笠山神社春の祭典(2026年5月3日)ー39年ぶりの再訪ー

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

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(図1)笠山周辺地図(1) 

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(図2)笠山周辺地図(2)

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 2026年5月3日(日)、笠山神社の春の祭典(春季例祭)に行ってきた。

 前回春の祭典にでかけたのは1987年5月3日。

 何と39年ぶりである。

 今年3月中旬に36年ぶりに山歩きを再開したのち、つねに5月3日のことを意識していた。

 しかし、3月中旬以降登ったのは、比企や奥武蔵の200~300㍍程度の丘陵のみ。

 まだ官ノ倉山さえ再訪していないにもかかわらず、一気に高度のあがる笠山(837㍍)に登って体力的に大丈夫なのだろうか。

 途中でバテて引き返すことになるのではないか。

 そんな危惧をもつ一方、笠山神社が年に1回春の祭典時のみに配布する猫のお札(猫札:一般に「お猫さん」と

呼ばれる)を是非入手したいという気持ちも抑えられなかった。

 1987年に登ったときにも猫札をいただいたのだが、その後不覚にもなくしてしまった。

 たしかに体力的には来年に延ばすのが妥当だろうが、71歳という年齢を考えると、来年登れる保証はない。

 前回も登った東秩父村白石からの参道であれば、笠山山頂まで約1時間20分。これなら何とか登れるのではないか。

 そう考え、5月3日の早朝、東京の自宅を発った。

(写真1)槻川に架かる相生橋付近から眺める笠山・笹山・堂平山(右から)(2026年5月10日撮影)

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      1. (図1)笠山周辺地図(1) 
      2. (図2)笠山周辺地図(2)
      3. (写真1)槻川に架かる相生橋付近から眺める笠山・笹山・堂平山(右から)(2026年5月10日撮影)
  1. 白石から見晴台へ
      1. (写真2)東秩父村白石からの笠山神社参道入口にある八坂神社(2026年5月3日撮影)
      2. (写真3)笠山神社下社(白石)(2026年5月3日撮影)
  2. 見晴台
      1. (写真4)見晴台(2026年5月3日撮影)
      2. (写真5)見晴台に立つ東秩父村観光協会設置の山名表示板(「笠山」837mと記載)(2026年5月3日撮影)
  3. 笠山神社(上社)
      1. (写真6)笠山神社上社(笠山山頂)(2026年5月3日撮影)
      2. (写真7)笠山神社上社(笠山山頂)(2026年5月3日撮影)
      3. (写真8)笠山神社社殿で猫札をいただくハイカー(2026年5月3日撮影)
      4. (写真9)山頂で猫札の頒布を待つハイカー(2026年2月26日)
      5. (写真10)猫札(お猫さん)(2026年5月15日撮影)
      6. (写真11)小川町の酒造会社により寄贈された「笠山神社参拝記念」の短冊(無料配布)(2026年5月15日撮影)
      7. (写真12)社殿奥にある祭神を祀る祠(2026年5月3日撮影)
      8. (写真13)社殿奥の祠右下に鎮座する「お猫さん」のブロンズ像(2026年5月3日撮影)
      9. (写真14)お猫さんのブロンズ像(2)(2026年5月3日撮影)
      10. (写真15)社殿内に飾られている銅版画のお猫さん(1)(2026年5月3日撮影)
      11. (写真16)社殿内に飾られている銅版画のお猫さん(2)(2026年5月3日撮影)
      12. (写真17)祭典終了の挨拶(2026年5月3日撮影)
      13. (写真18)祭典を終え、山をくだる役員たち(1)(2026年5月3日撮影)
      14. (写真19)祭典を終え、山をくだる役員たち(2)(2026年5月3日撮影)
      15. (写真20)笠山山頂に立つ笠山(標高842m)の石柱(2026年5月3日)
      16. (写真21)笠山山頂裏の岩場近くの立ち木につけられた追悼の辞を記した青い板(2026年5月3日撮影)
      17. (写真22)追悼の辞を記した板の横には、青いピッケルが(2026年5月3日撮影)
  4. お猫様と猫石の謎
      1. (写真23)笠山神社裏の古い石祠とそこに積まれた大量の小石(1)(2026年5月3日撮影)
      2. (写真24)古い石祠と大量の小石(2026年5月3日撮影)
  5. 笠山神社から腰上へ
      1. (写真25)笠山神社社務所(2026年5月3日撮影)
      2. (写真26)笠山神社直下の急な石段(2026年5月3日撮影)
      3. (写真27)笠山神社下社(腰上側)(2026年5月3日撮影)
      4. (写真28)笠山神社下社境内(腰上側)(2026年5月3日撮影)
  6. 栗山の笠山神社氏子総代宅にて
      1. (写真29)笠山神社の御朱印帳(表紙)(2026年5月15日撮影)
      2. (写真30)笠山神社の御朱印帳(裏表紙)(2026年5月15日撮影)
      3. (写真31)御朱印帳表・裏表紙(2026年5月15日撮影)
      4. (写真32)笠山神社の御朱印(2026年5月15日撮影)
  7. 小貝戸にて

