リュウゴッパナは双耳峰だった!

2025年に70歳になったシニアです。
若い頃通いつめた東上線沿線の比企・外秩父の山について、地元で取材した山名・峠名・お祭り・伝説などの資料を再編集してブログ「比企・外秩父の山徹底研究」を立ち上げました。
比企・外秩父の山域を14のブロックに分け、今後順次各ブロックの記事を投稿していきます。
2025年3月より姉妹編「奥武蔵・秩父豆知識」を月1~2回程度投稿します。
こちらもよろしくお願いいたします。
2025年7月下旬頃から、14回連載した「比企・外秩父の山徹底研究」をベースに、そこでは取り上げられなかった地域の山を加え、コンプリートな「比企・外秩父の山と峠・巨岩等小辞典」(仮題)を連載する予定です。乞うご期待。

高橋秀行をフォローする
比企・外秩父の山徹底研究
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はじめに 

 東秩父村安戸の帯沢(おびざわ)地区奥に、特異な山容をみせる山がある。

 笠山の前方右手に大きく見える山は、台地状の山頂左手がいきなり垂直な岩壁となって落ち込むというその姿から、一度見たら忘れることのできない山である。

 この山こそ、笠山前衛の山々のうち一際目立つ存在であるリュウゴッパナ(493.8㍍3等三角点)である。

帯沢集落からリュウゴッパナを仰ぐ
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 リュウゴッパナは、山名をめぐってハイカーの間で二転三転した山でもある。

 この山は長年「ツルキリ山」と呼ばれていた。

 奥武蔵・秩父・比企の山々紹介の先駆者である大石真人氏は、著書『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(朋文堂、1954年版)所収の「外秩父概念図」において、笠山前衛で、萩平(大字御堂)と松木平(大字安戸)との間にある493.8㍍三角点のある山を「ツルキリ山」としている。

 大石氏は『マウンテン・ガイドブック・シリーズ8 奥武蔵』(朋文堂、1960年版)所収の「奥武蔵辞典-山名編-」においても、「ツルキリ山493.8㍍ 笠山の北、帯沢の奥にある岩山である。観音山、薬師山などとつなげれば、ハイキングコースができそうである。宛て名、名因ともに不明」と記している。

 このうち薬師山は、仙元山(浅間山)が正しく、その北にあった名山・観音山は、セメント原料の珪石採掘のため秩父鉱業(株)により削り取られ、今は存在していない。

 大石氏の命名後、ツルキリ山の名は同氏が二代目の会長を務めた奥武蔵研究会調査執筆の山と高原地図23『奥武蔵・秩父』(昭文社)に引き継がれ、今でもヤマレコの「山の地名」欄において、ツルキリ山がメインの山名とされ、「竜ヶ鼻(リュウゴッパナ)」は別名の扱いをされている(ヤマレコでは「龍ヶ鼻」としているが、493.8㍍3等三角点の点名はあくまでも「竜ヶ鼻」である。詳しくは、遠山元信『埼玉県内の三角点 1995年版』1995年を参照されたい)。

 1980年代後半になり、ツルキリ山の山名呼称が誤りであり、三角点峰の名称が点名である「竜ヶ鼻」に改められ、括弧書きで地元(帯沢)呼称のリュウゴッパナが添えられるようになった。

 そして、ツルキリ山(ツルキリ)は、リュウゴッパナ西側の490㍍圏ピークの山名となり、竜ヶ鼻(リュウゴッパナ)とツルキリ山は区別されるようになった。

 現在の山と高原地図23『奥武蔵・秩父』はリュウゴッパナ西の490㍍圏ピークをツルキリ山、本ブログ「比企・外秩父の山徹底研究第7回 笠山前衛の山々」でも、同ピークをツルキリとした。

 これで一件落着かと思ったのだが、今年(2026年)5月31日と6月6日の2回にわたって、リュウゴッパナと隣の490㍍圏ピーク、そして同ピークと尾根続きの物見山などを歩き、さらに帯沢(大字安戸)や萩平(大字御堂)など山麓で聞き取りを行った結果、次のようなことが分かった。

 リュウゴッパナ西の490㍍圏ピークをツルキリ(山)と呼ぶのは誤りあること、竜ヶ鼻という名称は、あくまでも三角点の点名であり、地元呼称ではないこと、そして物見山の正確な位置等である。

 それだけでも大収穫だったが、490㍍圏ピークから物見山への尾根が正面に眺められる萩平の山上集落からは、リュゴッパナは490㍍圏ピークの背後に隠れ、見えないことが再度確認できた。

 そして、萩平ではずんぐりとした山容の490㍍圏ピークのことを「リュウゴウ」と呼んでいることが分かった。

萩平の山上集落から望む「リュウゴウ」(リュウゴッパナ西側の490㍍圏ピーク:萩平からは、リュウゴッパナはリュウゴウの後ろに隠れて見えない)
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 ならば、三角点峰をリュウゴッパナ、その西の490㍍圏ピークをリュウゴウと呼び、区別すればそれでいいだろうと思われるかも知れない。

 たしかに、ネットで以前の山行記録を検索すると、かつて490㍍圏ピークの山頂にある大木の根元に「龍郷山」と記された私設の山名表示板が置かれていたことが分かった。

 竜ヶ鼻がリュウゴッパナに漢字を当て字したものであるのと同様に、龍郷山も地元で聞き取った「リュウゴウ」に漢字を当て字して山をつけた先駆的なハイカーによる命名の可能性もある(萩平の方が設置した可能性もあるが)。

 それはともあれ、三角点峰=リュウゴッパナ(竜ヶ鼻)、490㍍圏ピーク=リュウゴウ(龍郷山)とすれば、それで一見落着かといえば、そうではないのである。

 これは後の山行記録部分で詳しく書くが、萩平の山上集落で、リュウゴウと呼ぶのは指呼できる490㍍圏ピークだけでなく、それに隠されたリュウゴッパナのことも含んでいるようなのだ。

