寒沢山・物見山・寺山・愛宕山ー間違った山名や誤った位置の私設山名表示板が林立する山域を歩くー

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

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(地図)観音山・寒沢山・物見山・寺山・愛宕山・徳寿山

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 2万5千分の1地形図「武蔵小川」を見ると、北の国道254号線、南の槻川にはさまれた区域に小さいながらも顕著な山域が存在する。

 それが遠ノ平山と国道をはさんで南に位置する大聖寺(小川町下里)の裏山一帯である。

 この山域は、おおむね3つの尾根によって構成される。

 まず一番北側が大聖寺裏山の観音山(200㍍独標)から南南西に愛宕山、徳寿山へ延びる尾根。

 一番南側は、物見山(214㍍独標)から嵐山町遠山の遠山寺裏山である寺山へ延びる小川町・嵐山町境界尾根。

 最後が物見山の西で境界尾根から西に延びる尾根で、この尾根上に寒沢山がある。

 北は国道254号線をはさんで遠ノ平山に対峙し、南は槻川をはさんで仙元丘陵と対峙するこの山域は、かつて1990年頃にコリンズカントリークラブの予定地となった場所である。

 標高は160㍍~220㍍前後。尾根は終始、樹林に覆われ、全く展望の得られない地味な丘陵だが、小川町で数少ない指導標なき山域で、山道や踏跡などが複雑に絡み、ハイカーの読図能力や地形判断能力が徹底的に試される意外に手強い山域である。

 しかし、最近まであまり歩かれなかったため、主要ピークの山名が混乱をきたしている。

 現在、主要ピークには立ち木に私設の山名表示板が付けられているが、その多くが誤った山名であるうえ、誤った場所に山名表示板がつけられ、それがヤマレコやYAMAPなどの山行記録で拡散され、ハイカーの間で誤った山名や山の位置が定着してしまっている。

 この由々しき事態に対し、これまで本ブログでも何回も警鐘を鳴らしてきたが、今回実際に歩いてみて、現地の状況を報告し、正しい山名の復活および山の位置を正しい場所に戻すための一助としたい。

 本レポートは、2026年4月12日(日)、遠ノ平山の太陽光発電所建設予定地の視察および山頂への登頂。その後、下里側に建設された既設太陽光発電所の視察ののちに行った山行の記録である。

 出発点である小川町下里3区の大聖寺(下里観音)からスタートしたのが15時。

 大聖寺から観音山に登り、寒沢山→物見山→寺山→愛宕山→徳寿山と主要ピークを踏んで、下里1区の北根集落に下りたのが17時30分。

 約2時間30分近くの行程である。

      1. (地図)観音山・寒沢山・物見山・寺山・愛宕山・徳寿山
  1. 観音山(かんのんやま:200㍍独標)
      1. (写真1)観音山山頂(2026年4月12日撮影)
      2. (写真2) 観音山山頂の私設山名表示版(「和具山200m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)
  2. 寒沢山(かんざわやま)
      1. (写真3)寒沢山分岐(「寺山220m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)
      2. (写真4)寒沢山山頂(2026年4月12日撮影)
      3. (写真5)寒沢山山頂の私設山名表示板(「八頭山220m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)
  3. 物見山(ものみやま:214㍍独標)
      1. (写真6)物見山分岐(白テープに寒沢山→とあるのは物見山→が正しい)(2026年4月12日撮影)
      2. (写真7)物見山山頂の私設山名表示版(「寒沢山」とあるのは誤り)と謎の石柱(2026年4月12日撮影)
      3. (写真8)物見山山頂の私設山名表示板(「寒沢山」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)
  4. 寺山(てらやま:180㍍圏)
      1. (写真9)寺山山頂(2026年4月12日撮影)
      2. (写真10)寺山山頂の石碑状の青岩(2026年4月12日撮影)
      3. (写真11)寺山山頂にある謎の基石?(2026年4月12日撮影)
  5. 愛宕山(あたごやま:170㍍圏)
      1. (写真12)物見山分岐(白テープに「寒沢山」とあるのは「物見山」が正しい)(2026年4月12日撮影)
      2. (図13)愛宕神社社殿(2026年4月12日撮影)
      3. (写真14)愛宕山山頂のスダジイ林(2026年4月12日撮影)
      4. (写真15)スダジイ林の説明板(2026年4月12日撮影)
      5. (写真16)愛宕神社社殿とスダジイ林(2026年4月12日撮影)
  6. 徳寿山(とくじゅさん:160㍍圏)
      1. (写真17)徳寿山山頂(2026年4月12日撮影)
      2. (写真18)徳寿山山頂の私設山名表示板(2026年4月12日撮影))
      3. (写真19)徳寿山の登り口:下里1区北根集落(2026年4月12日撮影)

