支報告書が林道完成から15年間も作成されなかっただけでも大問題なのに、慌ててつくった報告書が2種類あり、しかも地権者用の収支報告書では意図的なねつ造が行われていたとなると、そんないい加減な事業に県や町の公費が投入されていたことになり、行政への信頼性を揺るがしかねない大問題であった。

 さらにいうと、「別途報告書」なるものをつくったのは、当時の日高町の幹部職員(林道開設委員会の中心メンバーである幹部職員とは別の職員)であるという事実が分かり、町役場ぐるみの不正であったことが分かった。

 自治体管理の一般補助林道を廃止する場合、自治体が中心となり、森林組合や林道開設委員会などと協議しながら、必要に応じ山林所有者の意見も聴きつつ決定するのが通例である。

 炭窯林道の場合、日高町が林道開設委員会と協議を行い、必要に応じ山林所有者の意見も聴きつつ手続きを進めることになるが、肝心の林道開設委員会が林道完成後15年も経ち、ゴルフ場造成手続きが進むなか、あわてて収支報告書(決算書)を提出する始末。

 しかし、それが前に述べたように正式なものと山林所有者向けのものでは負担金取り過ぎを返還した分を前者では「謝礼」、後者では「補償」として支出項目に計上。

 しかも、山林所有者向けの「別途会計報告」における「補償」の内訳がデタラメであったとすれば、開設委員会が廃止協議の当事者としての資格を欠くのは当然である。

 その上、開設委員会の主要メンバーは日和田カントリークラブ造成事業の地元説明会(1983年3月と5月)にあたり、発起人となったゴルフ場建設推進派の筆頭である。

 加えて「疑惑の」別途会計報告を作成したのが、日高町役場の幹部職員であるとなると、日高町も林道開始の当事者能力を欠くことは明らかである。

 そうなると、県庁林務課が直接山林所有者の意見を聴き、廃止手続きを行うことさえ考慮すべき異常事態だが、果たして山林所有者のうち全体の何パーセントの同意を得るべきかに関しては、明確な基準はない。

 この事態を踏まえ、林道開設委員会の不正経理問題を告発した関口さんたちは、山林所有者(地権者)全員の同意なしには炭窯林道の廃止はできないと強く主張。

 関口さんたちは山林所有者に対し、「全員の同意なしに林道の廃止はできない」と訴え共感を獲得する一方、町議会では協力してくれる共産党の町議と連係して不正経理問題を徹底的に追及するという「両面作戦」で、開設委員会のメンバー(ゴルフ場計画推進派の中心人物)と日高町、町議会議員等を追い詰めていった。

ゴルフ場造成事業の「失効」(1988年11月14日)

 関口さんたちの「両面作戦」はじわじわと浸透していった。

 だが、事業者もこの状況に対し、受け身の立場でいたわけではない。

 環境アセス手続き終了後、林地開発許可に向け、事業者による山林所有者への攻勢(各戸撃破)は、一層強化した。

 林業の担い手は高齢化し、後継者もなく、相続税や固定資産税、間伐費用など所有しているだけでも相当額の費用が必要になる。

 安い輸入材により、木材価格は下落。

 手放そうと思っても、林業者には売れず、結局引き受けるのはゴルフ場業者や廃棄物処理業者などしかない。

 時期はずっとあとになるが、日高市(旧日高市)の北側にある入間郡毛呂山町は、「広報もろやま」2014年8月1日号で「山のある町」という特集を組み、そのなかで町内の林業の実態について生々しい声を集めている。

 そのなかで、飯能市、日高市、毛呂山町、越生町を管轄し、植林、伐採、間伐、枝打ち獣害対策、森林相談など山林に関する様々な業務を行っている「西川広域森林組合」(飯能市森林組合、東吾野森林組合、越生町森林組合、毛呂山町森林組合、名栗村森林組合が合併し、2002年6月に発足)の組合長は、次のように語っている。

 「現在、木材の価格が安くなっていることが、大きな問題のひとつです。林業だけを生業とすることが困難になったため、放置され、荒廃してしまっている山も少なくありません」(「広報もろやま」2014年8月1日号)。

 同じ特集で、毛呂山町大字権現堂の山林所有者も「毛呂山町で、山を維持管理している人は、かなり減ってしまいました。私を入れても数人しか残っていないのではないでしょうか」と山林所有者減少の深刻な実情を語っている。

 毛呂山町の山林所有者は次のように続けている。

 「その原因としては、木が売れにくくなったことや、仕事が重労働であることなどが考えられます。

 以前は、住宅の建築材のほか足場材など様ざまなものに使用されていたのですが、安価な外国産の材木が大量に入ってくるようになったことで、国産材の需要はめっきり減ってしまいました。また、木の育成には、長い年月がかかります。植林は約100年先を見越して行います。優良材にするため、下草刈りや枝打ち、除伐、間伐などを繰り返すことは大変な作業です。最近では、ニホンジカによる食害も広がっています。こういった環境が改善されない限り、林業で生計を立てるのは、難しくなりました」と、苦しい実情を語っている(「広報もろやま」2014年8月1日号)。

 横手や高麗本郷の山林も、例外ではない。

 ゴルフ場予定地、なかでも廃止予定の炭窯林道周辺の山林の大半がスギ、ヒノキの植林である。

 「西川材」と呼ばれる良木の産地である横手や高麗本郷の山林も、先の毛呂山町権現堂と同様、山林所有者のなかで実際に山を維持管理している人は急減し、山林を所有しているだけの人も、固定資産税などで苦しんでいる。

 そこにつけ込んだのが日和田カントリークラブの事業者や推進派の有力者である。

 山林所有者は、林道開設委員会の不正経理に腹を立てながらも、現実の苦境を前に続々と山を売ったり、貸すことを選択し、スズメの涙ぐらいの金で、林道廃止、町道廃止、水利権廃止の同意書にハンコを押すとともに、敷金90万円、1反10万円程度の額で賃貸借契約を事業者と結んでしまった。