 これは「リュウゴウのことを、帯沢ではリュウゴッパナと呼んでいる」という萩平の古老の言葉からも明らかである。

 さらに帯沢の最奥の集落である松木平で聞き取りをした古老からは、「リュウゴッパナは、三角点のある山と隣の山を合わせた意味でも用いられている」という決定的な言葉を聞かされた。

 しばらく私の頭のなかは混乱したが、答えがはっきり分かったのは2026年6月14日に大霧山に登ったときだった。

 大霧山南にある724㍍圏ピーク(かつて「茶立場」と誤称されていた山)の山頂付近から眺めた景色である。

 笠山の左に、台地状の山頂の端が垂直に切れ落ちる特異な山容のリュウゴッパナ(東峰)とその隣のずんぐりした山容のリュウゴウ(西峰)がまるで双耳峰のように並び、リュウゴウ左に物見山への長い尾根が延びているではないか。

 要するに、リュウゴウ(490㍍圏ピーク)とリュウゴッパナ(493.9㍍三角点峰)は双耳峰であり、前者は西峰、後者は東峰というのが適切である。

大霧山南の724㍍独標付近から遠望する双耳峰のリュウゴッパナ(東峰)とリュウゴウ(西峰)
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 先の萩平や松木平の古老が述べていたように、リュウゴウ、リュウゴッパナ双方とも、それぞれの集落では2つのピークの総称として用いる人もいるのである。

 ちょうど官ノ倉山が東峰である石尊山と西峰である官ノ倉山(狭義)の総称であるのと同様に、リュウゴッパナ(帯沢側呼称)、リュウゴウ(萩平側呼称)は、東峰(狭義のリュウゴッパナ=竜ヶ鼻)、西峰(狭義のリュウゴウ=龍郷山)両者の総称と理解した方が良いのである。

 そうなると、リュウゴッパナ(リュウゴウ)の東峰=狭義のリュウゴッパナ(竜ヶ鼻)、西峰=狭義のリュウゴウ(竜郷山)と言った方が適切である。

 以上、結論の大筋を先に述べてしまったが、そこにいたる聞き取りの経緯とリュウゴッパナ付近の地形や山道の詳細を知っていただくためにも、2回の山行記録を再現しておくことが必要だろう。

 ところで、リュゴッパナ(リュウゴウ)に登るためには、北側および南側からの両アプローチがある。

 北側は2コースある。1つは、「道の駅 和紙の里ひがしちちぶ」から林道御堂笠山線をたどり、物見山(411㍍独標)北尾根付近から山に取り付き、物見山から尾根を南下するコースである。

 ただし、このコースは尾根に取り付くまでに長い林道歩きを強いられるという難点があり、むしろくだり向きのコースである。

 北側からのもう1つのコースは寺岡バス停から帯沢橋を渡り、帯沢川に沿った林道を少し遡り、帯沢の鎮守・身形神社の裏から尾根通しに林道御堂笠山線に出るものである。

 このコースは、ちょうどリュウゴッパナ(東峰)を正面に仰ぐことができるうえ、踏跡も明瞭であり、林道歩きを大幅に減らすことができ、登りコースとして推奨できる。

 南側からのコースは、皆谷バス停から新田(あらた)の山上集落に登り、松ノ木平展望台から萩平の東屋にいたり、そこから萩平の山上集落をへて、林道萩帯線と林道御堂笠山線の合流点(リュウゴッパナ登山口)にいたるコースである。

 このコースは、西峰(490㍍圏ピーク)から460圏ピークをへて物見山(411㍍独標)にいたる尾根を一望できるメリットがあり、先の合流点から尾根に取り付き、比較的短時間で西峰をへて、リュウゴッパナ主峰の東峰に達することができるというメリットもある。

 帰路は尾根を北上して、物見山先から林道に出て、あとは道なりに「道の駅 和紙の里ひがしちちぶ」へ行くなり、それとも途中から山道に入り、身形神社に出るなり、自由に選ぶことができる。

 それでは、2日間の山行記録を振り返りながら、リュウゴッパナや物見山などの山名の聞き取り結果について詳しく述べることにしたい。

図1 リュウゴッパナとその周辺
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2026年5月31日(日)(皆谷~新田~萩平~リュウゴッパナ~物見山~道の駅 和紙の里ひがしちちぶ)

皆谷から若宮八幡神社(新田)へ

図2 新田から萩平、リュウゴッパナ西峰(リュウゴウ・龍郷山)へ
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 最近、私の東秩父村の山方面への定番バスになりつつある小川町駅10時17分発のイーグルバス「白石車庫」行きのマイクロバスに乗車。

 日曜だが、バスの乗員は満席になる程度。

 私を除く全員が打出のバス停で下車。

 毎年5月中旬から6月上旬にかけて秩父高原牧場で開催される「天空のポピー」の人気を痛感した次第である。

 しかし、これは次週(6月6日)にくらべれば、まだ可愛いものだった。

 ともあれ打出から先、私ひとりを乗せたバスを皆谷バス停で下車。

 バス停から白石車庫方面に少し進むと、左に登る道の入口に「笠山登山口」の看板がかかっている。

皆谷バス停
笠山登山口の看板

 これにしたがい、左に入り、人家の庭先を通るような道を登ると、林道に出る。

 林道を横切り、近道の山道を登ると、再度林道に出、4回目に林道に出た地点からは、しばらく林道を登る。

 まもなく人家が現われる。

 登り口付近が新田(あらた:大字皆谷)の下集落。今到着した山上の集落が新田の上集落。

 上集落の人家の奥に新田の鎮守である若宮神社が鎮座している。

 人家の庭先を通り、若宮八幡神社に到着。

 若宮八幡の入口上に掲げられている江戸期の扁額「光峯山」は、東秩父村の文化財に指定されている。

 ちょうど神社の掃除をしていた方がおられたので、話を伺う。

 社殿は、現在は赤いトタン屋根だが、以前は藁葺きの屋根だった。

 以前の社殿は、まわりに渡り廊下をめぐらせていたという。

 新田の集落は県道沿いの下が16世帯、若宮神社付近の上が4世帯の計20世帯ほどである。

 若宮神社の例祭は年2回。4月10日が新嘗祭。10月10日が秋の大祭。

 いずれも坂本にある八幡大神社の大澤宮司にお願いして祝詞をあげてもらうという。

新田(あらた)の若宮八幡神社
若宮八幡入口に掲げられている東秩父村指定文化財の扁額「光峯山」

松ノ木平展望台(皆谷鉱山跡)

