遠ノ平山をめぐる太陽光発電所建設問題ー北側(中爪側)の計画地と南側(下里側)の既に稼働中の太陽光発電所を訪れるー

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

高橋秀行をフォローする
  1. 新興住宅地至近距離にある自然のオアシス「菖蒲沢沼」「内洞沢の棚田」
      1. (図1)遠ノ平山周辺地図
  2. 遠ノ平山太陽光発電所建設計画の概要
      1. (図2)太陽光発電所建設計画地周辺拡大図
  3. 計画地周辺の現状
      1. (写真1)菖蒲沢沼(2026年4月12日撮影)
      2. (写真2)正面のヤブが調整池の建設予定地(2026年4月12日撮影)
      3. (写真3)太陽光発電事業者に対し、地権者が怒りの言葉を刻んだ石碑(2026年4月12日撮影)
      4. (写真4)小川バイパス中爪橋から眺める内洞沢棚田の景色(かつての桃源郷が無残な耕作放棄地に変貌してしまった)(2026年4月12日撮影)
      5. (写真5)内洞沢棚田に沿った道も、草深い道になってしまった(2026年4月12日撮影)
  4. 菖蒲沢沼から遠ノ平山に登る
      1. (写真6)下里への分岐にたたずむ天之香士命(天香山命)の青石の石碑(2026年4月12日撮影)
      2. (写真7)遠ノ平山山頂の御嶽三大神の巨大な石碑とその手前にある神武天皇の石碑(2026年4月12日撮影)
      3. (写真8)神武天皇の石碑(2026年4月12日撮影)
      4. (写真9)遠ノ平山山頂中央にある巨松の跡(2026年4月12日撮影)
  5. 遠ノ平山(東野平山・東平山:とおのひらやま) 
  6. 急な山腹にソーラーパネルが敷き詰められている危険な既設太陽光発電所
      1. (写真10)LIFE-X小川町発電所の上部から眼下の調整池や人家を見下ろす(2026年4月12日撮影)
      2. (写真11)LIFE-X小川町発電所下の調整池と周辺の人家(2026年4月12日撮影)
      3. (写真12)急な山腹にソーラーパネルを設置(2026年4月12日撮影)

新興住宅地至近距離にある自然のオアシス「菖蒲沢沼」「内洞沢の棚田」

(図1)遠ノ平山周辺地図

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 東武東上線に乗り、小川町駅に到着する直前、向かって左側の車窓から目を凝らすと、国道254号線小川バイパスの高架の下に棚田が広がっているのが見えるだろう。