観音山(かんのんやま:200㍍独標)

 遠ノ平山から既設の太陽光発電所をへて、下里4区の八坂神社に下り、国道254号線を小川町方面に進むと、まもなく左に下里3区の大聖寺に登る舗装道路が分かれる。

 周囲はのどかな田んぼで、早めの田植えの最中だった。

 正面丘陵(観音山ないし下里観音山)の中腹に赤い屋根をみせる石青山大聖寺をめざし道路を登る。

 観音山の中腹にある大聖寺は「下里観音」「子育観音」の名で親しまれ、『新編武蔵風土記稿』や『武蔵国郡村誌』にも詳細に記されている名刹である。

 毎年4月20日と10月20日の観音例祭は参詣客で賑わう。

 境内にある法華堂には、国指定重要文化財である石造法華供養塔(六角塔婆)が保存されている。

 6枚の緑泥片岩を組み合わせたもので、康永3年(1344)の造立と刻印。

 大聖寺の一番高い場所にあるのが朱塗りの観音堂。

 実は当初、観音堂裏から山道を登り、観音山(200㍍独標)より北西に延びる尾根に取り付く予定だった。

 ところが、大聖寺の南側斜面に建設されている大聖寺霊園が思ったよりも高いところまで建設されていて、観音堂の右手山腹よりも高いところまで霊園が延びていた。

 そこで急遽、計画を変更。

 霊園の最高地点から観音山~愛宕山への尾根をめざして踏跡なき急斜面を登り、尾根に出たら踏跡を左に登り、観音山山頂をめざすことにした。

 急登の末に到着した広い山頂は樹林に覆われ、昼なお暗く、山頂には立ち木に「和具山200m」と書かれた私設の山名表示板があるのみだった。

 だが、この「和具山」という名称は誤りである。

 もともと観音山は大聖寺(下里観音)のある山の総称であり、大聖寺~200㍍独標付近の小字名である。

 しかし、『武蔵通志』の「物見山」(214㍍独標)の項目に、「西は寺山及下里観音山。愛宕山に連る」と書かれているように、大聖寺のある山(小字名「観音山」)の最高点(200㍍独標)を観音山あるいは下里観音山と便宜的に呼ぶことは、許されると思われる。

 とくに最近、この山を「和具山」(わぐやま)と誤って命名する私設山名表示板をとおし、和具山という誤った山名が広がっていることを踏まえるなら、200㍍独標を観音山(下里観音山)と呼ぶことはむしろ適切であろう。

 もともと「和具山」は小字観音山の西側の小字名で、観音山~愛宕山の尾根北面の斜面をさす小字名である(『小川町土地宝典』1975年による)。

 この和具山という名称を、観音山という小字名のある山にあえてつけること自体に無理がある。

(写真1)観音山山頂(2026年4月12日撮影)

(写真2) 観音山山頂の私設山名表示版(「和具山200m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)

寒沢山(かんざわやま)

 観音山山頂から南東に尾根伝いに進む。

 だが、尾根幅が広く踏跡も不明瞭な尾根を正確に拾うことも、なかなか難しい。

 まもなく山頂を巻く山道にぶつかるが、これを無視し、あくまでも尾根伝いに進む。

 もはや踏跡はないが、しばらく行くと、嵐山町が設置した境界標柱が現われる。

 物見山~寺山の小川町・嵐山町境界尾根に乗ったのだ。

 ここから寺山方面に左に軽く登ると、立ち木に「寺山220m」と記された私設山名表示版が取り付けられている。白い板に活字のような黒字で山名を書き、標高名を記しているなど、「和具山」の私設山名表示板と全く同じ人物が設置したものである(同一人物による私設山名表示板は遠ノ平山山頂にも設置されていた)。