 若宮八幡からさらに林道を登り、カーブした突端が、かつての皆谷鉱山の真上にあたる松ノ木平展望台。

 皆谷鉱山は浅野セメント(現・太平洋セメント)が1936年から石灰岩の採掘を開始。

 皆谷で採掘された石灰岩は、地元の方が「ナベツル」と呼ぶ索道(ロープウェイ)にゴンドラを釣るし、ゴンドラに石灰岩を積み、萩平・物見山付近・帯沢などを経由して根古屋積込所(小川町腰越)まで約8.4キロにわたって運んだ。

 鉄塔を建て、そこにロープを張り巡らし、ロープにぶらさげるゴンドラを滑車で動かしていたというが、ゴンドラのスムーズな移動のために滑車やロープなどへの油の注入が必要だった。そのため鉱山に近い萩平には索道に油をくれる(油を注ぐ)人が集まって住んでいたという(松木平の吉野金一老の話)。

 皆谷鉱山から索道で石灰岩を運んだ根古屋の積込所から今度は、引き込み線(根古屋線)を引いて石灰岩を列車で小川町駅まで運んだという。

 盛況を誇った皆谷鉱山も、1966年に石灰岩の枯渇により閉山となった。

 そんな歴史のある皆谷鉱山の真上が松ノ木平展望台である。

 そこは植林がすべて伐採され、遮るものがないため、正面に大霧山とその山裾の朝日根集落(大字皆谷)が望まれる素晴らしい展望台となった。

 誰もがこの大展望に歓声をあげるだろう。

松ノ木平展望台から大霧山と山麓の朝日根集落を望む

 ところで、朝日根集落は「地滑り地帯で、大霧山東麓斜面の下を流れる槻川に平行して象ヶ鼻・朝日根断層が走っている。その断層との間に挟まれた地域が地滑り地形になっている。明治43(1910)年には大地滑りが発生して大きな被害をもたらした」(飯野頼治『飯野頼治著作集2 歩く道・歩く旅1 奥武蔵風土記・東秩父村風土記』まつやま書房、2022年)。

 伐採した木の切り株がベンチのように並び、展望台の一角には木の小社が祀られ、賽銭箱まである。

 展望台の向かいにある人家から出てこられた石川守男さん(64)にお話を伺うと、松ノ木平展望台は石川さんが3~4年前に植林を伐採。切り株のベンチを並べ、整備したという。

 小社は昔、展望台の横にあった人家の氏神であったという。

 そして、「松ノ木平」という名は、石川家の屋号である。

萩平の山上集落にて

 松ノ木平展望台からさらに林道を登ると、尾根上に出て、萩平(大字御堂)の集落が眼下に広がる。

 この地点は、新田から登る道と萩平の常光寺方面にくだる道(向かって左)、笠山方面への道(向かって右)の三者が合流するT字路になっている。

 仙元山(浅間山)からくだってくる尾根道もここで合流するので、厳密にいえば四差路といえるかもしれない。

 大石真人氏は、この地点(新田から萩平へ乗っ越す峠)について、「岳ノ平坂」(タケノタイラザカ)と呼んでいる。

 この地点よりも萩平に寄った高地に東屋が建てられている。

萩平の東屋

 東屋からは、ちょうど東側に右からずんぐりとしたリュウゴウ(龍郷山)から460㍍圏ピークをへて、物見山(411㍍独標)にいたり、そこから一気に和紙の里に向け高度を下げる尾根が望まれる。

萩平の山上集落よりリュウゴウ(龍郷山:一番右)から物見山(一番左)に延びる尾根を眺める
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 東屋内には「花見堂薬師」が祀られ、鐘も設置されている。

萩平の東屋に祀られている花見堂薬師
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萩平の東屋に吊されている鐘

 5月31日は平地では30度前後の暑さだったが、尾根のテッペンにあたる東屋では心地よい風が吹き涼しく、この風により鐘(クマ除けか?)が常時鳴るという実にのどかな雰囲気が漂っていた。

 東屋から林道を笠山方面に向かい、ぶどう園のところで左に分かれる車道をくだると、すぐにぶどう園を除くと、萩平で一番高い地点にある人家の前に出る。

リュウゴウ(龍郷山)

 人家の庭先に入り、「すみません」と声をかけると、お孫さんの思われる若い男性が出てこられ、「この付近の山の名前を伺いたいのですが」と話しかけると、「ちょっと待ってください」との返事があり、すぐに祖父にあたる内田長次(ちょうじ)さん(81歳)が出てこられた。

 萩平の山上集落で、内田さんと出会えたのは本当に幸運だった。

 内田さんのお父さんは萩平をくまなく歩き、山名、沢名、字名、大岩、大穴などを記録した詳細な地図を作成した。このことを聞いて、東京の大学の教員がやってきて、お父さんの案内で萩平を回ったという。

 「萩平の地名を聞きに来たのは、あなたが2人目だ」とのことだったが、肝心のお父さんが作成した地図の所在を聞くと、「なくしてしまった」との答えだった。

 しかし、お父さん作成の地図の記憶や自分でも隅々まで歩いた記憶から、現在、萩平でもっとも山名等に詳しいという内田さんの口からは、流れるように地名が続々と飛び出し、メモするのも大変だった。