 そして、その次には林のなかのまるで別天地のような場所に静かに水をたたえる池(農業用の灌漑沼)が一瞬だがみてとれる。

 何度も小川町にハイキングに訪れた方なら、車窓からみえる棚田やため池が一体どこなのかと思い、是非訪れてみたいと思うことだろう。

 実は最初に見える小川バイパス高架下の上下流に広がる棚田こそ、「内洞沢(うちぼらさわ)の棚田」である。

 ため池は内洞沢・棚田と尾根ひとつ隔てたところにある「菖蒲沢沼」(しょうぶさわぬま)である。

 内洞沢の棚田、菖蒲沢沼のいずれも遠ノ平山(東野平山・東平山:とおのひらやま)の北側に位置する。

 菖蒲沢沼は遠ノ平山を水源とする菖蒲沢の水を集めたため池であり、菖蒲沢の東側の沢である内洞沢の中流から下流にかけ棚田がつくられているのが内洞沢の棚田である。

 現在、菖蒲沼沢や内洞沢・棚田とは東上線をはさんで「小川パークヒル」(小川町東小川)と呼ばれる巨大な新興住宅地が建設されている。

 そんな新興住宅地のごく近くにあることが信じられないような静けさを保ち、同時に人々が自然と触れあう貴重な場である現地が、いま重大な危機に瀕している。

 それが菖蒲沼沢と内洞沢・棚田との間の尾根に建設が計画されている太陽光発電所である。

 太陽光発電所建設計画は2021年に浮上したが、それ以前に同地には産業廃棄物最終処分場の建設が計画されていた。

 もともと現地にはゴルフ場建設が計画されていたが、事業者が計画を断念したあと小川町が土地を買収したものの、今度は産廃業者に町が土地を売ってしまったという。

 さらに産廃業者から太陽光発電事業者に土地が転売されたという経緯をたどったようだ。

 そうした土地の売買に関係なく、内洞沢ではここ数十年にわたり耕作放棄地であった棚田の再生活動が進められてきた。

 その中心となったのが、棚田のちょうど入口に家を構えるBさんである。

 Bさんの活動を的確に要約したネット記事があるので、それにもとづき同氏の足跡と内洞沢・棚田の姿を描いておこう(高瀬仁志「乱開発から小川町のみどり豊かな自然を守りたい!」)。

 Bさんは2020年当時、70代の男性。

 内洞沢の保全をライフワークにして、無農薬で米をつくりながら、40代の頃から「昭和20年代の美しい日本の農村風景」を再生しようと、東京まで通勤するかたわら、家の周辺で耕作放棄地になっていた棚田の再生事業に努めてきた。

 30年以上もの歳月をかけ、農薬を一切使わず、有機肥料で丹念に土づくりを行った結果、そこには日本有数の美しい棚田として再生され、春になると長年かけて育ててきた山桜をはじめとする美しい花が棚田を彩り、まるで桃源郷のような美しい田園風景が広がる。

 夏場には蛍が自然発生し、毎年目を楽しませてくれるようになった。

 その結果、現地はいつの頃からか「内洞沢の棚田と蛍の里」と呼ばれるようになった。

 また、希少種のニホンアカガエルが棲みついてくれるようになり、それが棚田の水の美しさを証明してくれている。

 棚田の再生や周辺環境の整備は、おもにBさんが中心に担ってきたが、それを側面から支援したのが小川町下里や中爪の有機農業家であり、市民団体「遠ノ平山の棚田を守る会」であった。

 遠ノ平の棚田を守る会はBさんの活動を支援するとともに、手つかずになっていた内洞沢下流域(小川バイパス下流)の棚田再生に尽力。

 さらに菖蒲沼沢周辺の環境整備や菖蒲沼沢から遠ノ平山に登る登山路(町道)の改修にも尽力した。

 そこに降って湧いたのが産廃処分場計画であり、それを引き継ぐかたちになった太陽光発電所建設計画であった。

 にもかかわらず、内洞沢・棚田と蛍の里は、棚田再生のモデルケースであり、人と自然が共生できる場であるとして、2019年から2022年頃までには盛んに各メディアに取り上げられ、訪れるハイカーも増加した。

 ところが、ここ数年、なぜか内洞沢・棚田の近況が報告されていない。

 一体何があったのだろうか。

 さらに太陽光発電所建設計画はどうなったのか。

 そんなことが気になっていた頃、小川町在住で、官ノ倉山のプリムローズカントリー倶楽部造成跡地に計画されている「さいたま小川町メガソーラー設置計画」予定地で長年希少な鳥類調査を行っているSさんから、遠ノ平山の太陽光発電所計画予定地のうち、とくに重要な争点になっている3つの場所を案内したいとの連絡を得て、2026年4月12日(日)、小川町に向かった。

遠ノ平山太陽光発電所建設計画の概要

 計画地の現況に入る前に、太陽光発電所建設計画の概要を紹介したい。

 以下の内容は、2021年7月25日に事業者である株式会社メデア(さいたま市見沼区)が行った地元説明会資料にもとづいている。

 計画地については、図1と図2をご覧いただきたい。

(図2)太陽光発電所建設計画地周辺拡大図

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 設置場所は、小川町大字中爪字菖蒲沢1488-1外15筆。

