観音ヶ岳の西鳥居

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
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(略図)観音ヶ岳・スカリ山付近略図

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 日和田山から高指山・物見山・むすび山へと続く西武線北側の奥武蔵主稜は、北向地蔵(岩舟地蔵)を過ぎると、ほぼ車道と並行するようになる。

 そのため、わざわざ尾根筋を歩かず、車道を歩いて尾根を巻いてしまうハイカーが多い。

 しかし、山頂を踏まないのは惜しい山もある。

 たしかに、途中車道が尾根を寸断する個所もあり、興をそがれるが、それを補ってあまりある好展望の山が2つある。

 それがスカリ山と観音ヶ岳である。

 今回は観音ヶ岳にフォーカスしてみたい。

観音ヶ岳の西鳥居(かんのんがたけのにしとりい)

 北向地蔵から眼前の400㍍圏ピークに向かって山道を登る。

 すぐに登り着く400㍍圏ピークについて、池田和峰作成・解説・踏査の『新装版 奥武蔵登山詳細図』(吉備人出版、2022年)では、「愛宕山」と呼称している。

 おそらく、土山(毛呂山町権現堂)の愛宕地蔵尊からの命名だろうが、権現堂ではこの山は無名である(土山の愛宕地蔵尊については、次回投稿予定の「コワタの地名を追う」で詳述したい)。

 いったん車道に出て、再度登った次のピークに前記登山詳細図は「北拝沢丸山」という仰々しい命名をしている。

 だが、愛宕山・北拝沢丸山のいずれも地元呼称ではなく、登山詳細図の著者による勝手な命名である。

 この勝手な命名がヤマレコやYAMAPの登山記録でどんどん増殖し、定着してしまうのは、困ったものである。

 再び車道に出るが、しばらく車道を歩き、3番目のピークに向け急登する。

 到着した山頂が、観音ヶ岳山頂である。

 標高は420㍍圏。

 奥武蔵研究会調査・執筆の山と高原地図『奥武蔵・秩父』(昭文社、2024年)では「観音岳」と表記。

 しかし、毛呂山町権現堂でも、飯能市虎秀のユガテでも「観音ヶ岳」(かんのんがたけ)と呼称。

 観音ヶ岳は、スカリ山のすぐ東側にある岩峰。

 山頂の北側は高さ7~8㍍もあるオーバーハングした見事な岩壁。

 上から見下ろすと目がくらむほど。

 ところで、観音ヶ岳の山名について、神山弘氏は『ものがたり奥武蔵』(岳(ヌプリ)書房、1982年)で次のような伝説を採集している。

 「土山部落の真裏にある山を観音岳とよび、この山の頂上付近の露岩を遠望すると、そこに観音さまのお姿があらわれるといいます。しかしこれには条件があって、そういつでも拝めるというわけではなく、場所は北麓の鎌北付近で時間は朝の特定の数分間、ちょうど斜めに太陽をうけて岩が輝くときだといいますが、これは季節によっても左右され、見たという人はそういません。魚津の蜃気楼にも似たむずかしい観音像ではありますが、それ故に、とるに足りない藪山に、観音岳という立派な名前がつけられ、山伏行者の修行場にもなったのであります」(神山弘『ものがたり奥武蔵』岳(ヌプリ)書房、1982年)

 私が1988年に権現堂で採集した話は少し違っている。

 山頂北側の岩壁の下は平坦になっているが、ここにも東側の中沢源頭に突き出した岩があり(20㍍ぐらいの岩壁という話もあるが、未確認)、これが観音ヶ岳の西鳥居と呼ばれている。

 西鳥居から観音ヶ岳を仰ぐと、やや東向きにオーバーハングした岩壁が、あたかも観音様の顔のように見えたことから、観音ヶ岳の名が生まれたという。

スカリ山(すかりやま)

 観音ヶ岳西にある434.9㍍4等三角点峰(点名は「鎌北」)。

 観音ヶ岳同様、北側が開け、北関東の山々の大パノラマが広がる。

 誰もが、車道で巻いてしまわず、あえて登って良かったと思う瞬間である。

 堅い珪石のピークで、山頂付近には岩場もあり、400㍍強の丘陵とは思えないスリルのある山歩きが楽しめる。

 スカリ山の山容について、藤本一美氏は「北側のアマズツミ方面から眺めると両翼を張った鷲のような山容となる」と述べておられる(藤本一美「コワタ・スカリ山」奥武蔵研究会会報『奥武蔵』273号、1993年9月)。

 気になるスカリ山の山名について。

 ユガテの故・落合正三氏によると、この地方では虫に食われた葉のことを「スカリッパ」と呼ぶといい、そこから見通しの良い山のことではないかとのこと。

 藤本一美氏は毛呂山町大谷木で、「ソラスカシ」(ソラズカシ)なる山岳語彙を採集しているが、空を画する(つまり、高々と聳える)稜線をさす言葉らしい。

 お二人の話をまとめ、「スカシ」と「スカリ」を類似語と考え、「スカリッパ」の意味も合わせて考えると、高々と聳え(スカイラインを描く)眺望に恵まれた山の意味ではなかろうか。

堂庭(どうにわ)

 スカリ山南に「堂庭」(堂平)なる場所がある。

 神山弘著『ものがたり奥武蔵』では、昔ここには不動堂があり、布目瓦も発掘されているという。

 伝説によると、堂庭の不動尊は高山に飛んでいってしまい、それが高山不動になったという。

 たしかに、『新編武蔵風土記稿』入間郡権現堂村の小名に「堂庭」があり、「昔秩父郡高山村の不動がここにありしという」と記されている。

 しかし、堂庭の不動尊が高山不動との勢力争いに敗れ、吸収されたと考えるのが妥当なところであろう。

 それはともあれ、観音ヶ岳やスカリ山は堂庭の不動尊の修行の場だったのではなかろうか。

 観音ヶ岳の名も、不動堂との関係を想起させるように思われる。

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