 最終的には関口さんをはじめ4~5人以外はすべて同意するという状況に追い込まれた。

 こうして、失効となる1988年11月14日の直前、大半の山林所有者が賃貸契約に応じ、林道廃止・水利権廃止に同意した結果、日和田カントリークラブ造成事業は着工寸前まで行った。

 いつでも林地開発許可が出てもおかしくない状況であった。

 関口さんの話では、事業者は重機を運び込んで、いつでも工事を始めることのできる態勢にあったという。

 しかし、最後の最後になって、まずは計画地内に20町歩を所有する市原最大の地権者(彼はゴルフ場説明会開催の発起人でもあった)が反対に回り、事業者に土地を貸さないし、ましてや売らないことを明言した。

 関口さんによれば、この財産家は最後まで関口さんたちのグループと行動をともにせず、反対に回った理由にも不明朗な点があるが、ともあれ関口さんたちのグループにとって大手地権者が売らない・貸さないこと宣言したことは、「開発行為を行うことの確実性」を失わせることになり、事業者にとって大きな打撃になった。

 関口さんは「たった10人でも、地権者が売らなければ大きな力になる」と述べていたが、それがまさに実現されたのである。

 さらに炭窯林道開設委員会の不正経理とそれに加担した日高町役場の問題に対する関口さんや連携する町議の追及の結果、開発許可を下す県林務課が林道廃止に対し、次第に疑問を抱くようになった。

 県庁にほぼ毎日通ったという関口さんの尽力が報われる瞬間が近づいていた。

 最後のパンチになったのが、農振除外問題である。

 計画地内の農業振興地域内の農地をゴルフ場などの農地以外の用途に転用するため、農用地区域から所外する手続きである。

 事業者も、農振除外が進まないことに業を煮やしていた。

 1988年10月3日、伊豆長岡のホテルで農業委員会の会合が開かれ、用地を農振地域から除外する相談が行われていた。

 実は、ホテルでの会合は事業者がお膳立てしたものであった。

 この情報を得た共産党の町議は、「これでいいのか」と町議会で追及。

 これに対し、議長が暫時休憩を宣言し、そのまま議会は閉会。

 結局、農神除外はそのままになり、実現しなかった。

 つまり、事業者は山林所有者の苦境につけ込んで、林道廃止、町道廃止、水利権廃止への同意書を得る一方、予定地の土地を賃貸で入手していった。

 着工に向けた準備も万端で、反対運動もこはやこれまでというのが、失効直前の情勢だった。

 ところが、最後の最後になって、大手地権者が反対に回り、農振除外も失敗、そして「予定地のど真ん中にある炭窯林道のごまかし」を県が重要し、最終的には県林務課がこの状況を前に、「とても許可を出せる状況にない」と判断。

 1988年11月14日までに林地開発許可が出ず、日和田カントリークラブ造成事業は「失効」となった。

 関口さんは、事業者が最後の最後になって敗北したのには、事業者や行政(日高町)が、炭窯林道の廃止」・付け替えが簡単にいくだろうと楽観視していたことが原因ではないかと推察している。

 だが、炭窯林道の廃止は、林道開設委員会の不正経理問題に火をつけることになった。

 繰り返していうが、それには林道開発委員会の有力メンバーとゴルフ場推進派の中心人物が共通していたという実情が存在していた。

 さらに、林道廃止に伴う付け替え道路について、「ゴルフ場外に設置して欲しい」という山林所有者大勢の要望が却下され、「ゴルフコース内に設置する」という事業者の提案が出された。

 しかし、それが実現性のない、その場しのぎの案であるころは衆目が一致していた。

 なぜなら、かりにゴルフコース内に林道を付け替えても、利用できるのはゴルフ場の休業日などに限られるなど、使用がゴルフ場の都合次第であるという点を見抜いていたのである。

 ともあれ関口さんたちの3年にわたる粘り強い反対活動、なかでも林道開設委員会の不正経理問題への追及が、最終的な計画失効につながった。

日和田カントリークラブ計画跡地の一部にメガソーラー設置計画が浮上―高麗本郷のメガソーラー設置計画をめぐって―

失効後に残された課題

 日和田カントリークラブ造成事業は、1988年11月14日のリミットまでに着工することができず、失効した。

 これで106ヘクタールの予定地大半の森林は保全され、炭窯ヤツの2つの林道(林道炭窯線・炭窯支線)も守られた。

 だが、これで問題が終わったわけではなかった。

 事業の失効から約1年7ヶ月を経た1990年6月10日のヒアリング時に、関口さんは跡地がどうなるかとの懸念を表明した。

 予定地のかなりの部分について、地権者は事業者と賃貸の契約を結んでいた。

 賃貸契約の内容は既に消化したが、敷金90万円、1反当たり10万円という内容であった。

 失効後の1990年6月時点で、多くの地権者が2年間の賃貸分20万円を受け取っていた。

 だが、10年後の再契約のときに、計画が失効しただけに事業者がどう出てくるのか。

 あるいは事業者が計画地を一括で転売するのか、それとも細切れで転売するのか。

 その場合、借主が変わることになるので、賃貸契約がどうなるのか。

 また、ゴルフ場計画は頓挫したが、別の事業者に転売した場合、ゴルフ場以外の開発計画が浮上する可能性もある。

 いったん事業者に貸してしまうと、事業者の出方によっては、再度山林は大幅に地形改変される危機に遭遇するかも知れない。

 その意味で、関口さんたちの運動は当面のゴルフ場計画の阻止に終わらない。

 このポストゴルフ場問題も踏まえ、関口さんが語ってくれた次の言葉が私の頭に深く刻み込まれている。

 「山林は、私たちが祖父の代から借りているもの。そして、子どもや孫から預かっているもの。

 木は子どもと同じ。手入れをしなければ育たない。金のためにやっちゃいけない。子どもを育てるのと同じ気持ちでやらなければならない」

高麗本郷太陽光発電設備設置計画の浮上

 小川町と東秩父村との境に聳える官ノ倉山の小川町で造成中のゴルフ場が、建設途中で事業者が経営破綻し、造成地はそのまま放置された。

 造成中断から20年近くをへて、小川町側のプリムローズカントリー倶楽部造成跡地でメガソーラーの建設が計画され、その後4年以上にわたり住民と事業者との間の対立が続いた。