 先の東屋をつくったのも内田さんで、現在でも通って掃除をしているという。

 内田さんの家からみても、490㍍圏ピークがリュウゴッパナを完全に隠している。

 その490㍍圏ピークについて、内田さんは「萩平ではリュウゴウと呼んでいる」と話してくれた。

 ちなみに、リュウゴウへの漢字の当て字は分からないということ。

 ただし、「リュウゴウは、帯沢ではリュウゴッパナと呼ぶ」「リュウゴウは岩場に囲まれた嶮しい山」「リュウゴウの岩場には岩松が生えていた」など、目前のリュウゴウについて指呼して語りながら、その内容はリュウゴッパナそのものであることから、リュウゴウは眼前にみえる山(490㍍圏ピーク)だけでなく、その背後にあるリュウゴッパナをも指しているとの感触を得た。

物見山

 リュウゴウから北に延びる尾根上の物見山について、私(ブログ「比企・外秩父の山徹底研究」第7回「笠山前衛の山々」」)や飯野頼治氏(『飯野頼治著作集2 歩く道・歩く旅1 奥武蔵風土記・東秩父村風土記』(まつやま書房、2022年)は、490圏ピーク(リュウゴウ)北側の460㍍圏ピークであるとした。

 飯野氏は460㍍圏ピークについて、「展望はないが、以前は赤城山も見えたほど見通しが良かったという」と記している(飯野頼治、前掲書)。

 これに対し、奥武蔵研究会調査執筆の山と高原地図23『奥武蔵・秩父』(昭文社、2025年版)では、460㍍圏ピークよりさらに北の411㍍独標を物見山としている。

 果たしてどちらが正しいのだろうか。

 眼前に見える尾根を指呼して、内田さんに山名を聞いてみた。

 一番右の高い山が「リュウゴウ」。

 真ん中の突起(460㍍圏ピーク)は無名。

 物見山は一番左の411㍍独標だった。

 山と高原地図23『奥武蔵・秩父』の記載が正しかったことが証明されたわけである。

ツルキリ

 それから「ツルキリ」について。

 名水・観音水のある沢(あくと沢)を遡り、5つめの堰堤を越えると、沢は二俣になる。

 ここで右俣を進むと、ハングした巨岩がある。その巨岩の下に穴が開いているが、この穴を「山賊穴」という。

 ツルキリは「山賊穴」付近の字名であり、西峰(490㍍圏ピーク=リュウゴウ)からはかなり離れている。

 むしろ物見山に近いと内田さんは語る。

 したがって、490㍍圏ピーク(西峰)をツルキリ(山)とした山と高原地図23『奥武蔵・秩父』および私のブログ比企外秩父の山徹底研究第7回「笠山前衛の山々」の記述は誤りであった。

猫大明神

 先の萩平東屋から仙元山への尾根道を少し登ると、右手に石碑群がある。

 全部で6つの石碑があるが、左の2つは摩耗が激しく、何を祀っているのか分からない。

 実は、この5つの石碑は内田家の氏神であり、内田さんによると、左から「不動様」「摩利支天」「御嶽山座王大権現」(嘉永元年十月吉日 内田友五郎)「庚申塔」(明治廿二年四月吉日 内田○○」「八百萬神(やおろよずのかみ)(旧)」「八百萬神(新)」の5つである。

内田家の石碑群(中央が御嶽山座王大権現)

 実はこの5つの碑の裏にもう1つ興味深い碑がある。

 それが古い八百萬神の碑の後ろにひっそりと立っている猫大明神の石碑である。

 よく見ると、猫が前足を揃え、身体を起こして座っている姿(「エジプト座り」)にみえなくもない。

猫大明神

 この猫神様も内田家の氏神であり、この地でかつて養蚕が盛んに行われていたことの証である。

 内田家では、毎年1月9日、氏神である御嶽山座王大権現その他の神様にお参りする。

 そのときに猫大明神にもお参りするという。

 養蚕地帯の集落の氏神として猫神様を祀る例は全国にあるが、特定の家の氏神として猫神様を祀っている珍しい例を発見できたのは大きな収穫であった。

萩平からリュウゴウ、リュウゴッパナへ

図3 リュウゴウ、リュウゴッパナ、林道帯沢線
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リュウゴウ(龍郷山)

 内田家から林道をくだり、途中、左に秩父鉱業(株)の御堂鉱業所のある坊庭へ行く林道萩平線を分け、林道萩帯線を登って行くと、まもなく林道御堂笠山線との合流点に出る。

 この地に「秩父七峰縦走ハイキングコース」の標識が立っている。

 実は、和紙の里から林道御堂笠山線を歩き、物見山(411㍍独標)北から山に入り、物見山から南下。リュウゴッパナ(東峰)西側のリュウゴウ(西峰)の西側を巻き、林道萩帯線と林道御堂笠山線の合流点にいたるコースは、外秩父七峰縦走ハイキングコースの一部となっている。

 山道に取り付くと、立て続きに2つのピークを巻く。

 次の3番目のピーク(リュウゴウ、龍郷山)を左から巻き始めるところに、青石の馬頭観音(馬頭尊)が倒れている。

 山の斜面に沿って石積みが築かれ、その上に大木に支えられて、馬頭尊があったのだが、残念ながら倒れてしまっていて、明治38年(1905)9月吉日建立の刻印は隠れて見えない。

 かつて、この地で刈った草を馬で運んでいたが、道が急峻なため、何頭もの馬が谷に落ちて死亡した。

 死んだ馬の霊を慰めるために、萩平の人々がこの地に馬頭観音を建立したという。

倒れてしまった馬頭観音
馬頭観音正面

 ここから西峰(リュウゴウ、龍郷山)を西から巻くが、巻き道は細く、しかも道の真下の斜面は急峻で、かつて馬が何頭も落下したのも納得できる手強い道である。

 ようやく西峰(リュウゴウ・龍郷山)を巻き終えると、鞍部には東を指して、「竜ヶ鼻→行き止まり」と書かれた張り紙が立ち木に巻き付けられていた。

 さらにこの紙には「竜ヶ鼻」の上に「リュウゴッパナ」とマジックで書き添えられ、同じくマジックで「5分」と書かれていた。

東峰(リュウゴッパナ)分岐の張り紙(龍ヶ鼻に「リュウゴッパナ」とカナを振っている)
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 外秩父七峰縦走をめざす人々は笠山に急ぐため、縦走路から外れるリュウゴッパナなどには目もくれないが、ここでは東峰のリュウゴッパナ登頂が最大目的である。