白石から見晴台へ

 笠山神社春の祭典は午前10時頃に始まる。

 その後は神事をへて、氏子の代表である小川町腰上(こしかみ:大字腰越の小貝戸・館・赤木・栗山の集落を総称して「腰上」という)、東秩父村白石(しろいし)の役員が猫の絵が刷られたお札(猫札)を受け取り、さらに登ってきた一般のハイカーのうち希望者がお札を購入する。

 当日、笠山神社の春の祭典があり、そこで猫札が頒布されることは、今では有名である。

 この日だけはお札目当ての方(私のそのうちの1人だが)を含め、笠山の登山者は1年間で一番多い。

 山頂への到着が遅くなると、お札がなくなり、役員の方々も山を下りてしまう。

 そのリミットを13時頃と考えた。

 そこで小川町駅9時15分発の白石車庫行きのバスに乗った。

 39年間のブランクの間に、交通機関も一変した。

 昔、東武バスが走っていたが、それがイーグルバスに変更され、バスの本数も減少。大型バスがマイクロバスに変わっていた。

 連休後半の日曜にもかかわらず、バスの乗客は半数程度。

 しかも、終点の白石車庫まで乗ったのは私一人だった。

 白石車庫到着がちょうど10時。

 バスをおりた途端に、山の方で花火の轟音が数発鳴った。

 春の祭典が始まったのだ。

 それに急かされるように、バス停から少し車道を登った。

 すぐに左側に入る車道の入口に八坂神社がたち、埼玉県指定民俗文化財・無形民俗文化財「白石の紙送り」に関する説明板がつくられている。

 よく見ると、八坂神社の横に嘉永6年(1853)建立の笠山神社入口碑があり、そこに「社頭五十二丁」とある。

 ここが笠山神社への白石側の参道入口である。

 問題なのは、この大事な場所に指導標がないこと。

 見落として通り過ぎないように注意したい。

(写真2)東秩父村白石からの笠山神社参道入口にある八坂神社(2026年5月3日撮影)

 笠山神社の氏子は小川町腰上と東秩父村白石と郡をまたいで広がり、当然、腰上側、白石側の両方から参道が開かれている。

 腰上側の参道がよく知られているが、長い車道歩きの末、今度は1時間30分近い急登を強いられ、計2時間30分以上を要する腰上側参道にくらべ、バス停からすぐに参道に入り、1時間20分程度で山頂につく白石側参道の方が、体力的にずっと楽である。

 それなのに白石側参道から笠山に登るハイカーが少ないのはなぜなのだろうか。

 今日も途中で山頂から下りてきたハイカー1人と出合ったのみである。

 白石側から登り、11時30分頃までには神社に到着。

 帰りは腰上側の参道をくだり、笠山を堪能しようという予定である。

 中沢の左岸に沿った参道は緩やかな登りで、まもなく左手に白石側の笠山神社下社の社殿が現われる。

 かなり痛んだ社殿は扉がなく、そのまま社殿に入り、奥に祀られた木製の祠をみることができる。

 祠の前には、質素なものながら賽銭箱が置かれている。

 昔、笠山は女人禁制の山で、女性は頂上まで登れなかったので、下社で参拝したあと下山した。

(写真3)笠山神社下社(白石)(2026年5月3日撮影)

 下社を過ぎると、沢を渡り、今度は沢の右岸を登るようになる。

 小尾根の急登をへて、林道に登りつく。

 林道を横断すると、急な登りがしばらく続く。白石側参道のなかで一番苦しいところだ。

 それでもトラバース気味の道になり、三十九丁目の丁目石を過ぎると、再度林道に飛び出す。

 祭の当日、腰上・白石両側の役員は林道のこの地点まで車で登り、そこから山頂まで約15分の山道を徒歩で登り、荷物を運び上げる。

 上の林道を横断すると、やがて堂平山方面からの縦走路が右から合流。傾斜の増した尾根を一気に登り切ると、狭い「見晴台」につく。

見晴台

 「見晴台」は、一般には笠山の西峰と呼ばれている。

 眺望に恵まれた場所であることから、腰上では「見晴台」と呼ばれている。

 もともと、ここは笠山の西肩ともいえる場所で、笠山は西峰と東峰の2つの峰からなる双耳峰ではない。

 『新編武蔵風土記稿』比企郡腰越村の条に、「笠山 村の西にあり、高さ五十町ばかりなる嶮岨(けんそ)の山なり。いただきに樹木生い茂りて笠の形に似たれば名とせり。又乳の状に類すれば土人乳首山ともいう」とある。

