官ノ倉山山麓に炭鉱跡ー小川町飯田炭鉱跡とそこに浮上した太陽光発電所建設計画ー

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

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はじめに

(図1)小川町飯田太陽光発電所計画位置図
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 比企を代表する山の1つである官ノ倉山。

 その東峰(石尊山)の北東側から東側および南東側山腹にかけての113.9ヘクタールに計画されていたプリムローズカントリー倶楽部造成事業。

 しかし、造成工事が始まってから約5年度の1995年、経営会社の倒産により造成事業は中止。

 予定地の約38%が造成されたまま、放置された。

 だが、2019年になって、プリムローズの跡地にメガソーラーを建設する計画が浮上した。

 それが「さいたま小川町メガソーラー設置計画」(小川エナジー合同会社)である。

 総面積は約86.2ヘクタールと、プリムローズの約3分の2だが、プリムローズの造成により破壊された自然が約20年のときをへて、ようやく回復しかけたとき、それを大規模にわたり破壊する事業。

 とくに盛土のために外部から残土を搬入する計画や盛土崩壊の危険性、計画地で営巣・繁殖するサシバ、ミゾゴイなど希少な鳥類への影響などから地元住民や自然保護団体などの激しい反対を引き起こした。

 その結果、小川エナジーの提出した環境影響評価準備書(国のアセス法にもとづく)に対し、主務大臣である経済産業大臣は2022年2月、「計画の抜本見直し」を求める勧告を小川エナジーに対して行った。

 事実上、計画の中止にも等しい勧告を受けたことで、環境アセス準備書から評価書への流れはいったん断ち切られ、それ以降今日(2026年4月)にいたるまで、小川エナジーから環境アセス評価書は提出されていない。

 このように経産大臣の勧告以降4年間凍結状態にある「さいたま小川町メガソーラー設置計画」だが、実は官ノ倉山周辺には、それ以外にもう1つの太陽光発線設備の設置計画が存在している。

 それが官ノ倉山東峰(石尊山)東山麓にある小川町飯田の炭鉱跡にイーゲート株式会社(本社:東京都品川区)が設置しようとしている「小川町飯田太陽光発電所計画」である。

 飯田太陽光発電所計画は、「さいたま小川町メガソーラー設置計画」の影に隠れ、ネット検索をしてもほとんどヒットせず、情報の収集に難航した。

 さいわい本ブログの記事「官ノ倉山のゴルフ場造成問題とメガソーラー設置問題」(2025年4月)をお読みいただいたプリムローズ跡地で鳥類調査を行っている方から、飯田太陽光発電所計画に関する貴重な資料をお送りいただいた。

 さらに、私自身、埼玉県公文書館を訪れ、飯田炭鉱(飯田炭鉱)に関する記録を閲覧。

 そして、これらの資料をもとに2026年4月8日、飯田炭鉱跡があり、飯田太陽光発電所の計画地でもある小川町飯田蟹沢地区を訪れ、おもに炭鉱跡に関する聞き取りを行い、あわせて太陽光発電所計画の現状を聞いてみた。

 当日快く聞き取りに応じてくださった大字飯田蟹沢地区の方々、そして飯田太陽光発電に関する貴重な資料を送っていただいた方にお礼を申し上げたい。

 本記事は二部構成になっている。

 第一部は「飯田炭鉱跡」に関するものである。

 第二部では、飯田炭鉱跡に計画されている飯田太陽光発所電計画に関するものである。

小川町飯田の炭鉱跡

 かつて飯田炭鉱(小川炭鉱)あったのは、小川町飯田の蟹沢地区。

 小川町駅から国道254号線に出て、八高線・東武東上線とほぼ並行している国道254号線を寄居方面に向かって歩く。

 約15分で国道右手に「花友会館」の建物がみえる。

(写真1)花友会館(2026年4月8日撮影) 

 その道路反対側(左手)に旧弁当センターがある。

(写真2)旧弁当センター(2026年4月8日撮影)

 