 発電出力は2,344.3kwである。

 典型的な環境アセス逃れのミニソーラーである(埼玉県環境影響評価条例では、敷地面積20ヘクタール未満の太陽光発電所建設計画は、環境アセスの対象とはならない)。

 建設時期は2021年7月から2022年3月。2022年4月末から稼働開始となっている。

 しかし、稼働開始予定の2022年4月末から4年経っている現在、工事には入っていない。

 さて、計画地は遠ノ平山の北側(小川町中爪)に予定されているが、山頂からはかなりの距離がある。

 しかし、2つの地図をみると分かるように、遠ノ平山頂から距離があるから良いだろうといった生やさしいものではない。

 計画地の西端は菖蒲沢沼に近接しており、唯一の調整池は菖蒲沢沼とは狭い農地をはさんで至近距離に建設される。

 計画地の北端は国道254号線小川バイパスに近接している。

 この場所には大量の盛土が予定されており、盛土の法面が小川バイパスに落下しないように法面には擁壁を設置することになっている。

 もっとも影響を受けるのが内洞沢・棚田である。

 計画では、予定地となる内洞沢・菖蒲沢の2つの沢にはさまれた尾根を切土して削平し、ここに太陽光パネルを設置。切土した土砂はおもに計画地の北側(国道254号線小川バイパスに沿った場所)と東側上流に盛土する。

 問題は東側上流の盛土である。

 ここは内洞沢上流の蛍の里すぐ近くであり、蛍の里の西側(左側)に巨大な盛土の法面が出現する。

 たしかに棚田の入口にあるBさん宅の周辺や棚田のある内洞沢中流は計画地の外だが、そのすぐ上の尾根は緑の森の代わりに太陽光パネルが敷き詰められることになる。

 それにより内洞沢・棚田をめぐる風景が一変する。

 内洞沢を眺める最高のビュー・ポイントが小川バイパスの中爪橋である。

 そこから下に広がる美しい棚田と緑の山の景色は、棚田を圧迫する盛土法面と緑の尾根を削って敷き詰めたソーラーパネルに一変する。

 そのため、景観的には内洞沢・棚田は、その価値の多くを失うといっても過言ではない。

計画地周辺の現状

 2026年4月12日、小川町駅頭でSさんと落ち合い、彼女は車で、私はパークヒル行きバスで、5丁目バス停で下車。

 5丁目バス停で再度合流し、今後は彼女の車に乗り換え、まずは菖蒲沢沼をめざす。

 菖蒲沢沼は、あの東上線車窓からの景色そのものの美しく静かな沼だった。

(写真1)菖蒲沢沼(2026年4月12日撮影)

 到着地点である沼のほとりから菖蒲沢沼を散策する道が延び、近くの住宅地に住む住民が散策を楽しんでいた。

 だが、一見平和そのものに見える沼のすぐ左にある小さな農地の奥のヤブには、太陽光発電所の調整池の建設が計画されている。

(写真2)正面のヤブが調整池の建設予定地(2026年4月12日撮影)

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 ちなみに、菖蒲沢沼と調整池予定地との間の農地、調整池予定地東の山林は、事業者に最後まで土地を売らないで頑張っている地権者の所有地なのである。

 農地はロープで囲まれており、太陽光発電所建設業者を一切立ち入らせないとの地権者の強い意志を感じる。 

 農地の一角には、反対地権者の太陽光発電所建設に対する怒りの文章を刻んだ石碑が建てられている。

(写真3)太陽光発電事業者に対し、地権者が怒りの言葉を刻んだ石碑(2026年4月12日撮影)

 少し長くなるが、地権者の思いを知っていただくために、抗議の石碑に刻まれた文章を再現しておきたい(原文は句読点なしだが、ここでは読みやすくするため、句読点を打った)。

 「告 山は侵してならない領域である。計り知れない生命の存在があり、その存在に恐怖しなければならない。その生命は空から視し風に隠れ水に溶け樹に宿り、また動物に姿を変え、愚かな人間たちの所業を密かに凝視している。その生命の領域を侵した人間を祟り、そして災いをあたえる」

 農地奥のヤブは調整池の予定地だが、ここは残炎ながら事業者の手に落ちた。

 だが、調整池を囲むように、計画地外だが菖蒲沢沼との間にある農地、および調整池南東の計画地(森林)は反対地権者がもっている。

 先の石碑に刻まれた地権者の自然破壊に対する強い怒りを事業者が突き崩すことは極めて難しく、調整池という重要な施設の建設に支障があることも、工事の開始を遅らせる一因となっている。