 実は、日和田カントリークラブ計画跡地の一部にもメガソーラーの建設計画が持ち上がった(図11)。

図11 高麗郷と高麗本郷太陽光発電設備設置予定地(高麗本郷メガソーラー問題を考える会のチラシ「高麗郷を乱開発から守るために」より)

 場所は、日和田カントリークラブ予定地の南東端。

 大字高麗本郷市原地区背後の山林で、面積約15ヘクタール。

 予定地の約2割は日和田カントリークラブ予定外(大字高麗本郷市原集落裏山)だが、残りの約8割は日和田カントリークラブの予定地と重なる。

 高麗本郷の市原集落から炭窯ヤツを北上する予定地は、すぐに日和田カントリークラブ予定地跡内に入り、炭窯ヤツに沿って北上し、表炭窯ヤツと裏炭窯ヤツとの分岐点にいたり、さらに奥に表炭窯ヤツに沿って北に延びている。

 メガソーラー建設予定地の東端は、日和田カントリークラブ造成により切り土されるはずだった「九郎曽根」の末端を含んでいる。

 事業者は東京都渋谷区に本社のある太陽光発電事業者「TKMデベロップメント株式会社」。

 同社は、以前からこの地でメガソーラーを計画していた別の事業者から2017年1月、再生可能エネルギー特別措置法にもとづくFIT(固定価格買取)認定を継承。

 2018年5月以降、土地取得を本格化させ、2018年9月には予定地の8割の土地を所有する市原地区の最大手地権者と土地に対する地上権設定契約を結び、2019年3月にはすべての土地売買・賃貸の契約を終えたという(「行政調査新聞」2019年8月13日付)。

 土地取得と並行して、事業者は2018年11月から予定地の隣接地区で地元説明会をスタートさせた。

 事業内容は、約15ヘクタールの山林のうち約10ヘクタールを造成し、そこに総発電出力1万1,298kwのメガソーラーを設置するというものである。

 これに対し、予定地と高麗川を挟んで向かい合う武蔵台や横手台など高台の住宅分譲地に住む住民を中心に反対が起こった。

 反対住民は「高麗本郷メガソーラー問題を考える会」を結成。

 2019年3月に地質学の専門家を招き、予定地周辺の沢(炭窯ヤツなど)で地質調査を行った。

 それによると、予定地やその周辺は「断層の破砕により岩盤がもろくなった傾斜のある地質で、その岩盤を支えていた樹木や表層の土地をすべて剥ぎ取ること、また、30度以上の高傾斜の急斜面が点在する地形にメガソーラー施設を建設することは、山麓周辺の住民にとって限りなく危険であると言わざるを得ません」(高麗本郷メガソーラーを考える会「高麗郷を乱開発から守るために」)と、土砂災害が起きるリスクを指摘した。

 「高麗本郷メガソーラー問題を考える会」が2019年5月に埼玉県知事や日高市長に提出した要望書でも、「土砂災害が起こるリスク」を強調している(河野博子「日高市メガソーラー訴訟『地裁で却下』の重大背景」東洋経済オンライン、2022年5月26日)。

 さらに、首都圏でも有数の彼岸花(曼珠沙華)の群生地として、日高市の観光の中心地である「巾着田」からも、日和田山の左側にメガソーラーが望まれることになる。

 これは巾着田からの景観を損なうものであり、日高市が打ち出す「観光の聖地」に大きな打撃を与えるとの指摘を「考える会」は行っている。

 もっとも、これに対しては、「太陽光発電設備は巾着田から見える位置にはならない。TKM社は住民説明会で設備が配置された景観シミュレーションとして完成予想の合成写真を見せながら、太陽光パネルなどが、およそ地上から見えることはないと示している」(「行政調査新聞」2019年8月15日付)という指摘もある。

 その一方で、予定地に隣接し、予定地の地権者の大半が住む高麗本郷市原地区の住民からは、「反対するのではなく、熟議を尽くすことを求める」との要望も日高市に出されていた。

 「TKMデベロップ社」が設置予定のメガソーラーの出力1万1,298kWは、2020年4月1日から国の環境影響評価法施行令の一部改正により、対象となるメガソーラーの容量(4万kW以上は環境アセスが義務化される第一種事業、3万kW以上4万kW未満は環境アセスを実施すべきかどうか個別に判定される第二種事業)未満である。

 そのため、国の環境アセスの対象とはならない。

 そうなると埼玉県環境影響評価条例の対象事業になるかどうかだが、埼玉県の場合、メガソーラー設置事業を「住宅団地の造成」事業のカテゴリーにあてはめ、「施行区域の面積50ヘクタール以上」でないと、県アセス手続きの対象とならない。

 つまり、高麗本郷メガソーラーの出力1万1,298kW、面積15ヘクタールは、国のアセス、埼玉県のアセスいずれもの対象事業にならない。

 そのため、既に前事業者が認定されたFIT認定を継承しているので、県の林地開発許可等の開発許可手続きさえクリアできれば設置が可能になる。

 もちろん、林地開発許可申請の審査にあたって、4要件とされる「災害の防止」「水害の防止」「水の確保」「環境の保全」をクリアする必要がある。

 しかし、これらの審査も基本的には事業者が提出する資料に沿って行うものであって、アワスメントとかアワセスメントなどと揶揄され、事業実施に向けての通過儀礼にしか過ぎないと批判される環境アセス手続きと比較しても、審査の厳格さや第三者視点の導入、住民との意見書→見解書などのやりとりなどの点で手薄な感は否めない。

 つまり、アセスの対象事業となる規模や出力があっても、官ノ倉山のゴルフ場造成地跡のメガソーラー事業のように、一度も住民説明会を開催することなく、いきなり県との環境アセス手続きに入ることができる。

 国や県の環境アセスの対象とならない事業の場合、なおさら市町村の関与は低くなり、最悪のケースでは、立地市町村への事前相談や関係地域住民への説明会開催なしに、いきなり県への開発許可等の申請に入り、許可がおりれば着工ということになる。