 この「旧弁当センター」のところから国道と分かれ、町道を左手に入った集落が蟹沢地区である。

 集落は町道を境に左右に分かれるが、進行方向の右側(西側)は雑木林の山林を背に人家や畑が点在するのどかな集落であり、このとき(2026年4月8日)、桜が満開だった。

 実は進行方向右手の人家背後にある雑木とスズタケの山林こそ、小川炭鉱の跡であり、飯田太陽光発電所の計画地である。

(写真3)蟹沢集落(背後の森林が飯田炭鉱跡・太陽光発電所計画地)(2026年4月8日撮影)
(写真4)蟹沢集落(背後の森林が飯田炭鉱跡・飯田太陽光発電所計画地)(2026年4月8日撮影)

 町道を進むと、まもなく前方左手に農業用の灌漑沼である「蟹沢沼」が現われる。通称「炭鉱沼」と呼ばれる沼だ。

(写真5)蟹沢沼(通称・炭鉱沼)(2026年4月8日撮影)

 沼の先で町道は突然終点となり、その先はスズタケの密林で、踏跡さえない。

(写真6)蟹沢沼(炭鉱沼)の先で町道はヤブのなかに消える:ヤブの手前右手の奥に坑口があったという(2026年4月8日撮影)

 国道からわずかに入っただけで、こんな静かで穏やかな美しい集落に入るとは想像外だった。

 ここが飯田炭鉱跡で、しかも太陽光発電所建設の計画地になっていることなどは、信じがたい。

 しかし、「炭鉱沼」という俗称からも分かるように小川炭鉱があったのは事実である。

 それでは、「飯田炭鉱」(小川炭鉱)の歴史からひもといてみよう。

飯田炭鉱(小川炭鉱)

 『小川町の歴史 地質編』(小川町、1999年)には、次のように書かれている。

 「飯田には炭鉱があったことが知られています。炭層は小川町層上部の砂岩層にはさまれており、約10メートルの間に3層があることが知られています。このうち最下位のものが125センチともっとも厚いものです。最上位の炭層は約70センチで、飯田の八高線、東上線との小川西陸橋工事のさいにみることができました。これらの石炭はふつう亜炭(あたん)といわれていますが、正式には褐炭(かったん)に属しています。成分の分析値は水分:19パーセント、固定炭素:27パーセント、揮発分:34パーセント、灰分:18パーセント、硫黄:2.8パーセントで、硫化鉄分を多くふくみ石炭としての質は良くなかったようです」

 炭鉱の最盛期は第二次世界大戦中であった。

 1942年10月13日の朝日新聞には、「地下三百尺(約10メートル)に優秀な炭層を掘り当てた」との記事がある。つまり、最下位の125センチの厚さの炭層を掘り当てたことになる。

 この炭層は蟹沢地区奥にある「蟹沢沼」(通称・炭鉱沼)西の山林一帯であると推定される。

 坑口(炭鉱の坑道入口)は、蟹沢沼最奥のすぐ西側にあったという。

 この炭層は日窒工業株式会社小川鉱業所により採炭され、多くの人が採炭工として働いていた。

 写真7は、操業中の坑道入口である。そこに集まった採炭工の数からいっても、かなりの規模で操業された炭鉱であったことが分かる。

(写真7)昭和22年(1947)頃の飯田炭鉱(小川炭鉱)入口(坑口)と採炭工の人たち(出典)『小川町の自然』(小川町、1999年)53頁)

