定年後の時間を利用して、若い頃(30年以上前)に地元で採集した比企・外秩父の山名・峠名・民俗や伝説などを整理しました。
最近のガイドブックや登山地図、SNSなどに見られる間違った山名や峠名などに警鐘を鳴らす意味でも、あえてブログ全くの初心者の私が急遽立ち上げることにしました。
本ブログには比企・外秩父の「すべて」が詰まっています。是非ご活用ください。
まず本編に入る前に、本ブログで取り上げる「比企・外秩父」の区域を確認しておきましょう。
とりあえず、荒川の南側と東側、都幾川の北側、滑川町西部の大立山・二ノ宮山・高根山以西の山や丘陵を対象とします。詳しくは「比企丘陵東部略図」「比企丘陵西部略図」をご覧ください。
この区域を次のような14のブロックに分け、以後毎回1つのブロックについて述べていきます。
比企丘陵東部略図(高橋秀行「比企丘陵への誘い」『新ハイキング』388号、1988年2月より)
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比企丘陵西部略図(高橋秀行「比企丘陵への誘い」『新ハイキング』388号、1988年2月より)
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「官ノ倉山とその周辺」
「官ノ倉西尾根とその周辺」
「金勝山とその周辺」
「仙元丘陵」
「遠ノ平山・物見山・寒沢山」
「雷電山・御岳山・大峰」
「笠山前衛の山々」
「笠山・堂平山」
「慈光寺・上古寺周辺の山々」
「新定峰峠・旧定峰峠・大霧山・粥新田峠」
「二本木峠・皇鈴山・登谷山」
「釜伏峠・葉原峠・金ヶ嶽・金尾山」
「大立山・二ノ宮山・高根山」
「四津山・堂ノ入山・たかんど」
30年以上前の取材ノートがベースですので、写真はありません。私の下手な略図はご容赦ください。
写真は今後順次アップしていきます。内容も更新していく予定です。
記事は週1回のペースで投稿する予定です。
それでは、来週投稿予定の第1回「官ノ倉山とその周辺」をお楽しみに!

コメント
貴重な調査結果をまとめて発表していただき、大変ありがたいです。すごい内容だと感心しながら、いつも楽しく読ませていただいています。
私も、奥武蔵の峠や山が好きで、その歴史にも興味を持ちながら山を歩いていますが、ここまで本格的な知識はありません。今は65歳になり、後何年山を歩けるか分かりませんが、高橋様の情報を参考にさせていただきながら、その土地土地を巡ってみたいと思っています。
高島様
高橋です。
返信が大幅に遅れ、申し訳ありません。
ブログを楽しく読んでいただいているとのこと。書き手にとって、これに勝る励ましの言葉はありません。
写真もなく、40年近く前の調査にもとづく文章だけの長いブログは、今の写真中心のスマートな山行記録と全く合わず、そのためか超マイナーブログの域に留まっています。
しかし、近年の知られざる低山・丘陵の踏査ブームで、比企・外秩父のいたるところについて、ネットで山行記録が毎日のようにアップされています。
もちろん、コースの近況を知る上では便利ですが、ただ歩くだけで、山名には全く無頓着で、現地に設置された私設山名表示板の誤った山名をそのまま採用し、垂れ流しています。
結局、地元呼称を無視した勝手な「山名」が定着する結果になっています。
比企・外秩父でこの傾向が顕著です。
今のところもっとも山名について信頼できるのが、昭文社山と高原地図23『奥武蔵・秩父』ですが、それでも山名の誤りが散見されます。
このままではいけない。そんな思いで、古い私の調査記録をベースに、その後参照できた資料や地元郷土誌家の方とのやりとりなどをベースに「比企・外秩父の山徹底研究」「比企・外秩父山名・峠名・巨石等小辞典」などの記事を投稿しています。
それでも反響はきわめて限定的で、相変わらず誤った山名等に無自覚な山行報告がネットに溢れています。
高島さんのような方がもっとたくさんおられたら、地元呼称の抹消と誤った山名の定着という事態にブレーキがかけられるのですが・・・
それでも今回のコメントをはげみに、今後もブログを続けていく所存です(月1~2回程度の投稿ですが)。
私も70歳を過ぎ、30年以上山歩きをしていなかったため、体力的に山行再開になかなか踏み切れないジレンマがありますが、まずは山麓で写真をとりながら、機会があれば聞き取りをすることから始めてみたいと思っています。
それでは、今後も比企・外秩父・奥武蔵の山や峠をお楽しみください。
クマが冬眠する1~2月がもっとも良い季節です。
そして、山名等に関する新しい情報が得られたら、お教えいただければ助かります。
なお、トップページ右下の「問い合わせ」ボタンをクリックすると、私のPCメールソフトおよびスマホのメールアプリに直接メールが届きますので、対応が早くなることをお知らせします。