はじめに
奥武蔵のなかでも、とりわけ手頃なハイキングコースとして人気のある高山不動と関八州見晴台(もともとの名称は「関場ヶ原」(かんじょうがっぱ)である)。
そのすぐ近くに遡行価値のある沢が存在するなんて到底信じられないかも知れない。
だが、立派に存在するのである。
西武秩父線に沿って流れる高麗川の支流・北川(きたがわ)から間野(まの)の集落で分かれる高畑ヤツの右俣。地元では「日影山沢」あるいは「大沢」と呼ばれている沢である。
山と高原地図23『奥武蔵・秩父』(昭文社)では、以前「白滝沢」と表記されていた沢だ(2025年版では沢名の表記なし)。
『新装版 奥武蔵登山詳細図』(吉備人出版)では「白滝川」と表記されている。
それでもピンとこない方には、西武鉄道が「高山不動を訪ねる道」の順路に選定し、大々的に宣伝している「不動三滝」(大滝・白滝・不動の滝)のうち、大滝と白滝のある沢といえば、お分かりになると思う。
高畑ヤツ右俣(日影山沢・大沢)は、大滝・白滝など名だたる沢以外にも、ハイキングコースから覗くことのできないゴルジュは2~5㍍級の滝をいくつも秘めている。
そのなかには沢登り初心者にとっては意外に手強い滝もあり、約1時間という短い遡行時間ながら充実した沢登りが楽しめる。
何よりも高麗川水系で唯一の遡行価値のある沢であるという点に、価値がある。
後半に高山不動や関八州見晴台付近の散策を組み合わせても、半日コースである。
もっとも私が高畑ヤツ右俣の遡行に熱中していたのは1988年。
それから37年を経た現在、果たして沢はこれから紹介するような渓相を保っているかどうかは定かではない。
もし最近遡行した方がおられたら、是非近況をお知らせいただきたい(ネットで検索したが、不動三滝から高山不動・関八州見晴台へのハイキングコースを歩いた記事ばかりで、ヤマレコやYMAPの山行記録やその他に報告にも、高畑ヤツ右俣の遡行記録はない)。
先に不動三滝中、大滝と白滝が高畑ヤツ右俣にあると述べたが、不動の滝は別の沢(高畑ヤツ左俣)のオクリ(奥入り)にある。
「不動三滝」という総称、「大滝」「不動の滝」という名称は、地元呼称を無視して西武鉄道が勝手に命名した名称!
これまで案内やガイドブックにしたがい「不動三滝」という総称名を使ってきたが、そもそも地元(飯能市大字高山字高畑)には、「不動三滝」なる総称は存在していなかった。
たしかに三つの滝には以下述べるように、昔から地元呼称があったが、あえて三滝をまとめて「不動三滝」と総称したことはなかった。
西武鉄道が三つの滝から高山不動へ向かうハイキングコース「高山不動を訪ねる道」を開拓し、大々的に宣伝した際に、高山不動にあやかり「不動三滝」という総称をつくったようだ。
それ以上に、三滝の呼称のうち昔から変わらないのは「白滝」だけで、大滝と不動の滝は西武鉄道が地元呼称を無視して勝手につけた名称である。
このことは、既に藤本一美氏が1978年に地元での聞き取りを踏まえ、問題提起されていた(藤本一美「高山不動と不動三滝めぐり」奥武蔵研究会会報『奥武蔵』183号、1978年9月)。
それから10年をへた1988年8月に私も地元での聞き取りを行い、藤本氏の問題提起の正しさを確認したうえで、再度滝名を地元呼称に戻すよう訴えた(高橋秀行「高畑ヤツ右俣(大沢)から高山不動」『新ハイキング』407号、1989年9月)。
残念ながら、藤本氏や私の問題提起も大勢を変えるにいたらず、西武鉄道がつけた名称が定着し、現在にいたっている。
そこで改めて藤本氏や私の地元での聞き取りにもとづく「本来の」滝名を記しておこう。
現在、「大滝」と呼ばれている(西武鉄道が「大滝」と勝手に命名した)滝の地元呼称は「女滝」(めたき)あるいは「日影山滝」(ひかげやまたき)である。
「女滝」という名称は、優美な滝の姿によるという説と、「不動の滝」の地元呼称の1つ「男滝」(おたき)と対になっているという説がある。
「日影山滝」という地元呼称については、この滝を含む険しい山稜の小字名である「日影山」に由来している。