 住民不在、市町村不在はここに極まった感があるが、さすがにこの住民不在や自治体関与なしに設置可能な状況が首都圏の丘陵におけるメガソーラー設置ラッシュを招いたことを反省にして、資源エネルギー庁は「事業計画策定ガイドライン」を策定。

 各自治体も、これをモデルにして、ガイドラインを策定して、事業者に自治体への事前相談や事前協議を行い、並行して近隣住民への説明会の実施を要請するようになった。

 日高市も2017年12月13日に「日高市太陽光発電設備の設置等に関するガイドライン」を策定した。

 同ガイドラインでは、総発電出力が10kW以上のものが対象事業である。

 そして、事業者が太陽光発電設備設置事業を行おうとするときは、まず地域住民等に対する説明会等を実施し、事業内容を周知するものとし、このときに住民から出された要望、意見等に対しては、誠意をもって対応するものとしている。

 説明会等を行った事業者は,太陽光発電設備設置事業に着手しようとする日の30日前までに、市長に届出をするものとしている。

 たしかに、ガイドラインの策定により、住民に対する説明会等を開催により事業の周知が図られるメリットがある。その点では、小川町のように住民説明会なしに環境アセス手続きやアセス対象事業ではない場合、いきなり林地開発許可等の手続きにいきなり入ることは避けられるメリットはある。

 しかし、住民説明会は開催されるとしても、日高市への届出は「着工しようとする日の30日前」であり、事実上、県による開発許可が出たあとに、事後的に日高市に届け出がなされるわけで、自治体不在の状況には変わりない。

 その意味で、ガイドラインによる行政指導に対し 松尾まよか日高市議が次のようにきびしく批判しているのは正鵠を得ている。

 「日高市をはじめ各市町村のガイドラインは、資源エネルギー庁策定の『事業計画策定ガイドライン』に基づき策定された、事業計画を円滑に進めるための指針であり、事業の抑制を目的に作られたものではありません。結果として、これまでの全国でソーラーパネル設置のための乱開発の問題があとを絶たず、各自治体では独自の条例をつくることで対応しているという背景からすると、本ガイドラインが機能しないということは、既に自明です。

 本計画(注:高麗本郷の太陽光設備設置計画)が進むなか、さらに、市内では今もさらなるソーラーパネル設置の営業が盛んにおこなわれているという現状も踏まえると、条例制定は急を要します」(日高市議会2019年第3回定例会一般質問:2019年6月20日)

 松尾市議が太陽光発電設備設置規制に関する条例制定を要望した2019年6月20日の時点では、日高市が回答は「現在、国、県の関連法令の整備状況を注視しつつも、先例自治体の情報収集を行っているところでございます。今後の見通しにつきましては未定でございますが、引き続き、慎重な検証を行ってまいります」と、慎重な姿勢を崩していない。

 だが、その後、市の慎重姿勢は一変し、条例制定に向けて急速に突き進んでいく。

 その転機になったのが、「高麗本郷メガソーラー建設計画に対する条例制定」を日高市に対して求める「高麗本郷メガソーラー問題を考える会」の要望書(2019年6月14日提出)である。

 考える会は、既に市内外の住民から約3,000筆に及ぶ署名を集め、2019年6月6日に埼玉県農林部、環境部に対し要望書を提出するなどの活動を行ってきた。

 そのうえで、「日高市が定めるガイドラインには、法的拘束力はありません。同計画に対し、実効性のある条例の制定を求める要望を提出します」と訴えた。

 先の日高市議会2019年6月定例会における松尾まよか市議の一般質問(2019年6月20日)は、6月14日の考える会の「条例制定を求める要望書」提出に対する側面からの支援であった。

 さらに決定打になったのが、2019年6月定例会の最終日である6月26日、高麗本郷の山林約15ヘクタールにTKMデベロップ社が設置を計画している大規模な太陽光発電施設について、議会としての反対の意思を示す「太陽光発電施設の建設に対する反対決議」を賛成多数で可決。

 そして、国に対し太陽光発電施設の設置に関する法規制を求める「太陽光発電施設の設置に対する法整備等を求める意見書」を全員一致で可決したことである。

 次に少々長くなるが、日高市議会の反対決議、および国に対する法整備等を求める意見書の全文を引用しておきたい。

 「【大規模太陽光発電施設の建設に対する反対決議】

 現在、日高市大字高麗本郷字市原地区にTKMデベロップメント株式会社が計画している大規模太陽光発電施設の建設について、以下のように判断する。

  • 建設予定地は、国道299号北側に位置する山の南斜面、面積は約15ヘクタールで東京ドーム約3個分に相当する。この建設によって緑のダムといわれる森林は伐採され、水源かん養機能が失われ集中豪雨による土砂災害や水害の危険性が飛躍的に高まる。このことは建設予定地の下流域に住む市民の生命に対する重大な脅威となる。
  • 太陽光発電事業は参入障壁が低く、さまざまな事業者が取り組み、事業主体の変更も行われやすい状況にある。発電事業が終了した場合若しくは事業継続が困難になった場合においては、太陽光発電の設備が放置されたり、原状回復されないといった懸念がある。
  • 建設予定地には、埼玉県希少野生動植物の指定を受けているアカハライモリや埼玉県レッドデータブックに掲載されている絶滅危惧種のトウキョウサンショウウオなどの希少動物並びにオオキジノオ、アリドオシなどの希少植物が生息している。大規模太陽光発電施設の建設工事が始まれば、これらの希少生物の行き場がなくなり、日高市の貴重な財産を失うことになる。

 日高市の財産である日和田山や巾着田を含む高麗地域の景観や周辺の生活環境を守り、防災並びに自然保護及び自然調和に万全を期すことが必要である。このことから、今後地域住民の理解が得られないまま大規模太陽光発電施設の建設が行われることになれば、日高市議会としては、これを看過できるものではなく、大規模太陽光発電設備設置事業の規制等を含む対策に関する条例の制定等に全力で取り組む所存である。