 先の私設指導標に沿って、西峰(リュウゴウ、龍郷山)を巻き終えた地点から、今度は西峰と東峰との鞍部をめざし、西峰北面の巻き道に入る。

 実はリュウゴウ(西峰)から北に460㍍圏ピーク、物見山(411㍍独標)に続く尾根は、東秩父村の大字安戸と大字御堂との境界尾根でもある。

 リュウゴッパナ(リュウゴウ)についても、西峰は境界上にあるが、そこから東に少し入った東峰(三角点)は、完全に安戸の領域である。

 ところで西峰を巻き終えた地点から西峰と東峰との鞍部をめざす巻き道は、すぐに不明瞭になってしまうので、思い切って右上の急斜面を登り、西峰(リュウゴウ、龍郷山)の山頂に登ってしまう。

 490㍍圏の狭い山頂は樹林に覆われ、展望は得られない。

 山頂に地籍調査の標柱があるだけで、私設の山名表示板もない。

 以前は、山頂にある大木の根元に「龍郷山」と記された私設の山名表示板が置かれていたようだが、その名残もない。

リュウゴッパナ西峰(=リュウゴウ、龍郷山)山頂

リュウゴッパナ(竜ヶ鼻)

 西峰(狭義のリュウゴウ、竜郷山)から急激に斜面をくだり、東峰(狭義のリュウゴッパナ、竜ヶ鼻)との鞍部に出る。

 鞍部は割に長い距離で、途中に倒木が倒れ、行く手をふさぐ。

 倒木をくぐり抜けると、遠目からも分かる緩やかな登りになり、まもなく3等三角点標石につく。

 山頂の西端である。

リュウゴッパナ東峰(リュウゴッパナ・竜ヶ鼻)山頂の3等三角点標石

 山頂は樹林に覆われ展望はないが、立ち木に張った紙に漢字で「竜ヶ鼻」と書いてある上に、先のリュウゴッパナ5分と書かれたものと同じマジック書きで、「見晴らし良→3分」と書き添えてある。

東西に細長いリュウゴッパナ東峰(リュウゴッパナ、竜ヶ鼻)山頂
リュウゴッパナ東峰(リュウゴパナ、竜ヶ鼻)の立ち木に貼られた山名表示紙(マジック書きで「見晴し良→3分」とあるのが気になる)

 これにしたがい、東西に細長い東峰の山頂を端まで行き、そこから北東に急激にくだる。

 すると、小平地に出る。

 そこには古い瓦製の祠が祀られていた。

リュウゴッパナ東峰山頂北東の小平地に祀られた瓦製の小祠

 そのすぐ先の岩場のテッペンこそ、先の山名表示板への書き込みにある「見晴らし良」の地点であった。

 何せ山頂直下から切れ落ちる岩場の頂上。

 右手は木々に邪魔され、笠山がみえにくいのが難点だが、笠山より東側の山稜、とくに風早山(平萱の三角点:539.4㍍3等三角点)から金嶽にいたる慈光寺の裏山が手に取るようによく見える。

 リュウゴッパナ東峰(三角点峰)で食事をするなら、展望ゼロの山頂よりも、この岩場のテッペンが絶好だろう。

 ただし、足元は断崖なので、景色に見とれて足を踏み外さないように注意したい。

 しかし、リュウゴッパナの主峰である東峰を徹底的に歩くことにより、西峰との長い鞍部と山頂への緩やかな登り。そして東西に細長い山頂とそこから少しくだった小平地。さらに垂直に落ち込む岩壁というリュウゴッパナ東峰の特異な山容を、身をもって体験できたのは良い経験だった。

 東峰山頂から再び西峰との長い鞍部に戻り、西峰を巻いて秩父七峰縦走路のある主尾根にトラバースしようとすると、踏跡が途中で消えてしまう。

 やむなく西峰の山頂寄りに歩きやすい場所をみつけ、トラバースしていくと、主尾根への接続点よりも少し高い地点に到着。

 すぐに接続点に出た。

物見山

図4 物見山周辺
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 あとは小ピークをひとつ越えると、くだりになり、林道御堂笠山線に出る。

 林道を横断し,再び山道になると道の両端に大きな基石らしきものが2つ残っていた。

 表面をよく見ると、その上にさびた鉄の欠片があった。

 もしかすると、ここが皆谷鉱山から根小屋へ石灰石を運んだナベツル(索道)の鉄塔跡ではないかと想像すると、歴史をタイムスリップした気分になる。

謎の石の大きな標石(鉄が取り付けてあったことが分かる)

 この先、小ピークを右から巻き、いよいよ眼前に460㍍圏ピークが迫る。

 すると、山頂を右から巻く道が現われる。

 何の変哲もない山頂なので巻いても良いが、一応急登して山頂につく。

 狭い山頂は展望皆無で、青い棒と地籍調査の標柱が2つ、境界明確化の標柱が1つあるだけだった。

 再び巻き道の入口まで戻り、460㍍圏ピークを巻き終わると、急なくだりと緩やかなくだりを繰り返し、再び林道御堂笠山線に出る。

 林道を横断し、再度尾根にとりつくと、痩せて岩の出た尾根となる。

 小ピークを右から巻くと、くだった鞍部に秩父七峰縦走背筋コースの標識が現われる。 

 正面の山は物見山(411㍍独標)だが、ここにも右から巻く明瞭な道がある。

 要するに秩父七峰縦走ハイキングコースの物見山~リュウゴッパナ登山口までの間は、すべてのピークを巻くようになっていて、余計なエネルギーを費やさないよう工夫されている。