 だが、昭和23年(1948)に落盤事故が起こり、1名が死亡した(2名死亡とも)ことから、同年10月に閉山した。

 だが、飯田の蟹沢地区には、1942年から48年まで採掘を行った炭鉱よりも以前から、炭鉱採掘の試みが行われていた。

 最初の炭鉱は明治7年(1874)に井出儀五郎により採掘されたが、炭質が悪く、翌明治8年(1875)に廃止された。

 さらに大正時代になると、大正5年当時の新聞記事に「大正4年(1917)7月に認可を受け、採炭に着手した」とある。

 この抗は、大野木茂十郎が採掘したもので、彼は株式会社の設立を図ったが、不成立に終わったという。

 それ以降も何人かが採炭を試みたが、いずれも失敗に終わった。

 これら明治~大正期には最下位の厚い炭層までには達せず、上位の2層のいずれかが採炭されたと思われる(以上、『小川町の歴史 地質編』小川町、1999年による)。

 明治~大正にかけて何回にもわたり採炭が試みられた古い炭鉱は国道254号を超え、八高線の線路に迫っていた。

 これに対し、第2次世界大戦中に発見され、以後、1948年まで多くの採炭工により採炭が行われた新しい炭鉱は古い炭鉱よりも奥に位置し、蟹沢地区をさらに入った山林から蟹沢沼(通称・炭鉱沼)にまで及んでいた。

 実は炭鉱や坑道の正確な位置はいまだに不明であり、唯一の記録である『小川町史』(小川町、1961年)の「小川炭鉱見取図」も、聞き取り資料から作成されたものである。

 図2は、「小川炭鉱見取図」を2万5千分の1地形図「武蔵小川」に落とし込んだものであり、必ずしも正確なものではない。

 あくまでも目安として考えていたただきたい。

図2 飯田炭鉱(小川炭鉱)見取図(『小川町史』小川町、1961年、609頁の図5-19を参考に作成)
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 このように小川町飯田の蟹沢地区には明治~大正期の古い炭鉱、実際に採炭が約8年にわたり行われた新しい炭鉱の両者が存在し、まさに炭鉱の上に集落があるというのが蟹沢地区の実情である。

住民が語る炭鉱の話

 2026年4月8日、飯田の蟹沢地区を訪ねたおり、幸い数人の方から、炭鉱に関する逸話を採集することができた。

 注意すべき点は、実際に本人がみた話以外は、父や祖父等からの伝聞によるもので、その場合、古い炭鉱と新しい炭鉱が混同されていることである。

 興味深い話を箇条書きしておこう。

・自宅や野菜畑は炭鉱の上なので、地下は空洞。そのため井戸を掘っても水が出ず、町道東側集落の家の井戸から水を引いていた。

・集落の奥にある灌漑沼(蟹沢沼)は、「炭鉱沼」の俗称で呼ばれている。

・事業者は町道の東側集落背後の山林も試掘したが、粘土質の地質のため、それ以上の掘削を断念した。

・国道254号線がまだなかった頃(国道254号線は1963年に開通)、八高線の線路近くまで掘り進んだ。しかし、採炭工が鉄道の音がうるさいと苦情を言ったため、それ以上掘り進まなかった

・現在75歳の方によると、新しい炭鉱の坑道入口(坑口)は閉山後もそのままの状態で、子どもたちは穴に入って遊んだ。しかし、すぐに鉄条網で穴がふさがれ、その後落ち葉や土砂で埋まってしまい、今では抗口がどこにあるのか分からなくなった。

・自宅の裏山には、炭鉱の「空気穴」である穴が3つもあった。

・町道東側の集落は低地にあったので、炭鉱から出たボタで土地をかさ上げして家を建てた。

 以上拾っただけでも、蟹沢地区の高齢者に聞くと、炭鉱にまつわる話がどんどん出てくる。それだけ、飯田炭鉱(小川炭鉱)は住民たち(一定年齢以上の高齢者)にとっては身近な存在であったのである。

 埼玉県西部に亜炭の炭鉱があったというだけでも、小川町が文化財として指定すべき貴重な場所なのに、何と炭鉱跡の山をすっぽりと覆う規模の太陽光発電所建設計画が浮上したのである。

小川町飯田太陽光発電所計画

計画の概要

 本来なら町指定文化財になるべき貴重な山林を大規模に開発する「小川町飯田太陽光発電所計画」がイーゲート社から発表されたのは2018年である。

 イーゲート社は土地を入手したあと、事前に飯田の歴代の区長を籠絡し、区長と一体になって住民に対し太陽光発電所計画への同意を迫った。

 計画地は、蟹沢(尾根の東側)と打越(尾根の西側)にまたがる細長い山林である(図3)。

図3 小川町飯田太陽光発電所計画地(飯田炭鉱跡)
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 尾根の東側(蟹沢側)は緩やかな斜面で、人家や畑が点在している。