 再度車に乗って、今度は小川バイパスに乗り、まず計画地北端と接するバイパスの「菖蒲沢橋」付近で車を降りる。

 先にも述べたが、計画地の北側一帯は、尾根を切土した土を大量に盛土する区域となっていて、その北端はバイパスと近接する。

 バイパスと接する盛土法面には擁壁を設置し、盛土がバイパスに崩れる危険性を防止するとしている。

 が、気象が不安定化している現在、異常な大雨の降った後、盛土が擁壁を倒してバイパスに溢れ出、交通がストップする可能性は決して否定できない。

 菖蒲沢橋から東にバイパスの歩道を歩くと、中爪橋に到着する。

 中爪橋からは内堀沢・棚田の全体像を望むことができる。

 春には水を張った棚田やその右手斜面を彩る山桜や菜の花などがあいまって、まさしく桃源郷のような美しい姿を見せてくれていた。

 SNSで、中爪橋から撮影した棚田の姿が拡散されることにより、内堀沢・棚田は一気に観光地に変貌した。

 ところが、今日目にした棚田とその周辺の姿は全くの別物であった。

 春の棚田には水が敷かれているはずだが、いま目にしている棚田は完全に耕作放棄地となり、荒れるに任せていた。

(写真4)小川バイパス中爪橋から眺める内洞沢棚田の景色(かつての桃源郷が無残な耕作放棄地に変貌してしまった)(2026年4月12日撮影)

 棚田周囲もヤブが伸び放題となり、菜の花など美しい花の代わりに雑草が茂っている状況だった。

(写真5)内洞沢棚田に沿った道も、草深い道になってしまった(2026年4月12日撮影)

 Sさんの話によると、棚田や周辺環境を整備されていたBさんが2~3年前に亡くなり、それ以降、棚田は放置されてきたという。

 Sさんを支援していた遠ノ平山の棚田を守る会も、会員の高齢化と減少により、活動がにぶっている。

 幸い、中爪橋の反対側である棚田下流で、守る会の会員が数人で昨年から棚田の再生に着手した。

 しかし、昨年は米の収穫はゼロであったという。

 それほど棚田での米づくりは難しく、いったん耕作放棄地となり、数年放置されてしまうと、それを再度再生させるためには、気の遠くなる時間と労力が必要になる。

 このようにすっかり荒れてしまった内堀沢・棚田に訪れる人は少なく、沢の奥にあるはずの蛍の里に向かう道も完全にヤブに埋もれていた。

 この現状によりもっとも利益を得たのが太陽光発電事業者である。

 棚田の保全という強いメッセージが、その周辺に計画されている太陽光発電所建設計画にブレーキをかける世論を喚起する力になっていた。その肝心の棚田がもはや顧みられない荒れ地になってしまった現在、工事を止める世論は著しく弱くなる。  

 しかし、今でも中爪橋から望む棚田の現状は悲惨そのものだが、もし太陽光発電所ができてしまったら、それに輪をかける悪夢のような光景が広がることになる。

 棚田の横にある山林は削られ、そこには森林の代わりに大量のソーラーパネルが設置される。

 そして、棚田の奥には巨大な盛土の法面が出現し、それが内洞沢上流の蛍の里に対し、生態系的にも、さらに景観上からも致命的な影響を与える。

 そうなれば、かつて桃源郷であった内洞沢・棚田は完全に過去のものになってしまう。

 そんな悪夢のような事態を引き起こす太陽光発電所の名称が「ほたるの里1発電所」というのは、ブラックジョークであると言わざるを得ない。

 前回紹介した小川町飯田の炭鉱跡に計画されている太陽光発電所に対し、地元の大字飯田の住民が(当時の)区長を除きほぼ全員で反対した。

 ところが、遠ノ平山の太陽光発電所建設計画に対し、隣接地区住民はBさんのみであり、Bさんが亡くなったいま、今度は、関係地域住民は新興住宅地のパークヒル住民(東小川住民)となる。