 もっとも私は物見山に登ることも目的のひとつなので、巻き道を見送り、正面の物見山に向け、急坂を登る。

 登りついた山頂の一角は小平地となっているが、本当の山頂はその奥の一段と高い場所になっている。

 この段差はどうも人為的で、もしかしたら広い山頂の上に一部盛土をして一段と高くし、そこに北東至近距離にある安戸城(城山:239㍍独標)の物見櫓を建てたのではなかろうか。

 山頂には「物見山」と書かれた私設山名表示板が立ち木に取り付けられている以外何もない展望ゼロの場所だった。

 しかし、この山から北へは尾根が急激に高度を下げ、槻川に落ち込むので、樹林さえなければ展望絶佳な場所であったと想像できる。

 とくに北側の展望が良かったようで、「赤城山が見えた」という言葉もあながち間違いではないだろう。

物見山山頂
物見山山頂の私設山名表示板

 物見山の山頂から再度巻き道の入口に出て、今度は物見山を東側(右側)から巻く。

 巻き終わると、今度は右下に「バス停へ」と書かれた指導標が現われる。

 このまま尾根をたどっても、林道との段差のある崖の上に出てしまうので、ここでは指導標にしたがってジグザグにくだっていくと、林道御堂笠山線に飛び出す。

 ここからは林道をのんびりたどり和紙の里(御堂)にくだるか(最後の部分で近道あり)、それとも林道が大きくカーブする地点で、次に紹介する帯沢(安戸)の身形神社裏からの山道に出、寺岡バス停に出るかのいずれかである。

 2026年5月31日は、おとなしく和紙の里まで忠実に林道を歩き、夕方6時少し前に和紙の里・道の駅バス停についた。

 もちろん道の駅の営業は終わっていて、期待したアイスにはありつけなかったが、和紙の里バス停18時34分発の最終バス(土日)には余裕をもって間に合った。

2026年6月6日(土)(寺岡バス停~帯沢~松木平~林道帯沢線終点~帯沢にもどり、身形神社~物見山~リュウゴッパナ~萩平~坊庭~道の駅和紙の里バス停)

図3(再掲) リュウゴッパナと林道帯沢線
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 実は5月31日の山行で、帰路和紙の里から帯沢まで歩き、直接リュウゴッパナ(東峰)を仰ぎ、写真を撮るとともに、林道帯沢線の状況を確認する予定だった。

 しかし、萩平でじっくり時間をかけて聞き取りをしたことと、リュウゴウ(西峰)から物見山をへて和紙の里へ延びる尾根のうち、物見山(411㍍独標)から尾根通しに和紙の里まで出ようと試み、悪戦苦闘した結果、敗退し、林道沿いにくだることに変更するなど時間を要した結果、和紙の里で時間切れ(最終バス発車まで30分)となった。

 6月6日(土)は寺岡バス停から林道帯沢線を遡り、帯沢や松木平の集落で聞き取りを行うとともに、林道帯沢線を終点まで歩き、そこからリュウゴッパナ登山口に行くことができるかどうか確認することが最大の目的となった。

 当日、小川町駅10時17分発の白石車庫行きバスに乗ろうとしたら、何と大変な行列。

 果たして、この人数でマイクロバスに全員乗ることができるのかどうか、それとも臨時バスが出るのかどうかなどと考えながら、行列の最後に並んだ。

 この大行列の原因はすぐに分かった。

 翌6月7日(日)が秩父高原牧場の「天空のポピー」最終日。

 だが、7日は午後雨との予報が出ているため、雨の心配のない前日の6日にハイカーが集中したのである。

 マイクロバスが到着し、次々にバスに乗っていくが、やはりすぐに満車状態。

 しかし、臨時便が出る気配は全くない。

 一時は次のバスまで待つことも覚悟したが、何とか全員バスに乗ることができた。

 車内は通勤時間帯の山手線に匹敵するすし詰め状態。

 身体を動かすこともできないうえ、途中のバス停から乗車する客もいるので、混雑はさらに悪化。

 そうなると、乗客のほとんどは二本木峠の登り口である打出で下車するので、そのずっと手前である寺岡で果たして下車できるかどうか不安になってきた。

 しかし、寺岡バス停で降りようとしたら、前方にびっしり詰まった乗客が自発的に前のドアから降りてくれ、無事、下車することができた。一時降りてくれた乗客に感謝しながら、寺岡バス停から帯沢に向かった。

帯沢集落にて

 寺岡バス停から少し小川方向に戻り、すぐに右(南)に帯沢への道に入る。

 周囲はのどかな田んぼで、ちょうど田植えの最中だった。

 正面に笠山が大きく望まれるが、リュウゴッパナ(東峰)はまだ姿を現わさない。

帯沢集落入口付近から笠山を眺める
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 道で出会った老婦人に挨拶をし、帯沢集落の概要を尋ねる。

 話によると、東秩父村大字安戸は、4つの地区から構成されていて、小川町に近いところから、宿(しゅく)、在家(ざいけ)一区、在家二区、そして帯沢の4地区である。

 寺岡や松木平も帯沢地区内の集落で、寺岡バス停のあるところが、ちょうど大字安戸と大字御堂との境であるという。

 残念ながらリュウゴッパナの名は知らないようだった。

 帯沢橋で槻川をわたり、帯沢集落に入ると、いよいよ眼前にリュウゴッパナ(東峰)が、その特異な山容を現わした。

 右からなだらかに登った山頂が、左に少し緩やかに下がったあと、一気に垂直に切れ落ちる姿は、一目見たら忘れられない強烈な印象を与える。

 リュウゴッパナの名は、帯沢付近から眺めると、山頂付近の岩場が竜の鼻を連想させるところから、そう呼ばれたという。

帯沢集落から仰ぐリュウゴッパナ東峰(1)
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帯沢集落から仰ぐリュウゴッパナ東峰(2)
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帯沢から笠山(中央)とリュウゴッパナ東峰(右)を望む
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 リュウゴッパナ(東峰)の姿を夢中で写真に撮っていると、トラクターに乗った中年の男性が近づいてきた。