 打越川に沿った尾根の西側(打越側)は急な斜面の下に人家が集中している。

 計画面積は5万4,761㎡(=約5.5ヘクタール)。

 出力は3,367.2kw。

 当初の予定だと、着工は2022年からで、2023年には工事を終え、操業を開始するはずだった。

 ちなみに、太陽光発電設備の設置に関する国に環境アセスメントの実施基準は、出力4万kw以上がアセスの実施を義務づける第1種事業。

 出力3万kw以上がアセスの実施を個別に判断する第2種事業である。

 飯田太陽光発電施設と至近距離で計画されている「さいたま小川町メガソーラー設置計画」は第2種事業である。

 国の環境アセスが適用されない場合、埼玉県環境影響評価条例が適用されるか否かが問題となる。

 しかし、埼玉県条例の場合、アセスの対象規模は計画地の面積で決められることになり、20ヘクタール以上の敷地面積の計画のみが県アセスの実施対象となる。

 飯田太陽光発電施設は、出力は3,367.2kwと、国のアセスの実施規模である3万kwに遠く及ばないうえ、敷地面積は約5.5ヘクタールと、埼玉県環境影響評評価条例の適用基準である20ヘクタールにはるかに及ばない。

 つまり、飯田太陽光発電施設に環境保全上や防災上の懸念がいかにあっても、国や県の環境アセス抜きで、県知事への林地開発許可申請ができるのである。

 このようなアセス逃れのミニソーラーが法的に野放しにされているところに、各地の太陽光発電設備が設置されたのちに、深刻な被害を周辺地区に与えている原因がある。

飯田太陽光発電所の問題点

飯田炭鉱跡の上にソーラーパネルを設置するという無理な計画

 最大の問題点は、明治~大正、戦中~戦後にかけて採掘が行われたり、実際に採炭が実施された飯田炭鉱跡の山林にソーラーパネルを設置する計画であるということである。

 計画地の地下には坑道が走っており、さらに縦横に掘り進んだ跡がある。そのうえ、坑道に空気を取り込むための「空気穴」が山林の各所にある。

 要するに、計画地は大きな空洞の上に雑木やスズタケが生えている山であり、その上で重機を持ち込み工事を行ったり、重いソーラーパネルを設置しようとするなら、陥没事故が発生するおそれがある。

 とくに計画地東側の町道(蟹沢沼への道)は、昭和期の炭鉱の坑口に近く、これまでも陥没しては補修し、また陥没するということを繰り返してきた。

 そもそも現状でも飯田炭鉱跡内の坑道の位置は、聞き取りにもとづく推定でしかない。事業者は、明治~大正期の坑道と昭和期の坑道を避け、パネルを設置するとしているが、そもそも坑道自体の位置が推定であるなら、事業者の安全宣言は客観性に欠けるといわざるを得ない。

切土・盛土の危険性

 予定地は東の蟹沢、西の打越川にはさまれた尾根状である。

 尾根の下には蟹沢側、打越側とも人家がある。

 計画では、尾根を切土して蟹沢・打越の人家の上にそれぞれ5~10メートルの盛り土をするとしている。

 しかし、盛土が人家の真上のところでは、盛土が崩れたら、直下の人家が埋まってしまうおそれがある。直下に人家がないところでも、道路が埋まる危険性がある。

自然の破壊、景観の変化

 工事が始まれば、里山の木々が伐採され、山を切土し、谷に盛土をした上にソーラーパネルが設置される。

 これは深刻な自然破壊であり、官ノ倉山山麓の里景景観にかわり、ソーラーパネルを敷きつめた人工的な景観が生まれてしまう。

希少種の保全

 「飯田太陽光発電所の計画地は、隣接する大塚の森とつながり、その先にある官ノ倉山など比企・外秩父の山々へとつながる大切な緑の回廊の一部である。毎春、大塚八幡神社の森からミゾゴイの鳴く声が確認できる。その森と発電所計画地との間にある湿地帯は、ミゾゴイの餌場として適地である。緑の回廊をたどっていくと、近くの森でミゾゴイの繁殖活動が確認できる。計画地で巣が確認されていなくても、計画地の森は絶滅危惧種であるミゾゴイにとって大切な森である。