 だが、東小川の新興住宅地の住民は、地元で計画されている太陽光発電所発電所計画に対し全く関心がなく、計画に反対するグループがチラシをまいても反響はゼロに近かったという。

 2021年7月25日の地元説明会開催後、2022年4月1日、小川町太陽光発電設備の適正な設置及び管理棟に関する条例を施行された。

 しかし、条例施行前に開催された飯田太陽光発電所計画の説明会(2回)を、条例第10条に規定する説明会であるとした小川町が、遠ノ平についても2021年7月25日の説明会を同様に、条例に規定する説明会と解釈する可能性は高い。

 遠ノ平山の太陽光発電所建設計画について、数年前に小川町議会で以下のような質疑応答が行われた、

 一般質問を行った町議は「中爪地内に計画中の太陽光発電所の下流には、100戸を超える集落と広大な農地がある。これらの上流が開発・更地化されると、降雨等による甚大な被害の発生が懸念されるが」と述べている。

 これに対し、答弁に立った小川町の環境農林課長は「開発行為による森林機能の保全に関し、水害を発生させる恐れがないことや、洪水を調整する施設が設置されているかなど、許可権者である県が厳密な審査を行います。町も関係法令に基づき、適切な事業計画になるよう、事業者に求めていきます」と回答している。

 町の回答は法令上の手続きを形式的に述べただけにとどまり、それ以上の積極的な姿勢を示したものとはいいがたい。

 たしかに県知事が林地開発許可申請を審査する場合、許可基準をふまえ、「防災施設の設置」「洪水調整池の設置」「必要に応じ貯水池等の設置」「残置森林の確保」などを求めるとしている。

 だが、一見きびしいように見える許可基準についても、県が林地開発許可した太陽光発電所で相次いで、工事中・稼働後に重大な災害を引き起こしている。

 現に後に述べるように、遠ノ平山の南面(下里側)に設置され、2022年11月25日より稼働開始をした「LIFE-X小川発電所」(小川町下里字水穴地区)は、工事中に大規模な土砂崩れを、稼働後には調整池からの水漏れを引き起こしている。

 このように、アセス抜きのミニソーラーでは、土砂の流出等の災害の防止や水害の発生などについて事業者が行った甘い計算を林地開発許可の際に形式的に審査する程度で通してしまうだけに、小川町の回答(県は林地開発許可に際して厳密に審査します)は全く回答に」なっていない。

 せめて県に対し、ミニアセスに対し環境アセスの手続き適用を含む県条例の改正を求めるなどの強い姿勢を打ち出すべきであった。

 さらに町が「関係法令に基づき、適切な事業計画になるよう、事業者に求めていきます」という回答も、条例施行前に開催された説明会を条例にもとづく説明会であると詭弁する町のこれまでの姿勢からみて、信憑性に欠けるといわざるをえない。

 遠ノ平山の太陽光発電所建設計画は2022年4月末に稼働予定とされている。

 そうなると、運転開始期限より1年を経過しても運転にいたっていない未稼働案件について、FIT(固定価格買取制度)認定が失効するはずである。

 つまり、2023年4月にはFIT認定が失効した可能性が大である。

 前回の飯田炭鉱跡に計画されている太陽光発電所と同様、再生可能エネルギー電子申請のページで、設備ID(FIT認定時に割り振られる10ケタの識別番号)の検索を行ってみた。

 しかし、企業名(株式会社メデア)、発電設備の設置場所の両者を入力しても、それに一致する設備IDは見つからなかった。

 ということは、遠ノ平山の太陽光発電所計画は2023年にFIT認定が失効した可能性が高く、認定時の高値で電力会社に売電することができなくなり、事業として実施する価値があるのかどうか疑問である。

 だが、事業者である株式会社メデアは今のところ事業の中止を打ち出してなく、工事開始への最大のハードルは調整池予定地周辺の地権者が土地を売らないという一点だけである。