 同じ立ち木には小川町・嵐山町境界尾根から離れ、西に登る踏跡を指し、「八頭山→」と書かれた同じ人物による指導標が設置されている。

(写真3)寒沢山分岐(「寺山220m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)

 実は、この「寺山」と「八頭山→」の表示版には大きな誤りがある。

 まず「寺山」はこの位置ではない。

 寺山は、町境尾根をさらに南南西にくだった嵐山町遠山の遠山寺裏の標高180㍍圏の山である(「寺山」の項目を参照)。

 つまり、「寺山」に登ったという多くの山行記録も誤りで、実際には寺山に登っていない記録がほぼ100%である。

 安易に現地の私設表示版を信じ過ぎると、このようなことになる。

 もう1つは、「寒沢山」という地元呼称を無視し、「八頭山」なる名称を勝手に付けていることだ。

 小川町下里1区の寒沢集落の奥に聳える山の意味で「寒沢山」(小字名は「内寒沢」)と呼ばれている事実を無視し、一体どのような根拠で「八頭山」なる名称を考えたのだろうか。

 その経緯はともあれ、今では「八頭山」なる名称が本来「寒沢山」であるはずの山の名称として通用してしまった。

 現在、寒沢山は正当な位置ではなく、小川町・嵐山町境界尾根上の214㍍独標の山名としてハイカーの間で流通している。

 その原因は、実は大石真人氏や奥武蔵研究会にもある。

 大石真人氏は、『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(1954年版、朋文堂)所収の「外秩父概念図」で、嵐山町平沢から続く境界尾根上のおそらく214㍍独標を寒沢山とされているように見える。

 大石氏は『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(1960年版、朋文堂)所収の「奥武蔵辞典-山名編-」で、より明確に次のように述べている。

 「寒沢山220米 武蔵嵐山の西、遠山集落の脊梁をなす山容ゆたかな山である」

 標高こそ220㍍と本来の寒沢山の標高だが、「武蔵嵐山の西、遠山集落の脊梁をなす」との表現は、明らかに物見山のことである。

 大石氏の表記を引き継いだ奥武蔵研究会は、同会調査執筆の山と高原地図23『奥武蔵・秩父』(昭文社)で長年、境界尾根上の214㍍独標、すなわち物見山を寒沢山と誤記し続けてきた。

 ようやく最近になって(私の手許にあるのは2025年版)、奥武蔵研究会は、山と高原地図23『奥武蔵・秩父』で、寒沢山の位置を正しい場所に直している。

 しかし、寒沢山の表記のある山のすぐ北に誤って和具山の記載をした(和具山は小字名であり、もっと北西の200㍍独標(観音山)から愛宕山にいたる尾根北側の山腹を指す)。

 さらに寒沢山の記載がなされた今でも、214㍍独標に物見山の表記をしていないなど、まだまだ不十分である。

 以上、寒沢山が、下里1区の寒沢集落奥(小字名・内寒沢)から離れた嵐山町との境界尾根上の214㍍独標(=物見山)に表記されてきた歴史をたどってきた。

 だが、今度は寒沢山の名が物見山の位置のまま、本来の寒沢山の位置に「八頭山」なる勝手な命名が私設山名表示板の設置者によりなされ、それが今やネットの山行記録を通し、定着してしまったことに、怒りをもって抗議を表明したい。

 その上、この山名表示板設置者は、本当の寺山とは全く別の場所に寺山の山名表示をし、ハイカーを惑わせるという二重の愚行を犯している。

 この誤った寺山の山名表示と八頭山なる山への進路を示す表示版のある地点(=境界尾根上の寒沢山への分岐点:便宜的に「寒沢山分岐」と呼ぶ)から境界尾根を離れ、寒沢山に登り始める。

 広い尾根は樹林に覆われ、しかもブッシュが行く手をふさぐので、なるべくブッシュの薄い場所を選びながら一歩ずつ標高を上げていく。

 なかなか山頂につかず疲れがでる頃、小広い寒沢山の山頂にたどりつく。

 針葉樹の落ち葉が積もった山頂は観音山山頂と同様、植林に覆われた展望皆無の暗い雰囲気で、山頂の立ち木に「八頭山220m」と記された罪作りな私設山名表示板が取り付けられているのみである。