 この記述のとおり、乳首状に飛び出した頂上が、笠山神社のある笠山の山頂(837㍍)である。

 笠山神社の氏子総代である栗山(腰上)の福島由博(よしひろ)さん(77歳)も、「笠山の東峰・西峰なんて言い方はしていない。地元で笠山というのは、笠山神社のある山だけだ。ハイカーが西峰と呼んでいるところは『見晴台』と言っている」と断言している。

 2万5千分の1地形図「安戸」で、神社記号のある837㍍峰とその西側の肩(見晴台)の両者の上に大きく笠山と表記しているため、西峰・東峰という誤った記述が生まれる結果になった。

 奥武蔵・秩父や比企・外秩父の山紹介のパイオニアである大石真人氏は、『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(1960年版、朋文堂)所収の「奥武蔵辞典ー山名編-」にて、次のように述べている。

 「笠山842㍍ 比企の名山である。小川盆地からはことに親しく仰がれる。山名は形状による。頂上は二峯にわかれ、東峯(標高842㍍)には立派な笠山神社があり、西峯(820㍍)は眺めがよい。一名乳首山」

 上記の大石氏の記述(東峰・西峰)が以後のガイドブックや登山地図に継承され、今ではハイカーの間で定着している。

 繰り返すが、これは山の形状(山頂は乳首状の突起にあたる東峰のみ。西峰=笠山の西肩)からも明らかであり、地元の呼称とも異なる。

 西肩はちょうど比企郡小川町と秩父郡東秩父村の境であり、山頂(笠山神社)は完全に小川町腰越の腰上の領域なのある。

 その意味で、笠山神社のある837㍍独標に笠山と記載した山と高原地図23『奥武蔵・秩父』(昭文社)の表記が正解である。

 ところが、単なる西肩にすぎない地点に、何と東秩父村観光協会が「笠山 837m」と書いた大きな山名表示板を建ててしまった。

 最近、笠山に登るハイカーがもっとも多く選択するルートは、皆谷バス停から萩平分岐をへて、比企郡・秩父郡の郡界尾根を登り、見晴台に到達するものである。

 見晴台に先の東秩父村観光協会の山名表示板が設置されていることから、笠山に登ったと勘違いし、本当の山頂(笠山神社)に行かずに、籠山のタル(平ノ沢の峠)をへて堂平山に向かってしまうハイカーが続出している。

 私も見晴台で「本当にここが笠山の山頂ですか」と何人からも聞かれた。

 「違います。山頂はここから東に岩尾根をくだり、登り返した神社のあるところです」と答えるのに疲れたくらいだ。

 さて肝心の「見晴台」からの展望だが、展望良好というガイドブック等の表現とは違い、周囲の雑木が育ってしまったため、期待した展望は得られないというのが実情だ。

 そのうえ、何せ狭いので、落ち着いて食事をする気分にもならない。

 ともあれ、既に11時15分。

 見晴台から岩尾根をいったんくだり、再度登り切った場所が笠山神社(上社)の裏手。

 笠山山頂(笠山神社)11時20分到着。

 予定どおりである。

(写真4)見晴台(2026年5月3日撮影)

(写真5)見晴台に立つ東秩父村観光協会設置の山名表示板(「笠山」837mと記載)(2026年5月3日撮影)

笠山神社(上社)

 29年前の到着が13時だったから、かなり早い山頂着だったが、驚いたのがハイカーの多さである。

 神事は既に終わり、役員へのお札の配布も終了。扉が開けられた社殿には青山氷川神社の土岐宮司と役員の方数人が座り、猫札を求める登山客の行列をさばいていた。

 そして、神事をおえた役員の方々(社殿で参拝客の相手をしている方以外)が三々五々お神酒を飲みながら、立ち話に高じていた。

(写真6)笠山神社上社(笠山山頂)(2026年5月3日撮影)

(写真7)笠山神社上社(笠山山頂)(2026年5月3日撮影)

 青柳健二『全国の猫神様をめぐる-猫を祭る不思議な物語-』(青弓社、2026年)は、猫人気・猫神様人気に応えたタイムリーな全国の猫神様案内書である。

 それによると、養蚕が長年主産業であった東北・関東を中心に全国に猫神様が祀られているが、そのなかで現在でも入手可能な猫のお札を出しているのは5つの神社と1つの寺院のみである。

