本ブログの記事「『小瀬名富士』は地元呼称ではなかった」(2025年5月11日投稿)に対し、最近、地元・小瀬名(日高市横手)在住の方からメールをいただいた。
それによると、小瀬名富士は先祖から聞いている地元の山であるということ。
メールをくださった方のお母さまは、私の記事を読み、「小瀬名富士の場所が変わってしまった」と嘆いておられたという。
つまり、小瀬名富士は存在していたのである。
私の記事「小瀬名富士は地元呼称ではなかった」は完全な誤りであり、「小瀬名富士は地元呼称」であった。
地元呼称を無視し、勝手に山名を命名する行為を批判してきた私が、まさしく同様の行為を行っていたのである。
深く反省するとともに、誤りを訂正したい。
同時に、以前の記事では「小瀬名集落は、今は廃村となった」と述べたが、これも誤りだった。
そこで小瀬名富士の正確な位置について、メールをくださった方に確認してみると、小瀬名に2軒ある家の、向かって右側の家のすぐ北東にある380㍍圏の小山こそ小瀬名富士であった(地図を参照)。
駒高から北向地蔵へのハイキングコースは、小瀬名富士の右を巻いている。
(地図)小瀬名富士(2万5千分の1地形図「飯能」)

小瀬名富士の山名を最初に採集されたのは、神山弘氏著『ものがたり奥武蔵』(奥武蔵研究会、1951年。1982年に岳書房より復刻)である。
同書の略図「高麗丘陵」には小瀬名集落のすぐ右隣に小瀬名富士の名がある。
今回の小瀬名在住の方とのやりとりで、神山氏の正しさが証明されたことになる。
逆に、「小瀬名富士は地元呼称ではない」という私の説は完全に誤っているとともに、今ハイカーの間に広がっている小瀬名富士の位置(『新装版 奥武蔵登山詳細図』吉備人出版、2019年にもとづく)、すなわち本当の小瀬名富士よりもずっと北側のハイキングコース東側の380㍍圏ピーク(詳細図では390㍍と記載)こそ小瀬名富士とする説も誤りであることが証明された。
権田則子氏は、380㍍圏ピークよりもさらに北側にある406㍍独標を小瀬名富士とされているが(奥武蔵研究会会報『奥武蔵』274号、1993年11月所収の記事「踏跡を求めて 物見山から北向地蔵・九郎曽根・横手へ」)、これも誤りである。
今ハイカーの間で小瀬名富士とされている380㍍圏ピーク、山頂に「小瀬名富士」の私設山名表示版のある406㍍独標のいずれも、小瀬名集落から離れ過ぎているうえ、日高市横手ではなく、毛呂山町権現堂にある。
小瀬名富士は毛呂山町権現堂の山ではなく、あくまでも小瀬名(日高市横手)の山なのである。
ところで、私は先の記事「小瀬名富士は地元呼称ではなかった」で、380㍍圏ピークについて、日高市高麗本郷駒高での聞き取りにもとづき、「むすび山」(前山)とした。
これに対し、権田氏は406㍍独標こそ、むすび山(前山)としている。
果たしてむすび山の正しい位置はどこなのだろうか?
幸い、メールをくださった小瀬名在住の方および同氏のお母様や伯母様、親戚の方々に直接話を聞く機会を近くもつことになった。
聞き取り結果をふまえ、いずれ小瀬名富士の山名由来、小瀬名集落と小瀬名富士との関わり、むすび山(前山)の正しい位置、五常の滝のことなど、小瀬名やその周辺に関する地誌をまとめ、ブログに掲載したいと考えている。
最後に、山名は必ず地元で確認するという初心を忘れ、小瀬名富士なる名称は存在しないと断言した愚を深く反省するとともに、記事「小瀬名富士は地元呼称ではなかった」を削除することにしたい。

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