 それ以外の状況が事業者に有利な現在(内洞沢・棚田の荒廃・地元に該当する東小川の住民の無関心など)、事業者に動きがないとはいえ、楽観できない案件である。

菖蒲沢沼から遠ノ平山に登る

 再度菖蒲沢沼まで戻り、ここから菖蒲沢沼に沿った散策路を歩く。

 しばらく進み、右手の沼が終わるあたりで、左手の林を凝視すると、一部だけ森林やヤブが切れ、山肌がむき出しになっている個所がある。

 一見、岩壁のようだが、よく見ると、明確な踏跡が刻まれている。

 実はここが菖蒲沢沼から遠ノ平山への登山口である。

 2万5千分の1地形図「武蔵小川」で、菖蒲沢沼の南端から遠ノ平山に登る破線路がこの道である。

 この道は町道であり、中爪側から遠ノ平山に登る唯一の登山路であったが(内洞沢から登る道は地形図のように途中で消えてしまう)、長年歩かれず、かなり荒れていた。

 それを遠ノ平山の棚田を守る会が整備し直した。

 ここでSさんと別れ、中爪側から遠ノ平山登山にチャレンジする。

 道は、のっけから這い上がるような急な坂道である。

 あまりにも急な坂道が続くので、少々バテて来る頃、最初のピークに登りつめる。

 樹林のなかの展望ゼロの道だ。 

 あれほど急な坂だった登山路も、最初のピークを過ぎるあたりから緩やかで快適な尾根道になる。

 しばらく平坦に近い尾根歩きを堪能したあと、またしても急な尾根道になるが、再度緩やかになる頃、西(右)から下里の八坂神社からの道が合流する。

 ここには緑泥片岩の石碑がたたずみ、読みづらい梵字だが、どうやら「天之香土命」(天香山命:あめのかぐやまのみこと・あまのかごやまのみこと)と刻まれているようだ。

(写真6)下里への分岐にたたずむ天之香士命(天香山命)の青石の石碑(2026年4月12日撮影)

 ここは遠ノ平山の西肩のような場所で、すぐに御嶽三大神(御嶽山太神・三笠山太神・八海山太神)を刻んだ巨大な青石の石碑が大きな石積みを上に建立されている山頂につく。

 御嶽三大神の石碑手前に神武天皇の石碑がまるで前座か露払いかのように建立されているのも面白い。

 巨大な御嶽三大神の石碑は明治15年(1882)4月吉日に建立されとの記銘があり、石碑の裏には石碑建立に対し寄付を行った人々の名が刻まれている。

(写真7)遠ノ平山山頂の御嶽三大神の巨大な石碑とその手前にある神武天皇の石碑(2026年4月12日撮影)

(写真8)神武天皇の石碑(2026年4月12日撮影)

 小広い山頂の中央には巨大な松の木の跡(切り株)が残され、西端に御嶽三大神の石碑がある。

 小広い山頂は樹林に覆われ、展望はないが、実に落ち着く場所である。

(写真9)遠ノ平山山頂中央にある巨松の跡(2026年4月12日撮影)

遠ノ平山(東野平山・東平山:とおのひらやま) 