 埼玉県では、小川町の笠山(笠山神社のあるのは小川町腰上)以外に、秩父郡皆野町の大日神社が猫の絵が刷られたお札を出している。

 最近の猫ブームやそれに付随した猫神様ブームのなかで、フェイスブックやインスタグラム、X等をとおして、笠山神社が注目されないわけはない。

 山頂を埋め尽くしたハイカーが猫札を求め、行列をなしている姿は、19年前には想像もできなかった。

 当時、山頂に登ったハイカーの多くは祭典に注目もせずに、山頂を通り過ぎるか、神社裏で個々に食事をとっていた。

 神社の前では、神事を終えた宮司と氏子の役員がゴザを敷いて輪になって座り、お神酒を飲み、持参した赤飯を食べながら、祭のあとの宴会を楽しんでいた。

 そこに割り込んでお神酒や赤飯をもらい、ついでに猫札をもらった私は、約2時間近い飲み会の間、いろいろな雑談をし、貴重な話を聞いた。

 酔ったため、話の大方は忘れてしまったが、いただいた猫札は、長年私の財産であり、なくしたのは痛恨の極みだった。

 そんな質素な祭りが、こんなに盛況になっているとは、本当に驚きであった。

 昨年の春の祭典には、外国人のハイカーも訪れたという。

(写真8)笠山神社社殿で猫札をいただくハイカー(2026年5月3日撮影)

(写真9)山頂で猫札の頒布を待つハイカー(2026年2月26日)

 猫札を購入する(1,000円)ための行列に並びながら、新しい情報を入手した。

 腰上側の氏子総代である栗山集落の福島由博さん宅で、笠山神社の御朱印帳を販売しており、猫札と同じデザインが描かれたうえに、土岐宮司の娘さん(神主の資格を授与されている)が「令和四年五月三日」の日付を直筆で書いてくれる。そして、山頂の神社で「上社登拝」の印を笠山神社(上社)で各自押すことになっているのだ。

 お札をもらうための行列のなかには、氏子総代宅でいただいた御朱印に「上社登拝」印を押す参拝者が混じっていた。 

 神社に参拝。その後賽銭をして、1,000円を払って猫札をもらうという本日の目的を達したと思ったら、笠山神社の御朱印をもらうというもう1つの目的が加わった。

 笠山の山麓では高度成長期頃まで、養蚕が主たる産業で、ほとんどの家の収入源が養蚕だった。

 当然、繭を食べるネズミは最大の敵だった。そのネズミを寄せ付けない猫は農家にとって貴重な存在であった。

 五穀豊穣の守護神であり、とくに養蚕の神様であった笠山神社の御眷属(神の使い)が猫であったことから、笠山神社は猫の神様として、農家の信仰の対象になった。

 この信仰を直接表しているのが、春の祭典(毎年5月3日)に配られる猫の絵が刷られたお札(一般に「お猫さん」という)である。

(写真10)猫札(お猫さん)(2026年5月15日撮影)

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 お札の猫はスリムでひげが長く、鋭い目である一方、体の模様に繭や桑の葉をあしらうなど、なかなかユーモラスなキャラクターである。

 お札は、版木に墨を塗り、そこに半紙を乗せて一枚一枚土岐宮司が刷る。

 現在の版木は3代目だそうで、同じ版木であっても宮司により墨の塗り方が異なり、猫のみを刷る宮司や猫だけでなく、背後の笠山の絵なども刷る宮司もいるなど、宮司の好みにより、お札の猫の絵も微妙に違ってくるという。

 今年お札は170枚ほど刷り、このうち130枚ほどを腰上、白石の氏子に配り、残りの40枚ほどを山頂の笠山神社上社、腰上の笠山神社下社で頒布するという(下社で頒布するお札は少数)。

 笠山の祭典は春と秋の年2回で、春季例祭は5月3日(山開き)、秋季例祭(秋祭り)は11月23日(山閉じ)(以前は11月20日だったが、現在は23日)。昨年(2025年)の秋季例祭は、東秩父村にクマが出没したということから、山頂の笠山神社上社ではなく、腰上の下社で行ったという。

 春の祭典では、お札以外に小川町の3つの酒蔵が寄贈した「笠山神社参拝記念」の紙の短冊(笹に紙の短冊をつけたもの)を参拝者に無料で配っている。

(写真11)小川町の酒造会社により寄贈された「笠山神社参拝記念」の短冊(無料配布)(2026年5月15日撮影)

 この日だけは、ハイカーのなかで希望する人は、神殿のなかに入り、御祭神を祀った小社を直接拝むことができる。

 御祭神を祀った小社は御幣には新しい御幣がつけられていた。

 面白いのは、小社の右下にお札の猫の絵を模した猫のブロンズ像(氏子が彫刻家に依頼して作成し、神社の奉納)があり、このブロンズ像をなでると「御利益がある」と役員にいわれ、競ってさわっている参拝者が多かったこと。