 よって、日高市議会は大規模太陽光発電施設の建設に反対する。

 【太陽光発電施設の設置に対する法整備等を求める要望書】

 太陽光発電は、温室効果ガスを排出せず、資源枯渇の恐れれがない再生エネルギー源で、地球温暖化の防止や新たなエネルギー源として期待されている。特に平成24年7月の固定価格買取制度(FIT法)がスタートして以降、再生可能エネルギーの普及が進み、中でも太陽光発電施設は急増している。また、埼玉県は快晴日数が全国一という特徴からか、本市においても太陽光発電施設が増加し、今後もさらに増えることが見込まれている。

 しかし、一方で、太陽光発電施設が住宅地に近接する遊休農地や水源かん養機能を持つ山林に設置され、周辺環境との不調和や景観の阻害、生態系や河川への影響が懸念されている。さらに傾斜地や土地改変された場所への設置は、土砂災害に対する危険性が高まり、地域住民との間でトラブルとなっている。

 このため本市は、『日高市太陽光発電施設の設置に関するガイドライン』(平成29年12月策定)その他関係法令に基づき事業者への指導を行っているが、直接的な設置規制を行えないことから対応に苦慮しているのが実情である。

 よって、太陽光発電が地域社会にあって住民と共生し、将来にわたり安定した事業運営がなされるために、国においては次の事項を早急に講じられるよう要望するものである。

①太陽光発電施設について、地域の景観維持、環境保全及び防災の観点から適正な設置がなされるよう、立地の規制等に係る法整備等の所要の措置を行うこと。

②太陽光発電施設の安定性を確保するための設計基準や施行管理基準を整備すること。

③発電事業が終了した場合や事業者が経営破綻した場合に、パネル等の撤去及び処分が適切かつ確実に行われる仕組みを整備すること。

④関係法令違反による場合は、事業者に対し、FIT法に基づく事業計画の認定取消しの措置を早急に行うこと。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」の制定

 2019年6月26日、日高市議会が「大規模太陽光発電施設の建設に対する反対決議」を賛成多数で採択し、議会自ら「大規模太陽光発電施設業の規制等を含む、対策に関する条例の制定等に全力で取り組む所存である」と宣言されてしまっては、市長は議会に対し、条例案を提出しなければならなくなった。

 市側の対応は迅速で、2019年7月には条例(骨子案)を作成し、市民に公表。

 パブリックコメントにあたる「市民コメント」の募集をへて、市の条例案を作成した。そのうえで、2019年8月22日に臨時市議会を招集し、そこで市議会は市長提案の「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」を全会一致で可決した。

 条例は、可決同日の2019年8月22日に公布され、同日から施行された。

 条例の内容を見ると、若干誤解を与える表現だが、まさに「高麗本郷太陽光発電設備設置事業」を狙い撃ちしたものであった。

 日高市は、「発電設備の規模」と「事業が行われる区域」との組み合わせに応じ、条例を適用するのか、それとも条例に先んじて策定された「日高市太陽光発電施設の設置等に関するガイドライン」を適用するのか、それとも両方(条例とガイドライの両方)とも適用しないのかを区別している(表1)。

表1 日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例(区域による条例の適用一覧:日高市役所資料より)

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 発電設備の規模についていうと、①事業区域1,000㎡以上かつ総発電出力50kW以上、②事業区域1,000㎡未満または総発電出力50kW未満かつ10kW以上、③総発電出力10kW未満の3つに分ける。

 まず「特定保護区域」については、上記の①~③のいずれについても、条例が適用され、市長は「同意」しない。

 それに準じる「保護区域」については、①に当てはまる場合は、条例を適用するとともに、市長は「同意しない」。②に当てはまる場合は、条例ではなく、ガイドラインが適用される。③の場合は、条例もガイドラインも適用されない。

 「特定保護区域」「保護区域」以外の区域については、①の場合条例が適用され、市長は「同意する」こともある。②の場合、ガイドラインが適用され、③の場合は、条例もガイドラインも適用されない。

 日高市条例の特徴は、「市長の同意」規定である。

 すなわち、条例が適用される場合、事業者は市長の同意を得る必要がある。

 ただし、繰り返しになるが、「特定保護区域」については、①~③すべての場合、市長は「同意しない」。保護区域でも①の場合、市長は「同意しない」。

 つまり、その他の区域の①のケースについてのみ、市長は同意するか、同意しないかの判断を求められる。

 問題の「事業が行われる区域」について、条例では、第8条で、太陽光発電設備設置事業を抑制すべきものについて、特に災害の発生の防止並びに良好な環境及び景観の保全のため保護すべき区域(=「特定保護区域)とこれに準じる区域(「保護区域」)を指定するものとしている。

 条例の施行規則によると、「砂防指定地」「急傾斜地崩壊危険区域」「地すべり防止区域」「土砂災害特別警戒区域」など法律で定める区域に加え、市の基本構想における「森林保全区域」、同じく基本構想における「ふれあいゾーン」を「観光拠点区域」として「特定保護区域」に指定するものとしている。

 具体的にいうと、「森林保全区域」は日和田山から高指山、高麗本郷、横手にいたる山林を含む一帯であり、かつての日和田カントリークラブ造成事業計画地全体、そして高麗本郷のメガソーラー設置予定地全体がこの区域に含まれる。

 「観光拠点地域」は巾着田(約30ヘクタール)である。

 「特定保護区域」に準じる「保護区域」は「鳥獣保護区」「農業振興地域内の農用地」「土砂災害警戒区域」「河川区域」「河川保全区域」「保安林」などである。

 やや込み入った説明で分かりづらかったかも知れないが、要は「高麗本郷太陽光発電設備設置事業」は全域が「特定保護区域」の範囲内にあり、しかも発電設備の規模が①のケースであるので、市長は太陽光発電設備設置事業に同意しない(図12)。

図12 太陽光発電施設の設置に市長が同意しない『特定保護区域』=森林保全区域・観光拠点区域(日高市役所資料による)

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 いくら住民説明会を実施しても、事業に着手しようとする日の60日前までに市長に届出をしても、市長の同意は得られない。