つまり、「日影山」にある滝の意味である。
「白滝」(しらたき)は高畑ヤツ右俣上流一帯の小字名にもなっており、滝名も昔からの地元呼称である。
「不動の滝」となると、昔からの由緒ある名称が完全に抹殺されている事実に驚かざるを得ない。
明治期の「武蔵国郡村誌」には「身児守滝」の記載があるが、そこからも分かるように、この滝は昔から「子育の滝」と呼ばれていた。
「子育の滝」について、神山弘『ものがたり奥武蔵』(岳書房、1982年)は「子さずけといえば不動堂から西へ、高畑部落へのみちをゆくと、ぐっと降って高畑ヤツの右俣を渡りますが、この流れの上に子滝(引用者注:白滝)があり、ふたたび小尾根を越えて、高畑不落のある左俣に出ると、そのオクリ(奥入り)に大滝があって、この二滝を合せて子育滝といいます。この大滝はもとは高山不動の奥ノ院にあたり、行者たちの修行の場所で、雨乞いなども行ったのであります。また子供の出来ない女が、不動に願をかけ、この滝水をあびると子供が授かるといわれ、この行をタキオリといっています。子育滝の名もここから出たものでしょう」と記している。
これによれば、「白滝」を「子滝」とし、大滝と合わせて「子育の滝」というと理解できる。
韮塚一三郎編著『埼玉県伝説集成 上・自然編』(北辰図書、1972年)は上記の『ものがたち奥武蔵』の記事を引用したあと、以下のように続けている。
「『川越地方郷土研究』は、『高山不動尊の子育布袋様を抱いて滝にかかり、7日間お籠りすると必ず子供を授かる。その子供には、体のどこかに三枚の蛇の鱗がついているという』と記している。なお、この子育袋袋は現在不動堂に収められているが、摩滅していて、布袋像であることさえわからぬほどになっていて、その信仰のほどを物語っている。昭和のはじめ頃まで、この行が行われたらしいとは常楽院の田中隆孝住職の語るところである」としている。
藤本氏の聞き取りでも、「『タキオリ』と言って、不動尊のホテイ様に願をかけてもらい、滝の水を浴びると、子供を授かるといわれ、『子育の大滝様』としてお詣りする人もあった」という話を収集されている(藤本一美「高山不動と不動三滝めぐり」『奥武蔵』183号、1978年9月)。
続けて藤本氏は「滝の上に祀られている『子育稲荷大明神』の小祠には奉納者が東京都北区の畑とあることから、今でも信心深くお詣りする人があるのだろう」(上記の記事)と述べておられる。
以上から、子育の滝が「白滝」を含む総称である可能性は否定できないが、実際に「タキオリ」の行が行われたのが、現在の不動の滝であることから、不動の滝の本来の名称が「子育の滝」あるいは「子育の大滝様」であると考えるべきであろう。
なお、「子育の滝」(現在の不動の滝)には「男滝」(おたき)の別称もあるが、これは先に述べたように、「女滝(日影山滝)」(現在の大滝)と対にした呼称であろう。
これまでの記述をまとめると、「不動三滝」はあくまでも西武鉄道がハイキングコースを宣伝するためにつくった総称であり、あえて使うなら「(仮称)不動三滝」とすべきであろう。
「大滝」は「日影山滝(女滝)」、「不動の滝」は「子育の滝(男滝・子育の大滝様)」とすべきであり、「白滝」には「子滝」の別名を併記するというのが妥当ではないだろうか。
実際に、本稿の遡行図(高畑ヤツ右俣遡行を参照)はこうした考えのもとに滝名を記している。
ただし、西武鉄道による滝名の勝手な変更が定着した現在、一気に元に戻すというのも混乱を招くというのであれば、せめて大滝(日影山滝・女滝)、白滝、不動の滝(子育の滝・子育の大滝様・男滝)など、地元呼称を括弧内に併記すべきであろう。
藤本氏は「由緒ある名が抹消されてしまっていいものかどうか」と疑問を呈しておられるが、同感である。
高畑ヤツ右俣遡行(1988年8月28日)
高畑ヤツ右俣(日影山沢・大沢)遡行図(高橋秀行「高畑ヤツ右俣(大沢)から高山不動」『新ハイキング』407号、1989年9月より)

西吾野駅から高畑ヤツ右俣の出合までは、指導標完備の車道・林道なので、詳しく案内するまでもないだろう。