 遠ノ平山は標高僅か200メートルにすぎない丘陵だが、独立峰であり、ドーム状の堂々たる山容の山である。

 東を嵐山町志賀(しが・しか)、北を小川町中爪、西から南にかけて小川町下里に囲まれた3つの大字にまたがる山である。

 それだけに、各大字からは、それぞれ山頂にいたる登路が良く踏まれている。

 そして、小広い山頂に御嶽信仰の跡を残す、低いながらも風格と歴史を感じさせる比企の名山である。

 2万5千分の1地形図「武蔵小川」でこそ「遠ノ平」の表記だが、『小川町土地宝典』によると、南面(下里側)のヒラ(斜面)には「東平山」の小字名がある。

 山麓の菖蒲沢沼から山頂にかけての中爪側斜面には「東野平」(昔は堂ノ平)の小字名がある。

 さらに山頂の志賀側(嵐山町側)山腹には「遠平」の小字名がある。

 「東平」「東野平」「遠平」のいずれも「とおのひら」と読むが、国土地理院の地形図では嵐山町側の志賀の表記を採用し、「遠ノ平山」とした。

 以後、「遠ノ平山」の山名表記が定着したが、古い地誌ではどのように書かれているのだろうか。

 『武蔵国郡村誌』比企郡志賀村の条では「遠平山」、中爪村の条では「東野平山」と、先の小字名をふまえた表記をしている。

 この記載は『武蔵通志』にも引き継がれ、「遠平山」と「東野平山」が、あたかも別の山であるかのように記載している。

 『通志』では、丁寧にも「ヒガシノタヒラ」とルビを振っている。

 『通志』の記載内容は、「遠平(トウノヒラ)山」については、「高さ四百六十尺。志賀の西にあり」とごく簡単だが、「東野平(ヒガシノタヒラ)山」となると、「高さ二百五十尺。八和田村中爪の南にあり、東は菅谷村志賀、南は下里村に跨がる。中爪字内洞から上る二町。頂に石碑を建て、御嶽社遙拝所となす。明治十五年(1882)壬辛新たに之を設け、近村登拝する者多し。一老松あり。大傘を張る如し。東野平松と云う」など、かなり詳しい。

 さらに詳しいのが、明治19年(1886)の『中爪村地誌』である。それによると、「山嶽 東野平山 形状 村中の高山にして扇面を逆建にしたるの形様をなす。山脈は左右に分かれ、雀峠・七曲及び日向山等に連る。その他接近の山林起伏し一大山岳をなせり。高 二十五丈。周囲六町三十四間。登路 一条あり。険なり。その程は四町五十間。樹木雑樹繁茂せり。景致 頂上に一老松樹あり。東野平松と号く。その様は一大傘を開しごとく。山中桜ツツジ等多々の開花の風景眺望最も愛すべし。西は遙かに秩父郡諸山を相望む。雑項 明治十五年中、頂上に御嶽神社の石碑を建立す。地方信徒多く参拝登山社多し、本山名号を里伝にいう日本武命東夷征伐の時、当時概征伏し後、本山に登賜いて東方を望み、東野平けりと宣いり。号して東野平山名けしといえり」(小川町教育委員会所蔵八和田村行政文書336)と、山名由来伝説を含め、細かく記述している。

 先にも書いたとおり、そして『通志』や『中爪村地誌』のとおり、山頂には「御嶽山太神・三笠山太神・八海山太神」(明治15年4月建立)の巨大な石碑が建立されている。

 かつて中爪・下里・志賀の三か村には「御嶽講」が組織されていて、三村の境である遠ノ平山(東野平山・東平山)山頂に碑を建立した。

 私が以前取材した1989年当時、遠ノ平山のことを「御嶽山」(おんたけさん)と呼ぶ古老がおられた。

 なお、明治15年に石碑を建立した頃、山頂に小屋を建て、そこに籠もって太鼓を叩き続けた行者(橋本某)がいたという。

 『通志』や『中爪村地誌』の記事にある東野平松かどうかは定かではないが、たしかに山頂中央には立派な男松があり、麓からみても一目で分かるほどのものであったという。

 しかし、落雷で中が空洞になったうえ、(1989年調査時の)数年前にマツクイムシよりに枯れてしまった。

 現在切り株だけ残されているが、幹回り3メートルほどの立派な木であったことが想像される。

 「トオノヒラ」の山名については、「トオ」や「トー」が尾根や山腹をさす山岳語彙であることから、「平坦な山頂をもつ山」(山頂が小平地になっている山」とするのが、山頂の形状からみて妥当だと思われる。

 「遠ノ平」(遠平)や「東平」「東野平」「堂ノ平」などは、「トオノヒラ」の宛て字であろう。

 昭和55年作成『八和田地区郷土かるた』に「のろしをあげた東の平」とあり、その説明に「中爪地区にある。戦国時代、関東各地で戦った上杉顕定(あきさだ)と上杉定正(さだまさ)は、高見が原で有名な合戦をした。このとき、東の平は上杉定正の陣した所で、戦闘開始ののろしをあげた所という」とある(内田康男「リリック学院 懐かしき小川町 03―⑤「小川町の山々・巨石・名石ーその歴史と伝説―」講座資料、令和4年2月19日作成)。