 ブロンズ像の下には、銅版の猫の絵が2枚飾られている。

 こちらも氏子が奉納したものである。

 神殿内に入ることのできる貴重な機会なので、私も入れてもらい、ブロンズ像をなでるとともに、許可を得て、社殿内の撮影をした。

(写真12)社殿奥にある祭神を祀る祠(2026年5月3日撮影)

(写真13)社殿奥の祠右下に鎮座する「お猫さん」のブロンズ像(2026年5月3日撮影)

(写真14)お猫さんのブロンズ像(2)(2026年5月3日撮影)

(写真15)社殿内に飾られている銅版画のお猫さん(1)(2026年5月3日撮影)

(写真16)社殿内に飾られている銅版画のお猫さん(2)(2026年5月3日撮影)

 山頂に到着して約1時間後の12時30分。祭典の終了が宣言され、社殿の扉が閉じられ、後片付けと記念撮影をしたあと、宮司と役員は白石側の山頂直下の林道まで、荷物をもって下りていった。

 39年前には15時頃まで飲み会が続いたが、今年は盛況の割に終わりはごくあっさりしたものだった。

 役員に聞くと、氏子も高齢化して長時間お祭りを行うのは体力的にきついので、神事が終わり、参拝者が一段落したら、早めに終了して、荷物を運び降ろすのだという。

(写真17)祭典終了の挨拶(2026年5月3日撮影)

(写真18)祭典を終え、山をくだる役員たち(1)(2026年5月3日撮影)

(写真19)祭典を終え、山をくだる役員たち(2)(2026年5月3日撮影)

 そして見晴台から林道へくだる一行を見送ったあと、私は神社裏で遅い昼食をとった。

 笠山山頂(笠山神社上社)は、以前は樹林のなかの展望のない場所だったが、最近北側の植林が伐採された結果、小川町方面が見下ろせるようになった。

 以前の暗い雰囲気の山頂が一変して明るい山になり、今では展望の効かなくなった見晴台と立場が逆転した。

 このことを役員の一人に話すと、山頂が明るくなった結果、かつての神社らしい厳粛な雰囲気が失われたと嘆いていたのが印象的だった。

 山頂の一角に「笠山 標高842m」と書かれた山名表示の標石が建てられている。

 設置したのは、小川町商工会議所青年部。

 青年部創設50周年記念に建てたものだが、先の見晴台に東秩父村観光協会が「笠山 83m」の山名表示板を建てたことに対抗したという。

 興味深いのは、標高を837㍍ではなく842㍍としていること。

 下山後、栗山の氏子総代・福島由博さんに尋ねたところ、小川町では笠山の標高は837㍍ではなく、昔から842㍍としてきたという。

 もっとも2万5千分の1地形図「安戸」を見ると、等高線をみるかぎり、笠山の標高は830㍍台と読めるのだが・・・

(写真20)笠山山頂に立つ笠山(標高842m)の石柱(2026年5月3日)

 また、笠山山頂から見晴台に向かって少しくだった南側の岩場に気になるものを発見した。

 青いピッケルを立ち木にロープでくくりつけ、同じ木には「山の真を追っていた君 山の彼方に逝った君 ありがとう、さようなら」と書かれた同じく青色の板が設置されていた。

 目立たない場所なので、ほとんどの方が気づかないだろが、笠山を愛した人の追悼のために設置したのだろうか。

 情報をお持ちの方がおられたら、ご一報いただきたい。

(写真21)笠山山頂裏の岩場近くの立ち木につけられた追悼の辞を記した青い板(2026年5月3日撮影)

(写真22)追悼の辞を記した板の横には、青いピッケルが(2026年5月3日撮影)

お猫様と猫石の謎

 笠山神社の裏には古い石祠が二基あり、祠の上や周囲に無数の小石が積まれている。

 この小石について、私はブログで以前こう書いた。

 「かつて笠山には猫石という小さな石があったが、この石を1ついただいて1年間ネズミの被害が出ないと、翌年2つ返したという」

 猫石について、飯野頼治氏は「お猫石は1つ借りて神棚へ、お礼に2つ返した」(飯野頼治『飯野頼治著作集2 歩く道・歩く旅1 奥武蔵風土記・東秩父風土記』(まつやま書房、2022年)。

 埼玉県神社庁学芸員・高橋寛司氏も「笠山神社の社殿裏には、『お猫様』と呼ばれる石祠があり、かつては養蚕農家が祠の前にある小石を『猫石』と称して1つ借りて帰り、蚕棚などに飾って、猫の代わりに蚕をネズミから守ってくれるといわれ、翌年には二つにして返して、新たに借りていったそうです。現在では『猫石』を借りていく人はいなくなりましたが、『猫絵の神札』は、春祭りに訪れる多くの参拝者や登山客に好評です」と記している(第15回「蚕とネズミ~猫絵の背景(7)~「埼玉の養蚕信仰と神社⑯」)