 そうなると、TKMデベロップ株式会社は事業から撤退せざるを得なくなる。

 本条例が「高麗本郷太陽光発電設備設置事業を狙い撃ちにしている」と述べたのは上記の理由による。

 だが、ことはそう簡単ではない。

 TKMデベロップ社は、日高市のガイドラインを遵守して、2018年11月から土地の取得と並行して地元説明会の開催をスタートさせた。

 そして「9回目の地元説明会を終えた直後の2019年8月、日高市臨時市議会が開かれ、条例案を可決し、同日公布・施行となった」(河野博子「日高市メガソーラー訴訟『地裁で却下』の重大背景」東洋経済オンライン、2022年月26日)。

 ガイドラインに従い、地元説明会を隣接地区で終了したあと、県に林地開発許可等の申請を行い、許可を得た後ないし許可が出る見込みが確実になった時点で、日高市に届け出を行い、その後着工という青写真を描いていたはずである。

 ガイドラインに沿った手続きの途中で、突然条例が制定・公布・施行され、計画地が「特別保護区域」であることから、「市長は同意しない」ということで、計画は白紙になった。

 この事実を踏まえ、TKMデベロップ株式会社と計画地の地権者11人が2020年は9月24日、日高市を相手に「太陽光発電設備設置事業の権利確認等請求事件訴訟」を浦和地裁に提訴した。

日高市メガソーラー訴訟の顛末

 訴状によると、原告はTKMデベロップ株式会社ほか11人で、11人は日高本郷市原地区の太陽光発電設備設置予定地の地権者である。

 被告は日高市。

 原告の請求の趣旨は、

①原告TKMデベロップ株式会社が、「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」及び「同施行規則」の規定にかかわらず、日高市内において太陽光発電設備設置事業を行うことができる権利(地位)を有することを確認する。

②同社以外の原告らが、「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」及び施行規則の規定にかかわらず、日高市内において太陽光発電設備設置事業に原告ら所有の土地を各自利用させることができる権利(地位)を有することを確認する。

  • 訴訟費用は被告の負担とする、の3点である。

 「権利(地位)の確認というと難しいが、日高市条例により営業の自由や財産権を侵害されたとする事業者や地権者が市条例は違憲であり無効であると主張した。

 注目の判決は2021年5月25日、さいたま地裁で言い渡された。

 判決は「原告の訴えを却下する」とするものであった。

 その理由について、判決では事業を実施するためには、再エネ特措法にもとづく認定事業者であっても、関連法令(林地開発許可を定めた森林法など)慣例法令の要件を満たす必要がある。

 その上で、TKMデベロップメントが、まだ林地開発許可を受けていない点などを指摘し、「TKMデベロップメントには本件事業を実施できる法的地位があるとはいえない」「判決により法的地位があると確認することが必要かつ適切であるとは考えることができない」としている(河野博子「日高市メガソーラー訴訟『地裁で却下』の重大背景」(東洋経済オンライン、2022年5月26日)。

 河野博子氏は、「裁判で原告側は『林地開発許可を得るための手続きに入る前で、条例により手続きを進めることが阻害される。そのような条例自体が違憲』とい主張していたが、判決は条例と法律の関係や条例の内容の是非に踏み込まずに、訴えを門前払いした格好だ」と判決に対しコメントしている(河野博子「日高市メガソーラー訴訟『地裁で却下』の重大背景」(東洋経済オンライン、2022年5月26日)。

 結果として市側や高麗本郷メガソーラー設置に反対していた住民側の勝訴となったが、河野氏が指摘しているように、判決にはすっきりしない感が残る。

 市のガイドラインに沿って地元説明会をしている途中、急に市が条例を制定し、市長が同意しないとされ、白紙撤回を求めた場合、果たしてこの措置が妥当なのかどうか。

 あるいは事業者が市の条例を無視して、県に対し林地開発申請を提出した場合、果たして県は受理できるのかどうかなど、条例をめぐっていくつかの重大な問題がある。

 これらの問題に対し、正面から判断することなく、単に「事業者がまだ林地開発許可申請を出していないため、保護されるべき法的地位をもたない」と形式的に判断し、事業者の訴えを門前払いする判決は、まさしく難しい判断を避けたものといわざるを得ない。

 日高市は判決後「原告の訴えが却下され、本市の主張が認められたものと受け止めております」との市長のコメントを発表。

 これに対し、事業者側の弁護士は「9割9分控訴する」と強気の姿勢を崩していなかった。

 ところが、さいたま地裁の判決から3週間後の2022年6月13日、TKMデベロップメント(原告)側の弁護士らは埼玉県庁で記者会見を行い、判決は同社が確定訴訟の当事者として適切ではないとする説明を行い、判決では市長の同意がなければ事業ができないわけではないなどと言及したことを指摘。

 その上で、「(判決は)制定趣旨や目的が曖昧な条例をきびしく批判した。(条例に)法的拘束性がないと言ってもらえたのが大きい」として、控訴をしないことを明らかにした(東京新聞、埼玉版、2022年6月14日付朝刊)。

 条例施行とともに、予定地がすべて「特定保護地域」に含まれ、市長の「同意しない」との対応が確実になったとき、「数億円単位の先行投資をし、事業ができなければ損害賠償請求も辞さない」という強気の姿勢をあらわにしていたのとは対照的なおとなしい幕切れだった。

 それから3年、TKMデベロップメントは撤退を正式に表明はしていない。

 だが、2022年6月13日の控訴断念の記者会見以後、同社には全く動きはなく、太陽光発電設備の設置を断念したと考えても良いだろう。 

埼玉県内の他自治体の太陽光発電設備の規制に関する条例との比較

 「日高市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」(2019年8月22日施行)は埼玉県内市町村では初の「太陽光発電設備の規制に関する条例」である。

 ただし、条例の内容や運用面についてみると、日和田山や高指山周辺の山林や巾着田など「特定保護区域」への発電施設の設置を、事業の規模にかかわらず、市長は同意しない(=認めない)とする規制力の強い条例である。