 くどいようだが、この山名表示板のため、寒沢山はハイカーの間では八頭山と呼ばれる山となってしまった。

 ところで、寒沢山は、小川町において板碑の原料である石材(緑泥片岩や結晶片岩)を採掘・加工した遺跡19ヶ所のうち、国指定遺跡となった3ヶ所のうちの1つである「内寒沢遺跡」のある山である。

 下里には。国指定遺跡がもう1つ割谷(下里2区)にあること(割谷遺跡)を付記しておきたい。

(写真4)寒沢山山頂(2026年4月12日撮影)

(写真5)寒沢山山頂の私設山名表示板(「八頭山220m」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)

物見山(ものみやま:214㍍独標)

 寒沢山から寒沢山分岐(寺山の私設山名表示板のある地点)まで戻り、さらに境界尾根を少しくだると、今度は境界尾根上の鞍部に出る。

 ここを仮に「物見山分岐」と呼んでおくと、この地点で「寒沢山への踏跡」「境界尾根上の物見山への踏跡」「境界尾根上の寺山への踏跡」「大聖寺への山道」という4つの道が十字路のように交差する。

 寒沢山から到達すると、そのまま真っ直ぐ進むのが物見山への境界尾根。

 右に行くのが寺山への境界尾根。

 左に巻くように進む道が大聖寺への道である。

 この地点(物見山分岐)の立ち木に、白と赤のテープが巻かれており、白いテープには右(南西)に行く踏跡を指して「寺山→」、直進する(北東)踏跡を指し、「寒沢山→」とマジックで書かれている。

 ここでも、物見山を寒沢山とする誤りを犯している。

 白テープ下の下には赤テープで固定された白い紙が貼られ、左 大平山 右 大聖寺と記している。

 実は、観音山から寒沢山に向かうとき、なぜか、この「物見山分岐」を見落とし、そのまま寒沢山に向かい、「寒沢山分岐」に達してしまったのである。

(写真6)物見山分岐(白テープに寒沢山→とあるのは物見山→が正しい)(2026年4月12日撮影)

 相変わらず樹林に覆われた尾根を、嵐山町の設置した境界標柱に導かれ、登り切ると、物見山(214㍍独標)山頂につく。

 物見山という山名とは違い、ここも樹林に覆われ、展望のない山頂だった。

 山頂の立ち木には、おなじみになった白い板に黒い活字で山名を記した私設山名表示版の代わりに、今度は黄色い板に手書きで「寒沢山」と記した私設山名表示版が付けられている。

 もちろん「寒沢山」は誤りで、正しい山名は「物見山」である。

 ところで、誤った山名プレートのある立ち木の横に古い石柱がポツンと立っている。

 表面から文字は読み取れないが、石柱の根元を囲むように石が置かれていることなど、石柱が何かを物語っているように思われてならない。

 嵐山町の郷土史家からの情報提供を切に希望する次第である。

 なお、物見山(214㍍)は寺山と並び、小川町・嵐山町境界尾根を代表する山であり、古い文献でも複数言及されている。

 いずれも明治期の地誌だが、まず『武蔵通志』では「物見山 高さ五百尺。菅谷村遠山の北にあり。西は寺山及び下里観音山。愛宕山に連なる」と記されている。

 同じく明治期の地誌に『菅谷村の沿革』がある。

 これについて、「『武蔵国郡村誌』作成のため、村々が調査・記述した資料を県に提出した際、各村にはその複本が保管されており、町村制施行により菅谷村が発足した後、それらの複本が集められ加筆・修正等をされて出来上がったものが、この『菅谷村の沿革』ではないかと考えられています」と解説されている。