 飯田地区は環境省や埼玉県が指定する絶滅危惧樹である渡り鳥ミゾゴイ・サシバの渡来地であり、接続する緑地帯では希少な猛禽類アオバズク、フクロウ、ツミ等の生息や繁殖が確認されている」(以上、説明会における住民意見から引用)。

事業者であるイーゲート社への不信

 2014年12月運転開始から2022年5月運転開始予定まで、イーゲート社が手がけた太陽光発電設備は全部で21あるが、いずれも国や道県のアセスの対象とならない「アセス逃れ」のミニソーラーであり、しかも21のうち13がつくったあと転売している。

 自社所有の太陽光発電設備は8ヶ所しかない。

 要するに、イーゲート社はアセス逃れのミニソーラーをつくっては転売して儲ける会社であるといわざるを得ない。

 飯田太陽光発電所も運転後に転売される可能性が高く、もし悪質な業者に売却された場合、施設のメンテナンスの不備やソーラーパネルの不適切な廃棄など、問題が生じる可能性がある。

説明会の経緯(第1回・第2回)

 飯田地区で最初の説明会が開催されたのは2019年9月である。

 会場は飯田集落センター。

 そこでは計画への賛成者はゼロ。

 反対する住民から「伐採による土砂災害・水害の危険」「炭鉱跡地で無数の空洞が存在する」など質問多数が発せられた。

 なかでも住民が問題にしたのは、炭鉱跡地といういわば空洞の上にある山林に太陽光発電設備を設置するにもかかわらず、ボーリング調査はたった1ヶ所、電気探査は4本のみで「安全」であると結論づける事業者のずさんな調査である。

 なかでもボーリング調査は、山の上から道路の高さまでしか行っていない。

 採炭場や坑道は道路よりも低いので、これでは炭抗の空洞の調査になっていない。

 第2回説明会は2020年3月に飯田集落センターで開催されたものの、コロナ禍で参加者は数人のみだった。

 ここで、業者は危険な地下の坑道について、「資料がなく、調査ができない」という問題発言を行い、住民が反発。両者は後日、改めて説明会を開くことで合意した。

 ところが、イーゲート社が小川町に提出した第2回説明会議事録では、「説明会(最終)」と書かれていた。

 この事業者の虚偽報告をめぐり、町は事業者の報告を鵜呑みにして、「説明会は終わった」とする一方、住民は「説明会は終わっていない」と主張するなど、両者の認識のずれが表面化した。

 そのため、住民側は「この計画地の開発を許可しないように求める」要望書を、反対署名938筆を添えて、埼玉県、小川町、小川町議会へ提出した。

 その後、2020年11月に事業者が住民宅何軒かを戸別訪問したことが判明した。

「小川町太陽光発電設備の適正な設置及び管理等に関する条例」の施行

 住民と事業者との対立が高まるなか、やや煮え切らない態度をとっていた小川町が2022年4月1日、小川町太陽光発電設備の適正な設置及び管理に関する条例を施行した。

 この条例では、小川町内で計画されている(条例の施行前から計画されていたものも含む)出力10kw以上の太陽光発電設備の設置が対象となる。

 以下、条例の核心をなす説明会等の開催(第10条)、意見の申出(第11条)、地域住民等との協議等(第12条)、事業計画の届出(第13条)、協定の締結(第14条)、指導、助言及び勧告(第24条)について、ごく簡潔に紹介したい。

 まず町内で太陽光発電設備(10kw以上)を設置しようとするものは、地域住民等への説明会等を開催し、当該事業計画に関する周知について必要な措置をとらなければならない。