 その一方で、事業区域1,000㎡未満または総発電出力10万kW以上50kW未満の設備については、「特定保護区域」では条例は適用し、市長は同意しないとする反面、同じ規模の発電設備について、「保護区域」「その他の区域」では条例を適用せず、「ガイドライン」のみを適用するなど規制色は全くなく、行政指導としても弱い内容になっている。

 このように、日高市条例は、市のシンボルともいえる日和田山や高指山周辺の森林や巾着田など市の代表的な山や山林、そして市の観光拠点である巾着田への太陽光発電設備の設置にノーを突きつける一点集中型の条例となっている。

 その意味で、全地域が丘陵地帯だが、とくにランドマーク的な山がない自治体や全域が平地の自治体などではあまり参考にならないやや極端な内容になっている。

 そのため、日高市以後、集中する太陽光発電設備による土砂流出や濁水の発生、景観への悪影響、動植物の生息・生育環境の悪化などの問題に直面している埼玉県の自治体が続々と制定している条例は、日高市条例よりも、県内市町村第2号の条例である「川島町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2020年9月18日公布、2021年4月1日施行)をモデルにしているといっても良い。

 そこで比企郡川島市条例、および日高市に隣接する入間郡毛呂山町条例、飯能市条例を比較検討してみたい。

 川島町条例では、対象を出力合計10kW以上の設備を対象としている。

 第8条で「抑制区域」を定めているが、施行規則第3条は「抑制区域を川島町全域」としている。

 事業者は、まず町との事前協議を行い、事業区域周辺の住民に対する説明会を開催し、町長に説明会の結果を報告しなければならない。

 また、周辺関係者(周辺住民)は、事業者に対し、事業計画について意見を申し出ることができる。

 事業者は周辺関係者からの意見の申し出に対し、意見に対する見解、意見を踏まえ行ういきが措置の案等を周辺関係者に占め示さなければならない。

 さらに周辺関係者は事業者に対し、災害の発生の防止、生活環境の保全に関する事項について協定の締結を求めることができる。

 前記の事前協議、説明会等の手続きを踏まえ、事業者は町長に対し、太陽光設備設置工事に着手する日の60日前までに、太陽光発電設備の設置に関する計画届出書を提出しなければならない。

 町長は、必要があると認めるときは、事業者に対し、必要な措置を講じるよう指導または助言を行わなければならない。

 川島町は町内全域が平坦地であり、とくに特定の地域を抑制区域に指定できないため、町内全域を抑制区域としている。

 そして、事業者に対し、事前相談、説明会の開催を踏まえた計画書の届出を求め、必要に応じ、町長は指導または助言を行うとしている。

 ここでは、日高市条例のような特定保護区域における市長の同意なしのような強い規制は存在せず、周辺関係者(周辺住民)との合意形成(説明会・協定の締結等)と町による行政指導(事前相談・届出・指導および助言など)により、ソフトランディングさせることが主眼とされている。

 日高市が「特定保護区域」に指定し、太陽光発電設備の設置を一切認めないとしている日和田山・高指山周辺の山林に隣接する山林を有する毛呂山町は、2023年4月1日から「毛呂山町太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」を施行している。

 毛呂山町条例も、川島町条例と同様、出力の合計が10kW以上の太陽光発電設備を対象としている。

 条例では、とくに抑制区域を設定していないが、町内全体を条例の対象地域として、町との事前協議、地域住民等に対する説明会の開催(地域住民は事業者に対し、意見を申し出ることができる)、協定の締結、着工する日の60日前までの事業計画の届出、町長に

よる指導および助言などを定め、事業を認めないなどの強い規制はないものの、川島町とほぼ同じ手続きを求め、行政指導によるソフトランディングに着地させる方法を模索している。

 日高市の山林と隣接する山林を有するもう1つの自治体である飯能市も、2023年4月1日から「飯能市太陽光発電設備の設置及び維持管理に関する条例」を施行している。

 条例の対象施設は、定格出力10kW以上の太陽光発電設備である。

 飯能市条例の特徴は、土砂災害防止のため、設置を認めない「禁止区域」を指定していることである。

 禁止区域は、「土砂災害特別警戒区域」「地すべり防止区域」「急傾斜地崩壊危険区域」「砂防指定地」「保安林」などである。

 また、太陽光発電事業が周辺の生活環境等に与える影響を十分考慮し、計画中止を含めた抜本的な見直しを求める区域として、施行規則で12の地域を指定している。

 抑制区域のなかで注目したいのは「オオタカ営巣地」を含んでいることである。

 事業者はまず周辺関係者を対象とした説明会(1回目)を開催することを義務づけられる。

 それを踏まえ、着工までの手続きとして、事前協議→周辺関係者への説明会(2回目)→工事着工日の60日前までに事業計画の届出→協定の締結→指導、助言及び勧告を規定を定めている。 

 飯能市条例も川島町条例・毛呂山町条例などと基本的に同じ手続きを求めているが、注目したいのは周辺関係者(周辺住民)への説明会を、市との事前協議の前後にそれぞれ開催することを義務づけていることである。

 これにより、周辺住民に対し、早期の段階で構想を示すとともに、事前協議をへて熟度の高まった計画案を示すことにより、周辺住民への十分な周知と合意形成の促進を促している。

 しかし、前もって、事業の禁止を示す「禁止区域」に対し、事前協議のなかで事業者に対し、計画の中止を含めた抜本的な計画の見直しを求める「抑制区域」における見直しを、果たして行政だけでできるのかどうか、実効性にやや疑問をもつ。

 関係住民だけでなく、広く飯能市民が参加できる説明会や意見の申し出などを機会を設けることと、事前協議や事業計画の審議に対し、専門家で組織する審議会等を加え、より広範囲の市民や専門家の視点を加えるべきではないか。

 これまで埼玉県内自治体のモデル条例となった川島町条例と、それにほぼ忠実な毛呂山町条例、川島町条例の骨格を踏襲しながらも、規制色を加味した飯能市条例などを概観した。

 以下、日高市条例以降の埼玉県内市町村の太陽光発電設備設置に関する条例の一覧(2025年4月1日現在)を施行順に列挙しよう(「太陽光発電設備の規制に関する条例」一般財団法人「地方自治機構」2025年4月26日更新を参照した)。