 『菅谷村の沿革』の「遠山村」の条では、「地勢の山脈」において、「北に物見山の嶺岳を負い山脈起伏、あたかも屏風を建てるかのごとく大きく険なり」と記している。

 「全地地勢」の項目でも「北に物見山を負い、山頂あたかも屏風の如く連なり左右に開き、東は大平山、西は寺山に止まり」と繰り返す。

 さらに遠山村の「山嶽」では唯一「物見山」が挙げられ、以下のように詳しく記されている。

「1.所在 村の北にあり。2.形状 嶺上より二分して西方下里村に属し、南は本村に属し、山脈東は大平山、西は寺山に接す。南の方二条の渓間あり。平湧き水不堪して梅ノ池に入る。3.高さ 五十余条。4.周囲 未詳。5.登路 二条あり。その一は本村字冥加沢より上る。六丁五十間にして険なり。二は打越谷上る。八丁三十五間にして易し。6.樹林 全山半腹以上柴草のみ生す。中半以下雑木繁茂す。谷合に杉檜生茂せり。7.景致 北は全郡平沢村の民林にわたり、東は山脈大平山及び雷電山に続く。南面に二条の渓間あり。一は打越谷といい(一は)冥加沢という。平素発水細流して梅ノ池に溜まり、下流して槻川に入る。西の方全郡下里村観音山愛宕山に起伏連接す」と非常に詳しい。

 山名由来は、比企に多数ある同名の山と同様、山頂に物見櫓があったことによる。

 小倉城が至近距離であることから、遠山の物見山(214㍍独標)は、仙元丘陵の物見山と同じく、南西側の尾根からの攻撃に一抹の不安のある小倉城の西側至近距離の物見櫓として、敵の西方からの来襲を告げる役割を果たしていたと思われる。

(写真7)物見山山頂の私設山名表示版(「寒沢山」とあるのは誤り)と謎の石柱(2026年4月12日撮影)

(写真8)物見山山頂の私設山名表示板(「寒沢山」とあるのは誤り)(2026年4月12日撮影)

寺山(てらやま:180㍍圏)

 現在、寺山は「寒沢山分岐」の地点であるとされている。

 しかし、これは誤りで、『菅谷村の沿革』遠山村の条に「北は物見山を負い、山脈あたかも屏風の如く左右に開き、東は大平山、西は寺山に止まり」とあるように、小川町・嵐山町境界尾根の西側末端にある180㍍圏ピークである。

 『嵐山町誌』(嵐山町、1968年)では『菅谷村の沿革』における記事を踏まえ、遠山地区について、次のように記している。

 「北に物見山を負い、この山脈があたかも屏風のように連り左右に開いて東は大平山、西は寺山で止まっている。南は小倉城址から山脈が東の方に延びて、槻川がその裾を流れている。この山々に囲まれた平坦地は民居や耕地となっている。槻川は平常舟が通じないので、出水の時筏が通るだけである」

 寺山の裾野には遠山寺(えんざんじ)があり、遠山寺の裏山に当たることから、「寺山」の名がついたという(実際には遠山寺から寺山への登路はない)。

 物見山から「物見山分岐」まで戻り、境界尾根の嵐山町の標柱を頼りに寺山に向かう。

 どんどん高度を下げていく感があり、再度登り返すだけに、復路の登りを考えると気が重くなる。

 境界尾根も相変わらず樹林に覆われ、展望は得られない。

 尾根には緑泥片岩が目立ち、寺山が近づくにつれ、尾根が次第に痩せてくる。

 山頂につくと、さすがにここまで来るハイカーもいないのか(「寒沢山分岐」を寺山と勘違いしている人が100%なので)、私設山名表示版の類いは一切なく、すがすがしい。

 もちろん山頂からの展望は皆無だが、気になったのは立ち木の根元に緑泥片岩の小さな石がまるで石碑のように置かれていたことだ。

 何の意味があるのだろうか。それとも何の作為もなく、たまたま岩が石碑に似た形で立っているだけなのだろうか。

 遠山寺の裏山に当たることから、山頂に遠山寺ゆかりの石碑などがあることを期待したが、先の小さな石碑に似た形状の自然石以外何もないさびしい山頂だった。

 ただし、先の自然石以外に、山頂の一角にまるで基石のように青石を円形に並べた地点があった。

 先の石碑のような青石や基石のような青石のように、気になる点がいくつかある寺山の山頂である(いずれも何の意味もないのかもしれないが)。

 今後、嵐山町の遠山や遠山寺に立ち寄り、寺山に関する情報を収集したい(徒労に終わる可能性大だが)。

 2万5千分の1地形図「武蔵小川」には、山頂から南に延びる尾根、北西に延びる尾根の2つの尾根に破線路が記入されているが、両者とも発見できず、寺山から麓にくだる場合、踏跡なき岩混じりの相当な急斜面を覚悟しなければならない。