 ここで地域住民とは、事業区域の周辺に居住する者だけでなく、太陽光発電事業により生活環境等に一定の影響を受けると認められる者をいうと規定されている点に注意したい。

 つまり、事業者主催の説明会には、地域住民以外の者も参加できるのである。

 事業者は説明会の開催にあたり、事前に開催日時及び場所等を、説明会開催の30日前までに町長に報告しなければならない。

 町長はこれを受け、説明会の開催日時・場所をホームページ等で公表できる。

 地域住民等は、説明会において、事業計画について意見を述べることができる。

 そして、事業者は意見の申出があったときには、意見を述べた地域住民等と協議しなければならない。

 同時に事業者は協議結果を町長に報告しなければならない。

 事業者は、太陽光発電事業を行おうとするときは、設置工事に着手する日の60日前までに、説明会の内容等を添え、事業計画について町長に届け出なければならない。

 事業者は、町長が必要と認める場合、事業計画の届出までに、事業に関する協定を町長と締結しなければならない。 

 町長は必要があると認めるときは、事業者に対し、必要な措置を講じるよう指導又は助言を行うことができる。

 さらに、事業者が説明会等を開催しなかったとき、相当な期限を定めて必要な措置を講じるよう勧告することができる。

地域外住民の参加を排除した第3回説明会の混乱

 イーゲート社の飯田炭鉱跡地における太陽光発電設備の設置計画は、小川町条例が施行された2022年4月1日よりも2年半前の2019年9月に第1回説明会を開催していた。

 そして既に述べたように、2020年3月に開催された第2回は、コロナ流行のため、参加者は数人にとどまり、住民・事業者双方は後日改めて第3回説明会を開催することとした。

 この合意に沿って、条例制定後の2022年11月25日に第3回の説明会が開催されることになった。

 条例では説明会開催の30日前までに、開催日時と場所を事業者は町長に報告しなければならない。これを受け町長は町ホームページや広報紙等で、開催を広く町民に周知することができる。

 しかし、第3回説明会の開催を町が知ったのは2022年11月13日前だった。

 これは、明らかに条例違反はないかと地域住民が町に確認すると、町の回答は「説明会は終わった」という認識であり、第3回は「説明会ではない」というものであった。

 結局町のホームページ等による周知がないまま、イーゲートは第3回説明会案内と意見要旨を隣接住民のみに配布した。その後、飯田区長が第3回説明会案内を飯田区に回覧したのみであった。

 2022年11月25日に開催された第3回説明会は、飯田区民とそれ以外の住民に分かれて受付を通り、座席もそれぞれが離れて座るなど、一応、飯田区民以外の住民も参加できることになっていた。

 開会冒頭、飯田区長が突然「飯田の問題だから地区外の人は帰ってくれ」と発言。

 事業者もこれに呼応し、地区外住民を排除した。

 その際、地区外住民は机の上に置かれた説明会資料を「持ち帰らないように」と事業者により取り上げられ紛糾し、結局、説明会は流会となった。

  第3回説明会資料のなかには、第1回・第2回の説明会で地域住民等から出された質問に対する事業者の回答がまとめられており、これは飯田地区の住民であろうと、そうでなかろうと是非見るべきものである。

 それを飯田以外の住民は持ち帰るなという権限が、果たして飯田区長や事業者にあるのだろうか。

 しかも、こうした条例違反の説明会運営に対し、小川町は事業者に対し、指導や助言、さらに勧告を行うべきなのである。

 2022年11月30日、再度、第3回説明会が開催され、「これは飯田だけの問題ではない」と多くの地区外の住民が参加しようとしたものの、事業者は机をバリケードにして地区外住民を排除。またしても、説明会は紛糾し中止となった。

 以上の第3回説明会(2回流会)の経緯は、比企の太陽光発電を考える会小川支部の発行したチラシにもとづいているが、条例で小川町は説明会への地域外住民の参加を認めている。

 しかし、事業者は「第3回説明会」とうたいながら、公然と地域外住民の参加を阻止し、これに対し、小川町も「第2回説明会(=コロナのために参加者少数)で説明会は終わった。第3回は説明会ではない」と事業者の態度を黙認した。