 声をかけると、トラクターを止めて話に応じてくれた。

 林道帯沢線をこのまま詰めて、終点からリュウゴッパナ登山口に行けるかどうか尋ねたところ、林道は荒れていて、終点から登山口に出る道はない。身形神社の裏からならいい道があるので、そちらを登った方が良いと丁寧にアドバイスしてくれた。

 お礼を言って、右に帯沢地区の鎮守である身形神社への参道を見送ると、中年の女性が声をかけてくれた。

 聞くと、先に話したトラクターに乗った方の奥様で、夫から携帯電話があって、林道帯沢線からリュゴッパナ(東峰)に登ろうとしている人がいるので、身形神社からの道の入口を案内して欲しいと伝えられたという。

 女性の話では、夫婦ともに山歩きが好きで、身形神社からの道へ自宅裏から登る近道をつくり、林道御堂笠山線に出るまでの道の草刈りも行っているという。

 物見山までは良く行くし、リュウゴッパナ(東峰)へもときどき足を伸ばすという。

 さらにリュウゴッパナ(東峰)手前の分岐や山頂に山名表示の紙が貼ってあるが、そこには「竜ヶ鼻」と書かれている。しかし。地元ではリュウゴッパナと言っているので、油性マジックでリュウゴッパナと書き添えたという。

 先にリュウゴッパナ(東峰)への入口と山頂にある「竜ヶ鼻」とある山名表示の紙にマジックでリュウゴッパナと書かれていたことを思い出した。

 何と本日出合ったご夫婦がマジックでリュウゴッパナと書き添えたご本人だったのである。

 奥様はすぐにでも自宅裏から身形神社からの道に登る入口まで案内してくださるご様子だったが、「まずは林道帯沢線の終点まで行って、そこから登山口まで行けるかどうか確認し、無理なようなら戻ってきます」と伝え、林道帯沢線を松木平へ向かった。

 正面にリュウゴッパナの東峰を望みながら帯沢川沿いの林道を登ること約15分で、帯沢地区最奥の集落である松木平についた。

リュウゴッパナ(松木平での聞き取り)

松木平(帯沢地区)の集落

 日当たりの良い斜面に10軒の家が点在する松木平で、ちょうど畑作業をしていた吉野金一さん(84歳)に声をかけると、快く応じてくれた。

 吉野さんによると、リュウゴッパナのことを「リュウゴ」と略していうこともあるという。

 そうすると、萩平での呼称である「リュウゴウ」は「リュウゴ」がなまったものである可能性もある。

 吉野さんの話では、リュウゴッパナ(東峰)山頂付近の岩場には岩松(イワヒバ)が生えていた。

 岩松は盆栽用に高価で取引されるので、岩松採りは地元の人にとって貴重な副収入源だった。

 岩松を採るためには、山頂からロープを垂らし、それを身体に巻き付けて確保するのが常だったが、それこそ命がけだったという。

 そういえば、リュウゴッパナ(東峰)には昔、岩松を採りに来た村人が山頂の岩場から転落して死亡したという話が残っていることを思い出した。

 吉野さんによると、冬には凍った岩松が岩場の下にたくさん落ちているので、それを集めて水で戻し、売ったこともあったという。

 さらに話は核心に入り、帯沢からはリュウゴッパナ(東峰)は見えるが、その奥にある西峰(リュウゴウ)は見えない。萩平からは東峰のリュウゴッパナは見えないが、裏の西峰(リュウゴウ)は見える。ただし、萩平ではリュウゴウはリュウゴッパナをも指しているようだと、先週、萩平で内田長次さん(81歳)から聞いた話を伝えた。

 すると、吉野さんはリュウゴッパナについて、三角点のある東峰とその西にある西峰との総称でもあるのではないかとアドバイスしてくれた。

 ちなみに、吉野さんもほかの方と同様、山名については「昔からリュウゴッパナ(リュウゴ)。竜ヶ鼻(リュウガハナ)とはいっていない」と断言された。

 なお、リュウゴッパナについて以前、帯沢で採集した話を加えておこう。

 リュウゴッパナ(東峰)山頂の岩場には大きな穴があり、能気神社近くの出身の相撲取り・豊田川が登ったところ、穴の中に大蛇がいるのを見て、驚いて帰宅したのち、発熱してしまい、そのまま亡くなったという逸話もある。

林道帯沢線終点まで

 松木平の先で帯沢川を橋で渡り、道は上流からみて川の左岸に移る(この地点に庚申塔がある)。

 頭上に送電線が延びているので、現在地点確認に役に立つ。

 まもなく左に帯沢浄水場があり、そのすぐ先に「安戸上水道建設記念碑」(昭和三十九年四月)が建っている。

帯沢浄水場

 道の反対側には姥神が祀られている。

 さらに林道を遡ると、右にプレス工場への道が分かれ、すぐに取水口につく。

 この先で、右から沢が流入すると、いよいよ舗装が終わる。

 これまでも車が1台通るが精一杯な細い林道だったが、ここからは車が通れない完全な山道になる。

 左手の大きな岩の上には、「安政二年・安戸村馬持講中」が建立した馬頭観音の石碑が祀られている。

 そして、いよいよ林道は終点となる。

林道終点付近の河原の大岩上にある馬頭観音
林道帯沢線終点

 地形図(2万5千分の1地形図「安戸」)には、林道帯沢線が林道萩帯線に接続するように記されているが、そもそもその区間に林道帯沢線は全く存在しない。

 林道帯沢線は、その北側にある途中で終わってしまう道である。

 そこで右手に林道萩帯線に行ける踏跡がないかどうか探したが、発見できなかった。

 さらに帯沢川を徒渉して、郡界尾根に登る踏跡を探したが、これも発見できず。

 無理をして踏跡なき斜面を強引に登れば、林道萩帯線に出ることも不可能ではないかも知れない。

 しかし、6月という草深くマムシやマダニの出没する時期を考えると、冒険をする気分にはなれなかった。

 結局、林道を戻り、身形神社から物見山(411㍍独標)をへて、先週たどった460㍍圏ピークからリュウゴッパナ(東峰)へと縦走するコースを選択した。

身形神社から物見山へ

図5 身形神社から物見山へ
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 林道帯沢線を終点まで探索して戻ってきた結果、身形神社についてときには既に14時を過ぎていた。