急な山腹にソーラーパネルが敷き詰められている危険な既設太陽光発電所

 山頂から再び「天之香土命」(天香山命)の青石の石碑まで戻り、今度は直進する。

 すぐに南側(左側)の視界が開ける。

 遠ノ平山に登ってから初めて展望の得られる場所である。

 しかし、尾根の南側の急斜面に大量のソーラーパネルが敷き詰められていた。

 下には調整池がみえるが、その周囲には小川町下里水穴地区の集落や八坂神社がある。

 今まで丘陵地帯に建設された太陽光発電所をいくつも見てきたが、こんな急斜面に建設された例は見たことがない。

 これが2022年11月26日から運転を開始した「LIFE―X小川町発電所」である。

 発電出力は1,250.0kwの典型的なミニソーラーであり、環境アセスなしに林地開発許可のみで建設された。

 事業者は、横浜市中区に本社を置くLIFE―X株式会社。

 こんな急斜面では、本当にソーラーパネルが転落しないのかどうか疑問を抱かざるをえないし、それ以上に裸同然になり土が露出している斜面が大雨時に土砂崩れを起こさないか心配になる。

 しかも眼下の調整池が大量の雨水や土砂をせき止めるだけの容量をもっているのかどうかも疑問である。

 こんな無理な場所に建設される太陽光発電所建設計画に対し、よく林地開発許可が出たものというのが率直な感想である。

(写真10)LIFE-X小川町発電所の上部から眼下の調整池や人家を見下ろす(2026年4月12日撮影)

(写真11)LIFE-X小川町発電所下の調整池と周辺の人家(2026年4月12日撮影)

 

(写真12)急な山腹にソーラーパネルを設置(2026年4月12日撮影)

 実は、LIFE―X小川発電所建設工事中の2021年7月28日午後8時頃、発電所建設地から泥水が流出する事故が起こった。

 もっと詳しく事故の様子を書くと、工事は2021年7月上旬から開始されたが、事故当日の午後8時頃の降雨により、事業地内から表土、木くず等が雨水とまざり、泥水となって直下の道路・水路などに流出した。

 急斜面から流出した土砂は、直下にある道路と、それに続く住宅敷地を埋めたという。

 住民の男性によると、「厚さ80センチほどの泥が家の外壁にも押し寄せた。50年住んでてこんなの初めて。台風接近の天気予報があるたびに怖い思いをしている」と語っている(朝日新聞、2021年11月10日ネット記事)

 「比企の太陽光発電を考える会」は上空から土砂流出現場を撮影しているが、それによると木々を伐採し、丸裸になった急斜面の土砂が広範囲にわたり、ごっそり落下し、

直下の道路や人家などを直撃している様子がよくわかる(Facebook記事「小川町下里④」2021年7月31日)。

 このような大きな事故が起きたにもかかわらず、工事は続行され、翌2022年11月、LIFE―X小川町発電所」は発電を開始した。

 同発電所は、発電後も、新聞等には報道されていないが、大雨の後、雨水が調整池からあふれ出る事故を起こしている。

調整池の容量が十分であり、調整池からの排水施設が十分整備されていれば、このような事故は起きないはずである。

 先の土出事故とあわせ、太陽光発電所直下にある下里字東水穴地区の住民は大雨のたびに、太陽光発電所からの土砂や雨水の流出におびえながら生活しているのである。

 繰り返すが、こんな急斜面の森林伐採やソーラーパネル設置などは、林地開発許可基準からみて許可できない内容であったはずである。それをなぜ埼玉県は許可したのか。

 ここに環境アセス抜きのミニソーラーに対し、林地開発許可が有名無実化している事実がある。

 かつて山麓の人々が御嶽山の遙拝所として信仰した山・遠ノ平山は、いま災害源となっている下里側(南側)の既設太陽光発電所、そして北側の中爪側に計画され、菖蒲沢沼や内洞沢・棚田など里山の自然を台無しにする太陽光発電所建設計画の2つにはさまれている。

 まさに「悲劇の山」であるといっても過言ではない。

 中爪側の計画を中止させ、下里側の太陽光発電所を廃止し、原状回復させるよう私も今後とも訴えかけ続けていきたい。

  

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