西吾野駅から北川に沿った車道を進み、間野の集落に入る。
右に萩ノ平から高山不動に登る山道を分けると、まもなく高畑ヤツが合流。
右岸の林道高畑線から見下ろす高畑ヤツは大きな滝こそないものの、いたるところにナメや淵を刻み、遡行への期待感をかきたててくれる。
単調な車道歩きは長く感じられるものだが、それでも高畑ヤツ出合から約20分で、車道が大きく左にカーブを切り、舗装が終わる。
ここで林道と分かれ、右の「日影山滝」(女滝)への近道に入る。
この地点でワラジに履き替え沢身におりる。
少し下流に戻ると、左岸からナメを懸けて右俣が流入する。
右俣に入ると、しばらくは平凡な流れで、ヤブが煩わしい。
そこで、右岸に断続的に現われる踏跡を拾った方が早い。
踏跡が消えるあたりから岩が迫ってゴルジュ状になる。
沢が左に曲がると、いよいよ滝が現われる。
最初の小滝(釜が深い)は左岸のバンドをへずって、落口に出る。
次の2㍍斜滝も、やはり深い釜をもっている。
右岸のバンドから落口に達するが、続く赤茶けた岩肌を水が滑り落ちる3㍍斜滝はちょっと手強い。
直登は滑りやすいうえに、ずぶ濡れになってしまうので、巻いた方がベターだ。
取り付きやすいのは左側だが、どんどん追い上げられて沢身への下降に苦労する。
右側のガレ場は取り付きこそ滑りやすいが、下降は楽だ。
3㍍斜滝の上流は美しいナメ床。
しかし、それも束の間で、すぐに平凡なヤブ沢となってしまう。
左上からハイカーの声が聞こえると、ハイキングコースが合流。
沢は90度左折して、そこに日影山滝(女滝)が立ちはだかる。
下段7㍍、上段4㍍程度で迫力十分。
しかし、西武鉄道の案内に落差25㍍とあるのはかなりオーバーだ。
今は大滝と呼ばれるようになってしまった日影山滝(女滝)は高畑ヤツ右俣のなかでももっとも美しい滝であり、水量も申し分ない。
イワタバコの大きな葉が岩についていて、8月中旬頃には紫色の小さな星状の花を揺らしているはずだったが、私の訪れた8月下旬では遅かったようだ。
日影山滝(女滝)(2段11㍍)は、直登も不可能ではないが、苔がついて滑りやすいうえ、岩が剥がれやすく、安易に取り付かない方がよい。
左岸の小窪左手のガレ場を慎重に登り、小窪と滝との間の岩場の傾斜が緩くなるあたりで、左にトラバースすれば、容易に落口に下降できる。
ここからが最初の核心地帯だ。
ゴルジュのなかに現われる2条2㍍の滝は左から巻き、次の釜をもつ3㍍滝は、右側のバンドから落口に出る。
このあともナメ滝が続くが、沢身は倒木のジャングルとなり、通過に苦労させられる。
倒木帯を抜け出すと、明るい河原に出る。
頭上には人家も見え、張り詰めた気分もそがれてしまう。
それでも沢は90度右に折れて、そこに2段5㍍の滝を落としている。
ここからが第二の核心部だ。
いずれも大きな釜が行く手をさえぎるが、下段2㍍は直登、上段3㍍は左の巻き道を利用する。
滝上は、極度に狭まった廊下を滑る見事なナメ床。
再び沢は右に曲がって、今度は水量豊かな3㍍滝。
ブッシュを掴んで左の岩壁を登って上流に出ると、やや広くなったゴルジュの奥にとどめを刺すかのように2段4㍍の滝が懸かる。
いずれも深い釜をもっているが、下段2㍍は直登。
上段2㍍は適当なスタンスがなく、初心者には手強いが、強引に腕力で登ってしまおう。
上流には3㍍の滝。
左岸の岩場から巻いてしまうと、何と沢筋はゴミ捨て場になっている。
ここから上流は平凡な流れに変わり、沢身も雑草や倒木で埋まっている。
この地点で遡行を打ち切って右岸のヤブの斜面を這い上がると、あっけなく林道に出てしまう。
道なりに数分で十字路に出る。
左が小峠(ことうげ)をへて、子育の滝(子育の大滝様・男滝)への道。
右に高畑ヤツ右俣を橋で渡ったあと登って行くのが大峠(おおとうげ)をへて高山不動へ行く道。
白滝(子滝)へは、沢沿いの道を登る。
約5分で白滝の滝壺に到着。
周囲は明るい感じで、水道の取水口などもあり、日影山滝(女滝)と比べると、雰囲気の点で一枚落ちるようだ。
滝は下段4㍍、上段6㍍ほど。