身形神社(帯沢)

 身形神社本殿の横に愛宕神社が祀られている。

 その裏に明瞭な踏跡が山腹に刻まれていた。

 踏跡は山腹をトラバースしながら徐々に高度を上げていく。

 その後伐採地の登りになると、踏跡が消えしてしまうが、高みをめざして登って行くと、左から帯沢の集落からの道(午前中、ご夫婦が紹介してくれた道)が合流する。そこからはご夫婦の話のとおり、はっきりとした歩きやすい道になる。

 すぐに尾根に乗ると、平坦な道になり、ピークを左から巻く。

 このあと鞍部から登りになり、林道御堂笠山線に飛び出す(カーブミラーあり)。

 ここが地形図上で林道が大きく帯沢方向にカーブしている地点で、身形神社から約25分である。

 林道を左にしばらく歩くと、送電線鉄塔のあるピークの下を過ぎ、林道が大きくカーブした先で林道の左側(山側)に目を凝らすと、林道との段差が消え、そのまま左に登る踏跡が発見できる。

 ここには秩父七峰縦走ハイキングコースの標識がないので、見落とさないように注意したい。

 幸い赤テープが見えるので、発見できるだろう。

 あとはジグザグに山腹を急登すると、物見山(411㍍独標)北の尾根上に出る。

 この地点には「バス停へ」と書かれた指導標がある。

 ここから物見山~460㍍圏ピーク~リュウゴッパナ(東峰)分岐~リュウゴッパナ(東峰)~登山口(林道御堂笠山線と林道萩帯線との合流地点)までは、先週のコースの逆コースなので、省略する。

萩平から和紙の里へ

 2週連続リュウゴッパナの東峰と西峰(リュウゴウ)に登ったあと、再度萩平の山上集落をめざし、そこから西峰(リュウゴウ:東峰は見えない)~460㍍圏ピーク~物見山(411㍍独標)の尾根を撮影。

萩平からリュウゴウ(右)、460㍍圏ピーク(真ん中)、物見山(左端)を望む(再掲)
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 時刻は既に17時20分。

 白石車庫から皆谷経由の小川町行き最終バスは既に終わってしまい、和紙の里発小川町行きの最終バス発車時間は18時34分。

 残された時間は1時間強。

 ぎりぎりの時間だった。

 このあと、林道萩平線をくだり、常光寺から名水・観音水など、本当はゆっくり立ち寄りたい名所を急いで通り過ぎ、萩平川沿いの林道を駆け抜けるように飛ばす。

名水・観音水(1)
名水・観音水(2)

 名山・観音山を消滅させた秩父鉱業(株)の御堂鉱業所(2028年3月31日まで珪石採掘)を抜けるのに意外に時間を要し、県道が見えてきたときには18時20分を過ぎていた。

 ここから県道に出て、和紙の里まで歩くとなると、とても残り14分では間に合わない。

 絶望的な心境になったとき、県道まで出ずに右にダイレクトに和紙の里に出る近道(バス道路)があった。

 この道を歩くと、ほんの数分で道の駅にある和紙の里バス停に到着。

 最終バス発車(18時34分)の8分前(18時26分)につくことができた。

 帰りのバスは、往きのあの超満員のバスとは対照的に乗客は5人程度。

 先週の萩平、今日の帯沢と、リュウゴッパナをはさむ東西の集落で古老から貴重な話を伺うとともに、それぞれからリュウゴッパナ(リュウゴウ)の写真を撮ることができた。

 リュウゴッパナを徹底的に歩き、山名を再確認するという目的を十分達成できた。

 その結果、私の誤りも訂正することができた。

 小川町駅行きのバス車中で、そんな満足感に浸っていた。

 バスが小川町駅に到着したのは19時少し前だった。

リュウゴッパナ山名を再度整理する

 既にリュウゴッパナやリュウゴウの山名について何度も述べているが、念のために最後に改めて簡潔に整理しておきたい。

 くどいと思われる方は、読み飛ばしてしまって結構である。

 リュウゴッパナ(493.9㍍3等三角点:点名「竜ヶ鼻」)とその西にある490㍍圏ピーク(リュウゴウ:龍郷山と漢字表記する向きもある:以前「ツルキリ山」「ツルキリ」などと誤称されてきた)は、官ノ倉山(344㍍独標)と石尊山との関係と同様に双耳峰である。

 つまり、リュウゴウは西峰、リュウゴッパナは東峰であり、萩平では両者を総称してリュウゴウ、帯沢でも両者を総称してリュウゴッパナと呼んでいる人もいる。

 よって、リュウゴッパナ(リュウゴウ)の東峰が「狭義のリュウゴッパナ」(竜ヶ鼻)。

 リュウゴッパナ(リュウゴウ)の西峰が「狭義のリュウゴウ」(竜郷山)なのである。

 この関係は、官ノ倉山(官ノ倉)は西峰(官ノ倉山)、東峰(石尊山)の総称であるということと全く同じである。

 なお、本文中に記したが、萩平の呼称「リュウゴウ」は、帯沢でリュウゴッパナの略称としている「リュウゴ」がなまったものであると考えられる。

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