 2つの古い石の祠(向かって右側の祠は屋根がとれている)について、飯野氏、高橋(寛)氏ともに「お猫様」と呼び、「猫石」(お猫石)とセットでとらえている。

 そこで、山頂におられた役員の方々に「お猫様」「猫石」について尋ねてみた。

 ところが、誰も石の祠については分からず、それを「お猫様」とも呼んでいないと答え、大量の小石についても「分からない」とのことだった。

 そこで笠山から腰上側の参道をくだり、御朱印をもらうために寄った腰上側の氏子総代・福島由博さんに改めて伺うと、古い石祠のうちの1つは栗山の杉山家の先祖が明治時代に祀ったものだが、何の神様なのかは分からない」「小石は、前はもっとたくさんあったが、邪魔なので多くの石は投げ捨ててしまった」といい、「猫石」については聞いたことがないとのだった。

 飯野頼治氏は、2つの古い石祠のうち、1つの祠の台座に刻まれた文字を以下のように再現している。

 「前建立明治二四年祖父杉山松五郎有志寄付一百名・其後偶然出火ノ為灰尽トナリタルヲ以石材ニテ再建四十四年十一月大字腰越杉山利三郎」(飯野頼治『飯野頼治著作集2 歩く道・歩く旅1 奥武蔵風土記・東秩父風土記』(まつやま書房、2022年)

 おそらく右側の屋根のない祠の方だと思われる(左の屋根のある祠の台座は土に埋まり、読むことができない)。

 ともあれ、台座の文字から、少なくとも祠のうち1つは、栗山の杉山家の祖先が建立したものであり、福島さんの記憶の正しさが証明されたわけである。

 自宅に戻り、腰上に関する最も詳しい地誌である内田康男『ふるさと腰上-その歴史と伝説-」(1999年)を読んでみると、古い石祠が末社・浅間神社(明治24年に村内の杉山松五郎が祀ったという)・摂社猿田彦太神の二社であることが分かった。

 つまり、笠山神社裏の2つの石祠は「お猫様」ではなく、神社とは関係のない社であることが分かった。

 では、小石は何なのだろうか。

 福島氏の自宅で一緒に話を聞いた土岐宮司の娘さんは、「一般論である」と前置きしたうえで、「小石を1つ借りて、ネズミの被害が出なかったら2つ返すという風習は良くあった」と語ってくれた。

 私が「猫石」のことを聞いたのは1987年頃、赤木(腰上)の集落であったように記憶している。

 笠山には「モグラ除け信仰」もあり、「神社から土を借り、1年間モグラの被害がなかったら、畑の土を倍にして返しに行ったという風習があったそうです」(内田康男『ふるさと腰上』(1999年))

 内田氏は前掲書で「猫石」には触れていない。

 しかし、5月3日に腰上や白石の役員の方々に聞いても、「モグラ除け信仰」について覚えている方はいなかった。氏子総代の福島さんも同様である。

 要するに、笠山神社裏の古い石祠を「お猫様」と呼ぶのは明らかに誤りだが、猫石の信仰は「モグラ除け信仰」と同様、古くは存在していたのではないだろうか。

 当時はさすがに倍返しする石を笠山神社前に置くことははばかられたので、裏にある古い石祠(祠の正体を知らないまま)の上や周辺に置いたのではないだろう

 その後、モグラ除け信仰や猫石信仰はすたれてしまい、笠山神社裏に大量に積み上げられた小石は、かえって邪魔な存在であるとして、その大半を沢に落としてしまい、それと同時に猫石の名も記憶の中から消えてしまったと考えることができる。

 私が聞き取りをした39年前(1987年)には、猫石の記憶が一部の古老の間でかろうじて残されていたのではないだろうか。

 笠山のネズミ除け、モグラ除けに関する素朴な信仰がすたれるなか、笠山神社の猫札は、養蚕がすたれるなかでも継承され、今では猫ブーム、猫神様ブームのなか、貴重な猫の絵が描かれたお札ということで、確実にファンを増やしているのである。

(写真23)笠山神社裏の古い石祠とそこに積まれた大量の小石(1)(2026年5月3日撮影)

(写真24)古い石祠と大量の小石(2026年5月3日撮影)

笠山神社から腰上へ

 13時30分、笠山山頂から下山開始。

 今度は腰上側の参道をくだり、御朱印のもらえる栗山の氏子総代・福島由博氏宅をめざす。

 神社からは鳥居をくぐり、石段をくだると、神社下の小平地に今は使われていない社務所が寂しげにたたずんでいる。

(写真25)笠山神社社務所(2026年5月3日撮影)