「日高市太陽光発電設備の適正な設置に関する条例」(2019年8月22日施行。2024年4月1日改正施行)

「川島町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2021年1月1日施行。2024年4月1日改正施行)

「吉見町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2021年4月1日施行)

「嵐山町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2022年4月1日施行)

「越生町太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」(2022年4月1日施行)

「小川町太陽光発電設備の適正な設置及び管理等に関する条例」(2022年4月1日施行)

「ときがわ町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2022年4月1日施行)

「鳩山町自然環境と景観の保全に配慮した太陽光発電設備の適正な設置及び管理に関する条例」(2022年4月1日施行)

「滑川町太陽光発電設備の設置及び管理等に関する条例」(2022年4月1日施行)

「飯能市太陽光発電設備の設置及び維持管理等に関する条例」(2023年4月1日施行)

「熊谷市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」(2023年4月1日施行)

「入間市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」(2023年4月1日施行)

「毛呂山町太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例(2023年4月1日施行)

「東松山市太陽光発電設備等の適正な設置及び管理に関する条例(2023年7月1日施行)

「秩父市太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例(2023年10月1日施行)

「寄居町太陽光発電設備の適正な設置及び管理等に関する条例」(2023年10月1日施行)

「美里町再生可能エネルギー発電設備の設置事業及び運営事業の適正管理に関する条例」(2024年4月1日施行)

「本庄市自然環境等と再生可能エネルギー発電事業との調和に関する条例」(2024年7月1日施行)

「皆野町太陽光発電設備の適正な設置等に関する条例」(2025年4月1日施行)

おわりに

 日高市の横手と高麗本郷の間にある炭窯ヤツ(炭窯入)。

 地元の方が愛情を込めて「スンガマ」(通称)と呼んでいる沢は、日和田山、高指山を中心の広がる日高市の山林のなかでも、「最後の清流」ともいわれている。

 炭窯ヤツ東の井尻ヤツ(高麗本郷)、西の関ノ入ヤツ(横手)のいずれも沢に沿って舗装された車道が走り、沢の様相もすっかり変わってしまった。

 それにくらべ、舗装されていない林道が沢に沿って奥に延びる炭窯ヤツは、昔からの渓相を今に伝えてくれる貴重な存在である。

 炭窯ヤツ沿いの2つの林道である林道炭窯線、炭窯支線は、切り出した木材の搬出や木々の間伐のために不可欠な存在であった。

 炭窯ヤツ沿いには古くから谷津田が存在していたが、いつの頃からか荒れた耕作放棄地になってしまった。

 日和田カントリークラブの造成が計画されていた頃(1983~88)、山林所有者の多くが土地を事業者に売ったり、貸したため、手入れされない山林が増え、利用の減った林道には夏草が茂り、路肩が崩れたり、台風の影響で倒木が行く手をさえぎるなど、一時は山や沢、そして林道もかなり荒れてしまった。

 しかし、日和田カントリークラブの中心部として、沢の中心部が埋めたてられ、姿を消すはずだった炭釜ヤツと林道は、奇蹟のように生き残った。

 だが、その炭釜ヤツを約30年後、今度は太陽光発電設備の設置計画が襲った。

 それでも日高市が制定した「太陽光発電設備の適正な設置等の条例」により、市長が太陽光発電設備の設置に同意しない「特定保護区域」に指定されたため、炭窯ヤツは再度の試練を乗り切った。

 日和田カントリークラブ造成計画当時、反対活動を行ったのは関口さんたち数人程度。当時の日高町役場や日高町議会は、地域活性化と税収増をねらってゴルフ場誘致一色であった。

 町役場、町議会、地域の有力者の堅固なトライアングルに果敢に立ち向かい、炭窯林道開設委員会の不正経理問題を突きつけ、追い詰めていった関口さんたちの勇気があったからこそ、ゴルフ場計画は失効し、炭釜ヤツと炭窯林道は守られた。

 だが、先に述べたようにゴルフ場計画の代償は大きかった。

 2018年、再度炭釜ヤツを襲った開発計画(メガソーラー設置計画)に対し、今度は反対する多くの住民の声に日高市の行政や日高市議会も受け止め、住民・行政・議会三者の連携により、埼玉県初の太陽光発電設備設置に関する条例を制定した。

 ごく一部の反対住民が事業者べったりの行政や議会の厚い壁に挑戦した日和田カントリークラブ建設計画当時とは対照的に、反対住民と行政、議会の連携が無謀な事業者の太陽光発電設備設置事業を阻止した。

 だが安心はできない。

 炭窯ヤツ周辺の山林の地上権は、依然として事業者の手にある。

 三度目の開発計画が持ち上げるかも知れない。

 しかし、希望がある。

 というのは、炭窯ヤツを保全するとともに、ヤツに沿った谷津田を再生させ、生物多様性を守ろうとする活動が粘り強く続いているからである。

 活動の名は「スンガマ谷津田再生プロジェクト」。

 炭窯ヤツ周辺の山林所有者から土地を借り、子どもの自然との触れあいの場とするとともに、荒れた谷津田を復元し、コメ作りを行っている。

 今では収穫した稲を高麗神社の新嘗祭に奉納するまでになっている。

 炭窯ヤツの保全やそこに生息・生育している希少な動植物の保全も確実に進んでいる。

 埼玉県レッドデータブック2018で絶滅危惧ⅠB類に指定された「トウキョウサンショウウオ」、絶滅危惧Ⅱ類指定の「モリアオガエル」などの産卵も見ることができる。

 二度も造成されそうになった炭釜ヤツや、現在、子どもたちの自然学習の場として見事に復活し、日高市有数の生物多様性のエリアとして、脚光を浴びつつある。

 関口さんたちの炭窯ヤツに対する思いは、現在「スンガマ谷津田復元プロジェクト」に受け継がれ、ヤツを再生させる大きな力になっている。

 私も炭窯ヤツと炭窯林道の今後を、見守って守っていきたいと思う。

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