 事業者は既に説明会は終わったという町の姿勢を受け、第3回の説明会では飯田区長と締結する協定書案まで用意していた。

 第3回説明会が2度にわたって流会した結果、事業者が用意した協定書案も日の目を見なかった。

 この2022年11月以降、事業者側から条例にもとづく事業計画の町長への申請はなく、林地開発許可の申請もない。

 いくら区長を抱き込んでも、区長以外の地域住民が全員反対している状況では、事業を強行するのは難しい。

 まして、区長が変わり、歴代の事業者寄りの区長ではなく、太陽光発電設備設置計画に反対の区長が誕生したことも、事業者にとって致命傷となった。

 その結果、2026年4月8日の蟹沢地区での聞き取りでも、複数の住民が「2年前(2024年)に計画はストップした」と語る状態になっている。

FIT認定の失効

 飯田太陽光発電所は、資源エネルギー庁の再生可能エネルギー優遇制度であるFIT(固定価格買取制度)認定を受けていた。

  FIT認定により、発電事業者は認定を受けた時点の価格のまま長期にわたり発電した電力を電力会社に買い取ってもらうことができる。

 しかし、FIT認定を受けながら、一向に着工できず、運転開始予定期間が過ぎても稼働できない施設が増加してきた。これは周辺住民の反対によるところが大きい。

 この事態を受け、資源エネルギー庁は「認定失効制度」を設け、運転開始期限を過ぎ、未稼働の状態が続いている案件について、「系統連系工事申込みを行っていない案件は、運転期限の1年後の時点で認定を失効する」こととした。

 この場合、国の環境アセス法にもとづく環境アセスメントを実施している案件については、太陽光の場合、3年間の猶予が適用される(「さいたま小川町メガソーラー設置計画」はこの事例)。しかし、飯田太陽光発電所はアセスが適用されないので、「運転期限の1年後の時点で認定を失効する」こととなる。

 飯田太陽光発電所は2023年に運転を開始する予定だったが、前述のとおり地域住民のほぼ全員の反対を受け、2022年11月のいずれも流会した第3回説明会以降、着工に向けた手続きは全く進んでいない。

 つまり、飯田太陽光発電所は系統連系工事着工申込みを行っていない案件に該当し、しかも運転期限(2023年)後1年経っても着工できていないので、2024年にはFIT認定は失効するはずである。

 これを確かめるために、まず飯田太陽光発電所の「設備ID」(FIT認定時に割り振られる10桁の識別番号)を確認するため、再生可能エネルギーの電子申請における設備ID照会に入力してみた。

 ところが、事業者名(イーゲート株式会社もしくは合同会社E.G.H.第二発電所)、発電設備の設置地名(代表地名)を入力してみても、「入力された事業者名、発電設備に完全に一致する設備は見つかりませんでした」となり、設備IDの検索はできなかった。

 設備IDを打ち込めば、失効したか否かを確認できるのだが、そもそも設備IDの検索ができないこと自体、FIT認定が失効したことを証明している。

 FIT認定の失効により、イーゲートは、かりに設備ができたとしても、認定時の高額な価格で発電電力を電力会社に買い取ってもらうことができず、事業としての「うまみ」は完全に消失する。

 住民たちが2年前に計画がストップしたというのは、おそらく2年前の2024年に「飯田太陽光発電所」のFIT認定が失効したことを物語っているのではないだろうか。

 もっとも、ある住民は「計画は事実上ストップしたものの、事業者は『やめました』とは言っていない。事業者が土地をもっているだけに、今後どう出てくるか安心はできない」とホッとしながらも、懸念を表明した。

 2018年から今日まで約8年間にわたり飯田炭鉱跡への太陽光発電設備設置に反対してきた飯田地区の住民が本当に安心できる日は、いつ来るのだろうか。

おわりに

 同じく官ノ倉山周辺で計画されている太陽光発電設備の設置計画であり、しかもほぼ同時期に計画が進められているにもかかわらず、飯田炭鉱跡の計画(飯田太陽光発電所計画)は、「さいたま小川町メガソーラー設置計画」の陰にかくれることになった。