 そして、ここから垂直に近い石段を下降するのだが、途中で巻き道をとらなかったことを後悔した。

 それくらい足元の危ない石段で、一歩踏み外したら、下まで転落すること必至だ。

(写真26)笠山神社直下の急な石段(2026年5月3日撮影)

 急な石段をくだってホッとしたのも束の間。

 今度は尾根を一気に200㍍近くくだる急坂になる。

 これを登るのは大変だろうと思っていると、あえぎながら登ってくる登山者に何人も出合った。

 個人的には、同じ参道であっても、腰上からの参道はくだりに回し、白石からの参道を登って正解だった。

 私の今の体力では、腰上からの参道を笠山山頂まで登るのは無理だろう。

 それでも20分ほど下降を続けると、さすがの急坂も終わりを告げ、尾根を外れ、山腹をゆるやかにトラバースしながらくだる快適な道になる。

 周囲は明るい雑木の林で、ちょうど満開の山ツツジの花が新緑に映え、実に美しい。

 三十二丁の丁石を見ると、再び尾根をくだる道になるが、傾斜は山頂直下ほど急ではない。

 くだったところに「右 笠山道」と書かれた古い石碑がある。

 この地点で右側に林道が接近する。

 その林道と登山道との間の林に、岩が3つ縦に積み上がったような大岩がある。

 先の道しるべの石碑のすぐ上に、かつて鳥居松と呼ばれた松の大木があり、しめ縄を張っていたが、枯れてしまい、今はない(内田康男『ふるさと腰上』1999年)。

 道標を兼ねた石碑からは平坦な道になり、すぐに笠山神社下社(下の笠山)につく。

 同じ笠山神社下社でも、痛みの目立つ白石の下社とは対照的に、こちらは平成7年(1995)9月に改築された立派な社殿である。

 下社右手に沢から引いた水が勢いよく流れ出しているが、飲み水には適さないので、要注意。

 下社にはベンチもあり、休むのに絶好の場所だ。

 白石の部分でも書いたように、笠山は、昔は女人禁制の山で、女性が下社から先は登ることは許されなかった。

 そのため、下社に参拝し、その後下山したという。

 春の祭典当日には、下社でも猫札を配布するが、枚数が少ないので、すぐになくなってしまうという。

(写真27)笠山神社下社(腰上側)(2026年5月3日撮影)

(写真28)笠山神社下社境内(腰上側)(2026年5月3日撮影)

 下社からは沢音を聞きながら山腹を巻く道になり、途中、2回沢を橋で渡る。

 その後、右手の沢に沿った道になるが、すぐに沢が道に接近し、簡単に沢に下りることができる場所に達する。

 内田康男氏は、「昔、ここ(下社)から少し降った西ノ沢脇には沢水を引いた『湯立て場』があり、男性は身を清めた後、山頂に向かったということです」(内田康男『ふるさと腰上』1999年)と述べているが、ここが「湯立て場」の跡だろうか?

 右手に「小川町栗山地区簡易給水施設浄水場」を見ると、森林が切れ、車道となり、栗山の集落に入る栗山の集落に入る。

栗山の笠山神社氏子総代宅にて

 山腹に人家が点在する明るい栗山の集落。

 くだってきて2軒目の家が、笠山神社氏子総代の福島由博さん宅である。

 福島家の入口には、1988年2月24日付けで小川町教育委員会から天然記念物として文化財指定を受けたマキの古木がある。これが「福島家のマキ」である(内田康男『ふるさと腰上』1999年)。

 福島さんの家の前には「御朱印」の幟が立てられていて、すぐに分かる。

 山頂で御朱印をもらえるのは14時頃までと言われていたが、既に15時。

 無理かも知れないと危惧したが、幟が立っているので、思い切ってお宅に伺ってみた。 

 幸い、お宅別棟の授与所には上社から下りてきたばかりの福島さんに加え奥様、そして土岐宮司の娘さんが待機されており、まだ御朱印がもらえるとのことで、一安心。

 まず御朱印帳を購入(記帳代と合わせて1,800円)。

 文庫本サイズの濃い緑色の御朱印帳は、表表紙にお札のとおりの猫の絵の上に右から笠山・笹山・堂平山がならぶイラストが金箔で描かれ、裏表紙には同じく金箔で笠山社の文字と、今度はその下に笠山・笹山・堂平山のイラスト。

 笠山社の「山」の文字を、猫の肉球のイラストで置き換えているところが可愛らしい。

(写真29)笠山神社の御朱印帳(表紙)(2026年5月15日撮影)

(写真30)笠山神社の御朱印帳(裏表紙)(2026年5月15日撮影)

(写真31)御朱印帳表・裏表紙(2026年5月15日撮影)

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 次に土岐宮司の娘さんに御朱印帳を渡し、1ページ目に御朱印をいただくことになる。