大きな岩場を細い滝が滑り落ちるが、何せ水量が少ないので、滝よりも岩場の方が目立つ感じだ。
白滝の名から連想する繊細で美しいイメージもあまり感じられない。
もっとも、そうした環境変化にはグリーンラインの開通が影を落としているようだ。
グリーンラインの工事で流れた土砂や倒木が白滝周辺の環境を汚してしまい、以前は深かった釜も、すっかり埋まってしまったという。
再び十字路まで戻ったら、まず小峠の屋号のある平沼家、同家の氏神である大山祇神社をへて、子育の滝(子育の大滝様・男滝)まで往復しよう(往復約25分)。
15㍍を超える落差の壁は圧倒的だが、惜しむらくは水量がごく僅かなこと。
よほど雨が続いた後でないと、子育の大滝様の安産水を浴びることはできないだろう。
ただし、鬱蒼とした雑木に囲まれ、昼でも暗い環境は不気味なほど。
藤本氏も「洞穴もあり昔の修行僧の荒行の厳しさを想像させたりもした」(藤本一美、前掲記事)と述べておられる。
小峠の平沼家まで戻り、家屋の左手にある文政11年(1828)建立の「馬頭観世音」の自然石の小碑をみていこう。
高畑は現在(注:1988年当時)6軒の人家があるのみだが、馬頭観音が物語るように、小峠は高畑から越生方面に向かう道筋にあたっていた。
高畑ヤツ右俣を渡って登りつめた三差路が大峠。
左に現在のグリーンラインに直登するのが昔の峠道。
高山では昔から養蚕や絹織物の生産が盛んで、越生で絹市が開かれると、アラザク峠・高山新道をへて越生に行き、絹糸や作った反物を売ったという。
当然、越生との人の交流も頻繁で、越生から嫁に来た人も多かった。
当時、高山から嫁に来るには、機織りのできることが最低条件であったという。
そんな往時の交流の有様を偲びながら、大峠から緩やかにくだり、「西方(にしかた)の山の神」で萩ノ平からのハイキングコースと合流。
既に高山不動(常楽院)の領域である。
不動尊の本堂でゆっくり休んだら、石段をくだって埼玉県指定天然記念物の「高山不動の大イチョウ)を見ていこう。
埼玉県のホームページから説明文を引用しておこう。
「奥武蔵高原の一角に古くから修験道場として知られた真言宗智山派常楽院(通称・高山不動)境内、不動堂への石段の登り口の崖上にある巨木が高山不動の大イチョウです。
樹高約37㍍、目通り10㍍、根回り12㍍、枝張り18㍍四方で、樹齢は推定800年といわれています。樹幹は数本に分立し、梢にいたるまで大小多くの枝をつけています。根張りは崖下5㍍に及ぶ範囲で互いに重なり合い、絡み合って地表を覆っています。また、樹幹からは多くの気幹が垂れ下がって壮観です。古くからこれを乳房に見立ててか、万葉集では『智智(ちち)』とも詠まれていました。
また、この大イチョウは『子育て銀杏(こそだていちょう)』ともいわれ、育児期に母乳の不足する女性がこの木に祈願すると乳の出が良くなったと言われているのも、この気幹の形状からきたものです」(埼玉県ホームページ)
このように、高山不動は子育て銀杏を境内に、子育の滝を近くに抱えるなど、昔から安産や子育てに霊験あらたかな寺として知られていた。
そんな由緒ある滝名「子育の滝」を西武鉄道が「不動の滝」に変更した際、高山不動(常楽院)は反対しなかったのだろうか。
帰路は再度、石段を登り、不動堂から最短の萩ノ平コースを下降しよう。
今では「萩ノ平茶屋跡」となってしまったが、私が最後に訪れた1988年8月28日当時は、茶屋は健在だった。
この付近一帯の山持ちで、山の管理を兼ねて間野から登ってくるという気さくな茶屋のおばさんと冷たいラムネを飲みながら雑談する楽しいひとときが、充実した沢登りのフィナーレだった。
(地図)2万5千分の1地形図「正丸峠」
(参考タイム)
西吾野駅(35分)高畑ヤツ右俣出合(30分)日影山滝(女滝)(30分)遡行終了(白滝往復10分・子育の滝往復25分)(15分)大峠(5分)高山不動(大イチョウ往復15分)(20分)萩ノ平茶屋跡(40分)西吾野駅

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