 一般にはおとなしく、境界尾根を「物見山分岐」まで登り返すのが無難である。

 それにしても、物見山から寺山までくだってきた分を、今度は登り返すので、この山域では最も苦しい登りとなる。

(写真9)寺山山頂(2026年4月12日撮影)

(写真10)寺山山頂の石碑状の青岩(2026年4月12日撮影)

(写真11)寺山山頂にある謎の基石?(2026年4月12日撮影)

愛宕山(あたごやま:170㍍圏)

 境界尾根の「寒沢山分岐」からひとくだりし、「物見山分岐」に出る。

 ここで左に大聖寺へ向かう。

(写真12)物見山分岐(白テープに「寒沢山」とあるのは「物見山」が正しい)(2026年4月12日撮影)

 道は尾根下の山腹を巻くようにして付けられ、ほぼ平坦で歩きやすい。

 道が観音山を大きく巻くようになったあたりで、進行方向を注視していると、左から愛宕山方面に延びる尾根が接続する。

 この地点には赤テープや赤いリボンなどの目印がないので、見落とさないように注意したい。

 尾根を進むと、左に寒沢山のドーム状の大きな山容が木の間ごしにみえるので、愛宕山への尾根に無事に乗ったことが確認できる。 

 いったんくだりきった鞍部には意外にも広い道が乗っ越していて、ここに「ハイキングコース」の標識がある。

 おそらく下里1区から下里3区の大聖寺へ越える古い道をハイキングコースとして整備したものだろう。

 40年前に大聖寺霊園から愛宕山に登ったとき、この道を利用した記憶がある。

 当時、道の途中に「左 山道 右 下分」と書かれた古い道しるべがあったのだが、今でも無事だろうか。

 この道しるべからも分かるように、観音山と愛宕山との鞍部を乗っ越す山道は、大字下里の「上分(かみぶん)」(下里1区・2区)から下分(しもぶん:下里3区・4区)への近道であった。

 上分から下分へ抜けるためには、槻川に沿って大きく迂回するよりも、鞍部を越えた方がずっと早かったのである。

 ハイキングコースが乗っ越す鞍部から登り切ると、愛宕山の山頂。

 標高170㍍圏の愛宕山山頂には、下分(下里1区・2区)の信仰を集めた愛宕神社の社殿が鎮座。

 40年前に訪れたとき、既に本尊の愛宕神社の小祠はなく(下里の鎮守・八宮神社に合祀されたという)、社殿も荒れ放題だったが、今回訪れてみて驚いたのは、社殿が立派に改築されており、そのなかに愛宕神社の小祠が鎮座していたということ。

 もっとも、後で麓に下り、何人もの方に「愛宕神社の社殿が立派になりましたね」と問いかけたところ、等しく「そうですか」とあまり関心もなさそうな回答が返ってきた。

 聞いたところ、皆、社殿の改修がいつ行われたのか知らなかった。

 愛宕神社への信仰もすたれているようで、おそらくいったん社殿を改修し、愛宕神社を再び祀ったものの、信仰は長続きしなかったということだろうか。

 山頂には、この付近の山には珍しく山頂に温暖帯を代表するスダジイの林がある。

 説明板によると、杉やイヌシデの大木が旧参道に並び、山頂の鎮守の森には胸高直径50センチを超すものが18本、とくに1㍍を超す大木が2本もあるという。

 これまで観音山~寺山と、山頂が木々に覆われ、展望がなく、しかも山頂に何もない山を踏んできたが、愛宕山は愛宕神社の社殿とスダジイの巨木があいまって、ようやく個性のある山に来たという感慨を深くさせる。

 ところで愛宕山といえば、山頂に土俵をつくって行われた神前相撲が有名である。

 旧暦の8月25日、愛宕神社のお祭りが行われ、そのとき社殿の前に土俵をつくって、老若を問わず相撲が好きな人が集まり、祈願相撲が行われ、団子も配られたという。

 麓で話を伺った私と同年(昭和30年生まれ)の方も、3~4歳の頃、お父さんから促され、愛宕神社の祈願相撲に参加したことがあったという。

 ただ、それ以降行われなくなったというので、1950年代末頃まで、愛宕山頂での祈願相撲が行われていたようだ。

 その方によると、山頂には今でも土俵の跡が残されているというが、果たして本当だろうか。

(図13)愛宕神社社殿(2026年4月12日撮影)