 手書きの部分があるので、御朱印をいただくまでの間、奥様にコーヒーを出していただき、それを飲みながら福島さんと雑談。

 「さっき山頂にいて、いろいろ尋ねていた方ですね」と福島さんの方から話を切り出してくれた。

 その後の会話の中身は、これまでの記述で既に大半を紹介してしまったので、それ以外の興味深い話をいくつか。

・小川町大字腰越は、町の中心部に近いところから腰一、腰二、腰中、腰上の4つの区に分かれている。腰上(こしかみ)は腰越の最も笠山寄りの区で、小貝戸、館、赤木、栗山の4つの集落からなる。

・笠山神社の氏子は腰上が約55世帯。白石が約30世帯。

・本日の春の祭典には、腰上から12人、白石から4人の役員が登った。

・宮司は青山氷川神社(青山上)の宮司である土岐宮司にお願いしている。土岐宮司は青山の氷川神社、腰上の笠山神社、腰中の氷川神社、上古寺の氷川神社、ときがわ町日影の日影神社など6つの神社の宮司を兼務している。

・昔、春の祭典に地域の子どもたちもたくさん登っていた頃、山頂にアイスキャンディーの出店が出ていた。キャンディーが売り切れると、売り子はすぐに参道をおりて、キャンディーをつめて再度登山。山頂で販売を再開した。祭典の日、アイスキャンディー屋は、知る限り最大1日3回山の登降を繰り返した。

 話をしているうちに、御朱印ができあがり、ありがたくいただく。

 緑のイラストで、お札の猫が2匹。令和8年5月3日登拝の文字を直筆で入れてもらい、山頂の神社(上社)で、自分で押す「上社登拝」のスタンプも入れていただいた。

(写真32)笠山神社の御朱印(2026年5月15日撮影)

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 授与所では御朱印をいただけるほか、5月3日からバージョンアップした「陶器猫のおみくじ」を販売するなど、笠山神社グッズも充実している。

 御朱印は、原則例祭日(5月3日、11月23日)と毎月第二日曜日。6月以降は、6月14日(日)、7月12日(日)、8月8日(土)、8月11日(祝)など。

 変更になるときもあるので、詳しくは笠山神社のXをご覧いただきたい。

小貝戸にて

 御朱印の授与所(氏子総代宅)で30分以上の長居をしてしまったが、山頂で猫札をいただいたうえ、授与所で御朱印をいただき、氏子総代の福島氏には貴重な話を聞かせていただくなど、大満足。

 私が福島さん宅を出たあと、「御朱印」の旗を下ろし、御朱印の提供は終わった。

 本当はもっと早く終わるはずだったのが、私が長居したため、授与所を閉めるのが遅くなり、申し訳ないかぎりだ。

 しかし、満足感一杯だったので、うっかり栗山から館の集落に出る近道である「長坂」の入口を見落としてしまい、赤木経由の長い車道を歩く羽目になった。

 館の集落を過ぎ、次の小貝戸の集落にさしかかったときに、出合った方から小貝戸に関する興味深い話を伺った。

 主な内容は以下のとおり。

・小貝戸は腰上だが、全世帯が笠山神社の氏子ではない。

・ちょうど集落の真ん中にある堀を境に「堀上」が笠山神社の氏子、「堀下」が腰中の氷川神社の氏子であった。

・小貝戸の現在の世帯数は23、4世帯。このうち笠山神社の氏子は12、3世帯。

・残りの「堀下」の世帯は従来、腰中の氷川神社の氏子だった。しかし、今年から氷川神社の氏子をやめ、鎮守なしとなった。

・鎮守なしとした背景には、集落の世帯数減少と高齢化がある。集落に残った高齢者が鎮守のお祭りなどの役員をするのは体力的にもきびしいので、氏子をやめた。

・そのため、腰越の鎮守は、腰一・腰二が熊野神社、腰中が氷川神社、腰上(小貝戸の堀下を除く)が笠山神社。小貝戸(堀下)が鎮守なしである。

・腰上(栗山・赤木・館・小貝戸)の全世帯は約76世帯。このうち約55世帯が笠山神社の氏子である(小貝戸の堀下を除く)。

 いろいろ小貝戸の事情をお聞かせいただくうちに、どんどん時間が経ってしまい、「バスは大丈夫ですか」と逆に心配されることに。

 「大丈夫です。最終バスまであと1時間以上あります」と答え、何気なく時計をみたら、小川町行きの最終バスの切通橋バス停到着時間18時30分が迫っていた。

 そこでお礼もそこそこに慌てて切通橋バス停(腰中)に向い、かろうじて最終バスに間に合った。

 来年も必ず笠山神社の春の祭典に出かけ、猫のお札をもらい、御朱印をいただこう。

 私一人だけのバスの車内でそう誓っていた。

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