 マスコミの報道もほとんどなく、小川町の姿勢もメガソーラーに対する毅然とした態度に比べると、明らかに「腰砕け」ではあったものの、「飯田太陽光発電所計画」が事実上の凍結状態に追い込まれたのには、当初から一貫して反対の姿勢を貫いた飯田地区住民の強い意志とそれを支えた市民グループの頑張りがあったからにほかならない。

 ただし、もっとも根本的な問題は、発電出力や敷地面積などが要件よりもはるかに小さいがゆえに、事業者のずさんな調査をチェックするはずの環境アセスがミニソーラーには適用されないという事実である。

 私たちの目は、規模が大きく、自然破壊の度合いも大きいメガソーラーに向きがちである。

 しかし、限界はあるとはいえ、メガソーラーに対しては、国や県の環境アセス制度が立ちはだかり、そこで専門家から構成されるアセス審査委員会等の意見をふまえ県知事が意見を述べ、さらに国のアセスの場合、県知事、環境大臣の意見をふまえ、最終的に経済産業大臣がアセス準備書に対する勧告を述べることができる。

 たしかにミニソーラーでも林地開発許可の審査において、市町村長の意見を聴くとともに、災害防止、水害防止、環境保全等の視点で審査を行うことになっているが、これらは環境アセスにくらべはるかに低いハードルでしかない。

 2023年4月から森林を開発して太陽光発電設備を設置する場合、従来の開発面積1ヘクタール以上にかわり、0.5ヘクタール以上の場合、都道府県知事による林地開発許可が必要になるなどの規制強化が実施された。

 ただし、対象を広げたものの、審査基準の強化にまではいたっていない。

 実際、太陽光発電設備設置にともなう周辺への悪影響(盛土の崩壊、調整池の決壊など)の多くは、アセスなしのミニソーラーに集中している。

 そのため、太陽光発電設備の大半を占めるのがミニソーラーである現状をふまえ、丘陵地帯において、土地の改変をともなう太陽光発電設備の設置計画に対し、都道府県のアセス条例を改正し、アセスの適用規模を大幅に引き下げるべきである。

 既に述べたが、国のアセス対象となる太陽光発電設備は第1種事業(アセスを義務づけ)が4万kw以上で、個別に判断される第2種事業でも3万kw以上の出力であり、いずれもメガソーラーを前提としている。

 埼玉県アセス条例でも、太陽光発電設備に関するアセスを敷地面積20ha以上に限っている。

 これでは、いくら森林伐採や調整池の設置を伴う事業であろうと、飯田炭鉱跡のように出力3,367.2kw、敷地面積約5.5ヘクタールでは、国や県のアセス対象外となり、アセスなしですり抜けることができる。

 そこで注目したいのが兵庫県である。

 兵庫県は2000年4月1日より、アセスに関する条例を改正し、太陽光発電所の新増設に対し、事業区域面積5ヘクタール以上のものの場合、通常のアセス手続きの実施を義務づけることとした。

 その場合、事業者は早期環境配慮書の作成等→環境影響評価概要書の作成等→環境影響評価準備書の作成等という3つの段階で、それぞれ住民意見、関係市町村長の意見、知事の意見を聴き、最終的な環境影響評価書の作成にこぎ着けなければならない。

 この5ヘクタール以上の新増設という基準を埼玉県が採用すれば、飯田炭鉱跡の太陽光発電設備設置計画も、アセス手続き適用対象になるのである(もちろん、アセス逃れのために5ヘクタール未満に敷地を縮小させる可能性も否定できないが)。

 兵庫県のアセス条例改正でもう1つ注目したいのは、森林の伐採を伴うもの又はため池の水面上等に設置するもの(すなわち、切土・盛土を行い、調整池を設置するもの)に限り、事業区域面積0.5ヘクタール以上の新増設に対し、「自然環境調査」の実施を義務づけ、調査結果報告書の提出を義務づけたことである(アセス手続きは不要)。

 今後、丘陵地帯におけるミニ太陽光発電設備の設置計画を抑制するため、各市町村が制定する条例による住民説明会等を含む事前協議の義務づけ、都道府県のアセス条例の適用拡大、さらに林地開発許可基準の厳格化など各レベルにおける一層の取り組みが求められるだろう。

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