(写真14)愛宕山山頂のスダジイ林(2026年4月12日撮影)

(写真15)スダジイ林の説明板(2026年4月12日撮影)

(写真16)愛宕神社社殿とスダジイ林(2026年4月12日撮影)

徳寿山(とくじゅさん:160㍍圏)

 愛宕山からのくだりは注意を要するところだ。

 何となく社殿の横から尾根らしいところをくだると、突然ものすごい急斜面になる。

 これは北へ急下降する尾根で、主尾根ではない。

 コンパスで忠実に西側を指して、主尾根をくだる。

 こちらもかなりの急傾斜だが、ひとしきり急降下したあと、今度は登りに移る。

 そして鞍部から今日最後の登りとなり、到着した展望のない山頂には、立ち木に「徳寿山164m」と書かれた例の私設山名表示板がくくりつけられている。

 ただ同じ展望のない山頂といっても、観音山や寒沢山のような針葉樹林に覆われた暗い雰囲気ではなく、広葉樹林や雑木が増え、比較的明るい雰囲気の山頂だ。

 ところで、この山のことを、大石真人氏は『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(1954年版、朋文堂)所収の「外秩父概念図」で、「瑞光寺山」(ずいこうじやま)と記載している。

 果たして、徳寿山と瑞光寺山のどちらが正しい呼称なのか。それを山麓の北根や寒沢で聞き取ることも、本日の目的であった。

 最初に話を伺った徳寿山の登り口付近で畑仕事をされていたご老人によると、「あの山にはとくにこれといった名前はないが、あの山付近には徳寿山という小字名がある。小字名の徳寿山のなかで一番高いところなので、徳寿山でもいいのではないか」と話されていた。

 その他何人かの方に確認しても、「とくに名前はないが、小字名にちなんで徳寿山で構わない」という意見が圧倒的だった。

 そこで、ここでも小字名「徳寿山」の最高点ということで、160㍍圏ピークを便宜的に「徳寿山」と呼ぶことにする。

 もう1つの「瑞光寺」だが、これは下里字北根あるいは字徳寿山に昔あったという寺の名である。

 瑞光寺は江戸期の『新編武蔵風土記稿』比企郡下里村の条でも、「今は荒廃して未だ再建ならず」と書かれている。

 小川町在住の郷土氏家・内田康男氏からの情報提供でも、「明治初期に廃寺となり」とある。

 内田氏によると、同寺の仏像は個人が保存していたが、近年大聖寺に預けたという。

 そのなかに慶長(1596~1615)の年号のあるものがあったという。

 本寺であった寄居町晋光寺の文書によると「隋光寺」、地元・島田家の文書では「隨光寺」「徳寿山地蔵院」、天台宗本末帳には「瑞光寺」とあるという(私信)。

 現在、瑞光寺跡は民家(新井桂三さん宅)となっており、新井さんは数年前まで念仏講を主宰するなど、活発な宗教活動を行っていたという。

 なお、これまでの記述からも分かるように、徳寿山(とくじゅさん)は、瑞光寺の山号であった(=徳寿山瑞光寺)。

 徳寿山から尾根沿いに岩の出た急坂をくだる。

 かなりの急傾斜をくだり切ると、踏跡は尾根から外れ、沢沿いにくだるようになり、まもなく北根集落の人家の脇を抜け、遠山方面から槻川に沿って国道254号線に向かう車道に出た。

(写真17)徳寿山山頂(2026年4月12日撮影)

(写真18)徳寿山山頂の私設山名表示板(2026年4月12日撮影))

(写真19)徳寿山の登り口:下里1区北根集落(2026年4月12日撮影)

 (参考タイム)大聖寺観音堂(15分)→観音山(15分)→寒沢山分岐(10分)→寒沢山(15分)→物見山(20分)→寺山(15分)→寒沢山分岐(2分)→物見山分岐(25分)→愛宕山(20分)→徳寿山(15分)→北根 

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